百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。
最終兵器、母。
本人がいないのに、本人の母がここにおる。
しかも俺が越名んちの鍵を持っているわけで、今にも越名不在時に漁りにきたストーカー(俺)と、そいつを捕まえようと待ち伏せていた刑事(真木)って印象を与えそうだった。
なんとしてでも回避するため、越名流に順を追って丁寧に説明をした。
でも越名母は、鍵を持つ俺を見ても特に驚くような素振りはない。むしろ表情筋がないのかってくらい生気がない感じだ。
越名のスマホで見た家族写真の彼女はもっとふくよかだったし、柔らかい笑顔だった。いかにも厳しそうな父親に反し、母親は柔和な雰囲気だと感じたのを覚えている。
越名の家に上がらせてもらい、俺が勝手にコーヒーメーカーでコーヒーを淹れる。ダイニングテーブルにコーヒー入りのマグカップを置けば、越名母が頭を下げた。
真木は、俺の行動を始終不審そうに見ていた。なんで俺が電気のスイッチの位置や、コーヒーの場所知ってるのかと思っているのだろう。
そりゃあ前に来たことありますから。
「……そうでしたか。和果は、体調を崩していたんですね。」
か細い声で母親がつぶやいた。どうやら越名にメッセージを入れても返信がないから、心配になってここまで来たらしい。
「すみません。昨日越名はすぐに寝てしまったので。お母さんに電話させればよかったですね。」
「いえ。ええと、百十一さん、でしたよね。和果が大変ご迷惑をおかけしました。」
「いや、俺も強引に連れ帰ってしまったところがあるので。」
「それで。百十一さんは、和果とお付き合いしている、ということでよろしいのでしょうか?」
「い? いえ。実は、俺はただの職場の同僚で。付き合ってるのは、そちらさんですよ。」
真木の方に視線を向ける。越名母も俺にならい、ゆっくりと真木に視線を向ければ、真木は気まずそうに視線を落とした。
「すみません、実は僕が、和果さんとお付き合いさせていただいています。」
「そう、だったんですね。」
「お伝えするのが遅くなって、申し訳ありません。」
「いえ。私の方こそ。実は、こんな風に和果の一人暮らしの家を訪ねるのは初めてでして。私が、不甲斐ないばかりに、和果を、放ったらかしてにしてしまって」
越名母が鼻をすすったかと思うと、急に涙を流し始めた。
俺が慌ててリビングにあったティッシュ箱を差し出せば、真木がすでにハンカチを差し出していた。
そういや越名のやつ。父親のことは割と話していたのに、母親のことは話してなかった気がする。
「わたし、主人が病気で亡くなってからというもの、脱力感からしばらく鬱状態でして。和果は主人から解放されて羽を伸ばしたいだろうし、なるべく和果に依存しないよう、気をつけていたんです。」
「そうだったんですか。」
「でも、あまりに放ったらかしにしすぎました。和果は月に2度、必ずうちに帰って来てくれるというのに。私は、前の彼氏のことすらよく知りません。本当に、駄目な母親です。」
ハンカチで何度も涙を拭う越名母。後ろで一つにまとめた髪は、ほぼ白く染まっている。だが後れ毛が見当たらないあたり、きっと越名同様きちんとした性格なのだろう。
こうして自分の反省を、他人である俺等に語っているところも真面目だというのがよくわかる。うちの母親なんて海外にいるから、俺なんて10年は放ったらかしだってのに。俺も別に放っとかれてる自覚もないんだけど。
コーヒーの煙に紛れる真木が、ネクタイをゆるめながら口を開いた。
「高校時代、越名からよくあなたの話を聞いていました。お父さんに厳しいことを言われる度に、お母さんがフォローしてくれていると。」
「そう、でしたか。主人は確かに大変厳しい人でした。主人の両親もまた、厳格な人たちでしたから。」
「……」
「毎日、私は主人の言う通りに動くことに必死だったんです。でも和果はそれ以上に必死でした。なるべく主人の言う通りに和果を動かそうとしていた私も私なんです。和果には、何一つ普通の母親らしいことをしてやれず……」
嗚咽を漏らし始めた越名母を見て、思った。
勝手に国が国の伝統を守り続けるように、いつから始まったかもわからない家系の古例に巻き込まれるのは、いつだって子供だと。越名の父親も、子供の頃は越名のような思いをしてきたのかもしれない。
しかも俺が越名んちの鍵を持っているわけで、今にも越名不在時に漁りにきたストーカー(俺)と、そいつを捕まえようと待ち伏せていた刑事(真木)って印象を与えそうだった。
なんとしてでも回避するため、越名流に順を追って丁寧に説明をした。
でも越名母は、鍵を持つ俺を見ても特に驚くような素振りはない。むしろ表情筋がないのかってくらい生気がない感じだ。
越名のスマホで見た家族写真の彼女はもっとふくよかだったし、柔らかい笑顔だった。いかにも厳しそうな父親に反し、母親は柔和な雰囲気だと感じたのを覚えている。
越名の家に上がらせてもらい、俺が勝手にコーヒーメーカーでコーヒーを淹れる。ダイニングテーブルにコーヒー入りのマグカップを置けば、越名母が頭を下げた。
真木は、俺の行動を始終不審そうに見ていた。なんで俺が電気のスイッチの位置や、コーヒーの場所知ってるのかと思っているのだろう。
そりゃあ前に来たことありますから。
「……そうでしたか。和果は、体調を崩していたんですね。」
か細い声で母親がつぶやいた。どうやら越名にメッセージを入れても返信がないから、心配になってここまで来たらしい。
「すみません。昨日越名はすぐに寝てしまったので。お母さんに電話させればよかったですね。」
「いえ。ええと、百十一さん、でしたよね。和果が大変ご迷惑をおかけしました。」
「いや、俺も強引に連れ帰ってしまったところがあるので。」
「それで。百十一さんは、和果とお付き合いしている、ということでよろしいのでしょうか?」
「い? いえ。実は、俺はただの職場の同僚で。付き合ってるのは、そちらさんですよ。」
真木の方に視線を向ける。越名母も俺にならい、ゆっくりと真木に視線を向ければ、真木は気まずそうに視線を落とした。
「すみません、実は僕が、和果さんとお付き合いさせていただいています。」
「そう、だったんですね。」
「お伝えするのが遅くなって、申し訳ありません。」
「いえ。私の方こそ。実は、こんな風に和果の一人暮らしの家を訪ねるのは初めてでして。私が、不甲斐ないばかりに、和果を、放ったらかしてにしてしまって」
越名母が鼻をすすったかと思うと、急に涙を流し始めた。
俺が慌ててリビングにあったティッシュ箱を差し出せば、真木がすでにハンカチを差し出していた。
そういや越名のやつ。父親のことは割と話していたのに、母親のことは話してなかった気がする。
「わたし、主人が病気で亡くなってからというもの、脱力感からしばらく鬱状態でして。和果は主人から解放されて羽を伸ばしたいだろうし、なるべく和果に依存しないよう、気をつけていたんです。」
「そうだったんですか。」
「でも、あまりに放ったらかしにしすぎました。和果は月に2度、必ずうちに帰って来てくれるというのに。私は、前の彼氏のことすらよく知りません。本当に、駄目な母親です。」
ハンカチで何度も涙を拭う越名母。後ろで一つにまとめた髪は、ほぼ白く染まっている。だが後れ毛が見当たらないあたり、きっと越名同様きちんとした性格なのだろう。
こうして自分の反省を、他人である俺等に語っているところも真面目だというのがよくわかる。うちの母親なんて海外にいるから、俺なんて10年は放ったらかしだってのに。俺も別に放っとかれてる自覚もないんだけど。
コーヒーの煙に紛れる真木が、ネクタイをゆるめながら口を開いた。
「高校時代、越名からよくあなたの話を聞いていました。お父さんに厳しいことを言われる度に、お母さんがフォローしてくれていると。」
「そう、でしたか。主人は確かに大変厳しい人でした。主人の両親もまた、厳格な人たちでしたから。」
「……」
「毎日、私は主人の言う通りに動くことに必死だったんです。でも和果はそれ以上に必死でした。なるべく主人の言う通りに和果を動かそうとしていた私も私なんです。和果には、何一つ普通の母親らしいことをしてやれず……」
嗚咽を漏らし始めた越名母を見て、思った。
勝手に国が国の伝統を守り続けるように、いつから始まったかもわからない家系の古例に巻き込まれるのは、いつだって子供だと。越名の父親も、子供の頃は越名のような思いをしてきたのかもしれない。