百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。

ヘヴンズ・ドア

 ふと目を覚ませば、すでに19時を過ぎていた。布団のシーツとベッドの深みを確かめて、ここは百十一さんの家だと認知する。
 
だいぶ身体が軽い。頭の痛みもない。サイドテーブルに置かれている体温計で測ってみれば、37度きっかりまで下がっていた。

リビングのベランダから外を見ようと、紺とグレーのストライプのカーテンをこっそり開けてみる。

日が落ちるのが早くなり、外はすでに真っ暗だ。ようやく秋と呼べる季節になった気がする。朝と夕方は少し冷える。

リビングの椅子にかかる百十一さんのカーディガンに腕を通せば、すぐに百十一さん特有の匂いに包まれる。大きな薄いニット素材が心地良い。まるで、百十一さんに抱きしめられているような気分になる。  

真木先輩の彼女である自覚は、今の私にはなさそうだ。でもさすがに連絡がつかないと心配されてしまうため、ようやくスマホの電源をオンにした。

わ。こんなに着信とメッセージが?

スマホには、数十件の真木先輩からの着信やラインだけではなく、お母さんからの着信とメッセージ、そしてなぜか糸藤課長と修多良からのラインまで入っていた。

とにかくまずは真木先輩に電話しようとアドレス帳をタップする。でも今度はすぐに、殿池(とのいけ)さんからラインが入ってきて画面を二度見した。  
 
《こんばんは。風邪だと伺いました。どうかお大事になさって下さい。 殿池》

驚いた。糸藤課長と修多良さんはノリがいいからまだしも、まさか開拓課の殿池さんからメッセージが入ってくるとは思わなかった。まだ25才という若さの殿池さんは、存外マメな性格なのかもしれない。   

ダイニングテーブルの前に座り、返信しようと画面をタップしていれば、背後からただならぬ気配を察知した。

 「ウソだろ。殿池にライン教えたのかよ……。」  

「も、百十一さん?!」

「ただいまあ。って、なんで殿池にはそんなガードゆるゆるなんだよ? 越名って意外と年下好き?」
  
いつの間に帰ってきたのか、全然気付かなかった!

起き抜けの顔を見られて恥ずかしいのと、殿池さんに連絡先を教えたことを指摘されて苛々するのとで、両極端の感情が交差する。

「違い、ます。どちらかというと年上好きです。」

「ならなんで殿池にアカウント教えたの?」

「聞かれたから教えました。」

「なんで?」

「なんでって。百十一さんが言ったんじゃないですか! 殿池さんが私の連絡先手に入れたら、殿池さんに3千円あげるって!」

「はい? まさか、それだけで教えたの??」

私の隣、ではなく、なぜか私の椅子の後ろに無理矢理割って座ってくる百十一さん。何を考えているのか、私が椅子から立とうとすれば、そのまま腰をつかまれ百十一さんの前に座らされてしまう。     

そして、大きな腕を前に回されて抱きつかれた。カーディガンよりもずっと包容力のある実体に、じんわりと胸の奥が温かくなる。私、なんで苛々してたんだっけ。

「あ、あの……これ、どういう状況、」

「ごめん。」

「え?」

「俺、昔っから周りへの配慮が足らないっていうか。よくデリカシーがないってキレられる性質だから、自分でも気付かねえうちに人を傷つけてたりするんだわ。」

「……」     

「別に、本気で越名をゲームの賭け事にしようだなんて思ってない。その場のノリだけで、つい口から出ちゃっただけでさ」

百十一さんが、そっと私の肩に顔を埋める。

「ごめんね越名。無神経な俺で。」

「百十一さん」

「『しぬほど好き』って言ったの、あれマジだから。」  
   
どうしよう。涙が溢れ出そうなくらい、色々な感情が押し寄せる。

私だって好き。大好きです。

だって、こんな風に一喜一憂させられたのは生まれて初めてなのだから。それだけ毎日毎日あなたのことばかり考えていたの。

いつしか、『お父さんに褒められたい』が、『百十一さんに会いたい』に代わっていたことに気付かないくらい好きなんです。
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