百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。
涙の✕✕、もう一度。
結局私は、エジプトに一人旅に出るよりも先に、約11年前の記憶を探す旅に出た。
高校生の時、私が生徒会に入ったのは、父の勧めだったからだ。
成績は良くとも運動音痴だったから、学校生活で少しは功績というものが残せるよう、語学検定や生徒会活動に専念しなさいという父の言葉をそのままなぞっただけだった。
『全国模試で30位以内に入れたとしても、仕事ができなければ生きていけない。和果、今のうちから人を見る目を養って書類仕事に慣れておきなさい。』
私にコミュ力はおろか、人望なんてあるとは思えなかったし、いずれ生徒会に入ることができるよう、1年生からクラスの代表委員に立候補してきた。
そして2年生の春、副会長に就くことができた私は、初めて真木瑛介という人物にふれることとなったのだ。
『初めまして越名さん。今日からよろしくね!』
第一印象は清潔感のある、完ぺきな王子様。恋愛感情とは程遠い、雲の上の人を見上げるような気持ちだった。
『越名はすごいよね。いつだって文句一ついわずに必ず期日までに作業をこなす。』
副会長として当たり前のことをしていた私は、それが褒められるほどのものなのかよく理解できなかった。
父に褒められた記憶はない。だから真木先輩が褒めてくれる度、涙がこぼれそうになったのを覚えている。
家では正座が当たり前だった。父より先にお風呂に入ったり、ご飯を食べることは許されない。新聞も父が一番最初に読むのがルールだった。
入試で合格しようが、模試でいい成績をおさめようが、語学検定で合格しようが、生徒会に入った時だって。父は一度たりとも私を褒めてはくれなかったのだ。
だから優しい真木先輩に頭を撫でられた時、確かに勘違いしそうになった。
でも自分が先輩を“好き”だと認識した覚えはない。高校の頃なんて、父のルールに従うのが精一杯で、恋愛脳に頭を切り替える暇すらなかったのだから。
先輩の言っていたことが本当なのだとしたら、自分の恋愛すら覚えていない私はやっぱり“駄目”なのだと思う。
「だからー。クラウドに管理者用パスワードがいるんだって〜。」
「百十一さんのアカウントはこちらで取得しましたから、メールでお送りしたIDとパスワードで入れるはずなんですけど。」
「そうはいっても入れねえんだもん。なんでもいいから一旦見に来いや。」
突然人事部にやって来たと思ったら、私をつかまえて『一旦見に来いや』。
堂々とうちの部署に入って来れる神経と、人にものを頼む態度はさすがといえる。
「昔のRPGのように縦並びでついてくる女、お前以外いない。」
「はい?」
「俺の隣を歩きたいとは思わないわけ?」
「ここの廊下、狭いですし。」
「あそう。」
百十一さんは部署という枠に属していない。
以前はうちの会社に専属はおらず、Webデザインはすべて外注だった。でもあるクライアントの情報を元に、売上が必ず右肩上がりになるデザイナーがいるということで、うちの会社が百十一さんをヘッドハンティングしたのだ。
マナーもデリカシーもなにもないというのに、功績があるというだけで採用されるのだから、ある意味百十一さんの生き方が羨ましい。器用なのだと思う。