百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。
お互い稲妻は唐突に落ちるもの。
システム部から聞こえる声は、“難攻不落”のロジックに基づいた正攻法といえるのかもしれない。
「課長〜! 僕じゃ無理っすよ〜。この会計ソフト、STUPMAINのソースにエラーが出てるみたいですもん!」
「そこまで理解できてるなら十分だよ高吉。あとは私に任せな。」
システム部課長の糸藤課長が、前下がりショートの髪を耳にかける。
経理部に頼まれたPC、いや会計ソフトの不具合を診ているのだ。
「そんな難しい問題じゃないよ。記録レコードに破損があるだけ。再インストールしたら、ほれ。この通り。」
「す、凄い直った! さ、さすが課長!! 好きです!」
「ありがとよ高吉。」
男勝りな糸藤課長が脚を組み、カラカラと笑う。
部下である高吉さんは、少し残念そうな顔。今の何気ない『好き』は、きっと高吉さんにとって割と真面目な告白だったのかも。ハラハラしてしまう。
糸藤課長は美人なのにフランクな女性で、若い頃からそれはそれはモテていたそう。でも彼女は社内恋愛はしない主義のようで、さりげなく断ってきているのだ。
だから難攻不落の女性と呼ばれている。
「糸藤ちゃーん、俺推奨のデザインソフトをインストールしたいんだけど空き領域少ないんだわ。どうしたらいい?」
私の聞き間違いかしら? 百十一さんが、『糸藤ちゃーん』と言って糸藤課長の元にやって来たのは?
ちょっと待って、課長を“ちゃん”付けしてるの? 信っじられない。大丈夫なのあの人?! 今すぐに常識のカケラをかき集める旅に出た方がいいんじゃない?!
「百十一さあ、こないだもそんなこといって外付けハード貸してやったじゃん。あれもけっこう高いんだからそう簡単に貸すわけには」
「違うって。俺のノートだからデスクトップにしてくれって話。」
「はああ?!! 馬鹿じゃないのあんた!」
「前に高級純米大吟醸おごってやったじゃん。」
「たかが1杯6000円の酒でデスクトップは貸せないっての! 容量足りてないのはあんたの頭じゃない?」
「そんなこと言って〜。今度さ、しっぽり日本庭園の見える個室で飲めるとこ行かない? 2人で。」
「こ、個室ってあんた! っもう、このタラシが。四十路相手になに考えてんだか。」
38才の糸藤課長の顔が赤く染まる。まんざらでもない顔に、私の顔はムンクの叫び。
難攻不落の女性が奈落の底に落ちた瞬間。高吉さんがあきらかに不機嫌そうな顔をしている。
そして「仕方ないなあ。」と、糸藤課長が倉庫にデスクトップを取りに行こうとした。
「百十一さん。」
「おっと。これはこれは、査定係の越名様。」
なぜ役職のある糸藤課長には“糸藤ちゃん”で、私の敬称は“様”なの?
ふう、と呼吸を整える。たかが敬称に惑わされることなく、にっこりと笑顔で百十一さんを見る。
「糸藤課長、百十一さんにデスクトップを貸す必要はありません。おそらく台数も少ないでしょうし。」
「そ、そうだよねえ! ごめんね、越名さん!」
糸藤課長が慌ててPC画面に向き直る。すぐにキーボードの忙しない音が聞こえ始めた。
課長に、謝られた。なんだか壁を作られてしまった感。って人事査定の私が壁を作られるのは当たり前か……。