百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。

その人の持つ雰囲気は、その人の人生そのものを映す。

 勝手に怯えて、泣いて。自分に距離を詰めてくれた人間に甘えて。

こんな私は身勝手なのかもしれないけれど、百十一さんになら甘えてもいいかなって。受け入れてもらえるような気がしたんです。

「汗すご。おっと、これは汗じゃねえか。」

この人のやることなすことは私の予想をはるかに超えていく。それは、この人の性癖にも同じことがいえるのだ。

ただ私は、苦しさと快楽の渦にもがいていた。イヤイヤと駄々をこねる子どものようでありながら、しっかり全身火照らせている私も私なのだ。

どこに触れてほしいか全て見透かされているかのように、私の一つ一つを感覚的に察知しながら的確に突いてくる。私も百十一さんの汗に溶かされそうなほどのめり込んだ。 

このまま土に埋まって消えてしまいたい。

「っかし〜なー。これでイキ狂わない女はいないはずなんだけど。」

デリカシーのない言葉を吐かれてもそれでよかった。私には十分すぎるほどの情愛だった。

自分の性欲が最大限に満たされて、幸せ。久々に幸せの浮遊感に浸れた気がする。

「え、待って。俺、いかせらんなかったの初めてなんすけど……」

「zzz……」
 
「ウソだろ? 寝ちゃうの? やだ。待って越名、」
  
すみません百十一さん。私、一人でしないといけない体質なんです。
 
 
 翌朝。私の仕事がHRテックに奪われる夢を見て飛び起きた。 

人事査定の仕事をAIに奪われたら私はどうなってしまうのか! 顔面蒼白になり、早いとこ社労士の資格を取ろうと、本棚の社労士試験のテキストを開き、ダイニングテーブルで勉強を始める。

今のうちから社労士事務所に目星をつけて転職準備を始めるべきか……
 
2時間ほど勉強したところで、生ぬるい声が私を呼んだ。

 「ウソだろ。なんだこの、異次元空間。」

「あ、百十一さん、おはようございます。」

「昨日セックスした男がいる状況で勉強とか、仕込んでないのに行列ができるラーメン屋くらい怪奇だろ。」  

ズボンも履かず、パンツ一枚で起きてきた百十一さん。あくびをしながらも、流れるように出た彼の言葉に目を丸くする。


「前々から薄々思っていたのですが、百十一さんて言葉選びが独創的ですよね。」

「“センスがいい”って言って。」  

「ああ、そうですね。個性にあふれてて面白いと思います。」

自然に私の隣に座り、テーブルに腕を置いて頬を乗せた。少しだけこの焦れったい距離感にソワソワする。

下からじっと私を見上げてくる百十一さんの目が、なんだかかわいい。言いたいことを察するために、私もじっと見返した。

「お腹空きましたよね。今五目ご飯炊いているので、あと6分ほど待ってもらえますか?」

「下着姿にカーディガン羽織って勉強? 実は越名って計算高いんじゃない?」

「え。ああほんとだ。服着るのうっかり忘れてました。」

「俺の服は?」

「朝洗ったので、もう少ししたら乾くと思います。それまでお風呂でもどうぞ。もう沸きますよ。」

「ねえ、なんで俺が突然ここに来たことなんも言わねえの? 俺ストーカーみたいじゃん。」

「百十一さんこそ。わ、私が泣いていたこと、なにも聞かないじゃないですか。」

「なんで泣いてたの?」

「ちょっと、怖い動画を見ちゃって。怖くなったからです。」 

「怖い動画ってなに?」

「ええと。『HRテック導入により人事の仕事を効率化、人件費削減』。」
  
「怖いの領域が、カレーにシチュー入れてもカレーになる論理と一緒。」 

「ちょっと、難しい例えですね。」

ふと、どこからかバイブ音が聞こえる。寝室から鳴っている気がする。  

「百十一さん、スマホ鳴ってません?」

「うん、別にいい。」 

「いいんですか? 吉井田さん、だったりしません?」

「は? なんで吉井田が出てくんの?」

「彼女さんですよね?」

「嘘だろ。どこをどう見たらそうなんだよ。」

「そうなんですか。」

安堵しかけた。でもここで安堵するのもおかしい気もした。

きっと百十一さんにとって、吉井田さんも私も、関係を持った女性の一人に過ぎないのだろう。現に吉井田さんとも私とも、キスしておきながら彼女ではないのだから。
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