百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。
「そっか。じゃあ、あの……百十一さんの連絡先、教えてもらってもいいですか?」
「ああ、もう知ってる気でいたわ。そういや俺と越名はビジネスラインで繋がってねえか。」
「はい。ちなみに人事部にビジネスラインなんてものはありません。」
「あそう。」
ビジネスラインか。ちょっと羨ましい。人事部は個人情報を扱うため、持ち帰るような仕事があってはならない。話し合うべきことは全て職場でしか話せない。だからラインも特にする必要がないのだ。
百十一さんが寝室に行き、スマホを持ってくる。
私にラインと電話番号まで教えてくれた。でも交換しても尚、百十一さんのスマホ外枠をなぞる親指が上下をさまよっている。
「……じゃあ、他にどんな男の連絡先知ってんの? 元カレ以外で。」
「そうですね。ええと。」
スマホのアドレス帳から探していれば、すぐに“真木瑛介”の名前が目についた。むしろ男性の連絡先は真木先輩しか入っていない。
「高校の頃の先輩が一人、ですかね。」
「へえ」
「先輩が生徒会長で、私が副会長で……」
なぜそんなことを聞くのかと彼を見つめる。すると再び手を繋がれて、彼の三白眼がゆっくり開閉した。百十一さんの目、猫みたい。
「例えば、俺と越名がおんなじ学校とか通ってたらさ、こんな風に触れることもなかったんだろうな。」
「……私と、百十一さんが?」
「うん。俺、けっこう遊んでたし。越名はきっと優等生でさ、俺なんかが触れていい相手じゃなかったと思う。」
「でも百十一さんって、誰にでも遠慮なく距離を詰めてる感じがします。」
「大人になったからね。ガキだったら越名となんて関われなかったよ俺。」
「…………」
「今、越名と出会ってよかった。でもできれば、ずっと前から知ってたかった。」
指と指の間に指を絡められる。
大きすぎる手に、百十一さんの甘えを感じ取る。どこか不貞腐れるように腕の中に顔を伏せて。力強く手を絡み取られた。嫌でも意識せざるを得ない。
あなたに溺れてしまいそうなほど、気持ちのいい夜だった。
「私も、百十一さんの昔のこと、たくさん知りたいです。」
「え?」
「どんな小学生だったのか、どんな高校生だったのか、どうしてWebデザイナーになろうと思ったのか。知れたらきっとどこかに共通点を見つけて、やっぱり若い頃から関われてたかもねって思える気がするんです。」
「……あそう。糞恥じいやん。」
百十一さんの手が熱くなり、そっと指を解いて離れていく。その熱が惜しくなり彼を見上げた。でもすぐに顔を反らされた。
「風呂入ってくる。」
「あ、タオルは棚に積まれているのを使ってください。」
パンツ一枚で、まるで自分の家であるかのように淡々とバスルームに入っていく。
しかもお風呂が終われば、パンツも履かずに裸でリビングに出てきた。
そうだった。この人、下着の替えがないんだった!
「あ、あのっその格好でうろつかれては困ります!! すぐに新しいのを買ってくるからもうちょっとお風呂に入っててください!」
「腹減ったから飯食ってていい?」
「待ってください! ちょっと、ああもう! ほんと信じられない!!」
慌てて近くのコンビニに男性用の下着を買いに走った。
パンツを履かずに椅子に座られるだけでも嫌なのに、あの格好でご飯食べるだなんてまるで原始人じゃない!
それから百十一さんは朝ご飯を食べた後、しっかり二度寝した。
私はその間に、昨日先輩から立て続けに入ってきたメッセージに返信することにした。
《昨日は疲れて寝てしまってごめんなさい。今は会社から3駅のところに住んでいます。》
百十一さんがいるからか、普通に返信することができた。昨日、なぜ自分があんなに怯えていたのかさっぱりわからない。
真木行政書士事務所は、その名の通り真木先輩のお父さんが経営者だ。先輩には次期経営者としてのプレッシャーだとか、色々あるだろうし。きっとたまにメンタルが不安定になってしまうのだろう。
そうだ! 今度先輩に自律神経を整える漢方薬を紹介しよう!
高校時代から知っている先輩なのだから、何も怖がることはない。自分の仕事が失くなることの方がよっぽど怖い。
「こしな〜、ちょっとさあ、こっち来て〜」
寝室から、かすれた声が聞こえて仕方なく向かう。すると上半身裸、寝ぼけまなこの百十一さんが、私に抱きしめてほしいと両手を広げてくる。
なんて、なんて大きな……甘えん坊。
戸惑いながらも腕の中に飛び込んで、百十一さんの胸に頬を寄せる。心音が聞こえてきた。
少しだけ足早な心音に、なぜか心地よさを覚えて目を閉じた。なぜだろう。この人の腕の中、胸の音、とっても安心する。
取り繕わない、いつだってそのままの百十一さんに抱きしめられると、自分のルールをねじ曲げてでも身を委ねればいいんだって思えてくる。
本当に私、“やわらか越名”になっちゃいそう。
「勃った。もっかいしたい。」
「…………」
この原始人はいつだって本能に忠実で、でも今は私の意向に従ってくれた。
本当に疲れていた私は、百十一さんの胸の中で眠ってしまったのだ。遠い意識の中で、百十一さんからタメ息混じりの優しい声が聞こえた。
「和果」
一瞬、名前を呼ばれたような気もしたけれど、次に起きた時にはもう覚えていなかった。
ちなみに彼は三度寝を経て、ちゃっかり夕飯を食べて帰って行った。「ここに来ればまともなもん食える」とか言いながら。
私は自分の性欲が満たせたことよりも、百十一さんと連絡先を交換できたことが一番の収穫かもしれない。