百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。
でもそう。彼女はやっぱり、前例にないタイプ。
どれだけ甘い言葉をささやいても、ボディタッチを試みても、最後の最後まで僕に堕ちることはなかった。僕の力不足とかじゃない。ただ、彼女が普通じゃなかったというだけだ。
大人になってからも、越名は僕に靡かなかった。
真木行政事務所が、今のビルに入った3年前。
偶然にもエレベーターで鉢合わせた時、お互いに相当驚いたけれど、すぐに高校時代の記憶が鮮明に蘇ったのを覚えている。
『越名、久々に2人でご飯食べに行かない?』
『ごめんなさい先輩。私、今彼と同棲中でして。家に帰ってご飯作らなければならないんです。』
『……そっ、か。』
まさか彼氏がいるだなんて思いもしなかった。こんな色気のない女でもモノ好きはいるもんか、と、そう思いながらも何度も越名を誘った。
それでも絶対に越名は、僕の誘いに乗らなかったのだ。
その癖、別れたら別れたで僕に慰謝料請求の相談だ。コイツ頭イカれてんじゃないかと思った。まあ実際おかしいんだけど。
しかも後日、チャラチャラした男に抱きかかえられながら駅まで歩いてる姿を目撃して益々苛々した。僕が誘っても来ないのに、あの男はいいのかと。
なんでだ。なぜ僕に堕ちないんだ。なにがお前をそうさせるんだ。どうしたら越名は僕に堕ちるんだよ? どこまで狡い手を使えば越名は僕に堕ちる?
だから今、彼女と付き合うことに成功したのは、人生を賭けた憂さ晴らしといえる。
祖父に、父親に。どれだけ司法試験に落ちたことを未練がましくいわれようとも、例え優秀な兄と比べられようとも。僕は無事、彼女を手に入れたのだ。
付き合うことにおいて好きかどうかはさして問題じゃない。
「越名。今度の休み、デートしよっか。」
越名から返事をもらった日、僕は越名をデートに誘った。
「は、はい! ぜひ。」
カフェで3杯もおかわりするほど僕を待っていたなんて、よほど僕に溺れてるんだな。意外にかわいいとこあるじゃないか。よかったね。僕と付き合えて。
正直、付き合った後のことなんてなにも考えちゃいない。ただ越名の勘違いを盛大に腹の中で笑い飛ばし、その日は僕も残業で疲れていたから早々に送り届けた。
越名は僕の言葉を完全に履き違えている。
『僕と、付き合ってほしいんだけど。どうかな。』
『あの。まさか告白されるとは思っていなくて。少し。少しだけお時間を頂けませんか。』
僕は告白なんてしちゃいない。ただ『付き合ってほしい』と言っただけで、“好き”とは一言も言っていないのだ。
馬鹿な越名。これからは沢山僕からの報復を味わうといいよ。
𝓢
あーヅカレダ〜。だからさあ〜。もうプレゼンはしたくないって言ってんのにさあ〜。
百十一のお守りだけで精一杯なのに。なぜ見込み客でもないクライアントに、複数競合とのピッチさせられてんの俺。
水道橋は夜も更けに老け。俺は今にも屍になりそうな手前だった。
「ああ、修多良か。もうすぐビルの消灯時間だろ?」
「あ、糸藤課長だあー。」
「なんだよお前。人前ではいっつもヘラヘラしてる癖に。今日は珍しく死にそうじゃないか。」
「そうなんですよ〜。助けて下さいよ糸藤かちょ〜!」
「はは。とりあえずシステム部に来るか? こっちは予備電源蓄えてあるからさ。」
「予備電源て。笑 どんだけ仕事好きなんですか。」
営業部戦略課で野垂れ死ぬ一歩手前、まだ残っていた糸藤課長が、俺をちょいちょいとシステム部に呼んだ。
なんだよ神様。もう今日が終わりそうな手前でやってくれるねえ。
「コーヒー飲む?」
「いや俺がやりますよ。」
「なに言ってんだよ屍が。私がやるから、そこ座ってな。」
「あ、りがとうございます。」
課長が淹れてくれるコーヒーの香りは格別だった。