百十一は思う。ある意味、難攻不落だと。
沈む気持ちに反するように、目の前のテレビを点ける。普段はあまり見ないバラエティ番組で、女性芸能人がひな壇から司会者に言葉を返していた。
『でもあたしー『お前』っていう男、大っ嫌いなんですよ〜!』
『わかる〜〜〜!!』
その時、なぜだか百十一さんの言葉が脳裏に浮かんだ。
『お前の脳ミソ、どうなってんの?』
これ以上ないほどの悪口だというのに、なぜだか『お前』と言われたことに胸がキュンと跳ねる。
世の中の女性は『お前』と言われることを嫌うのに、なぜ密かにときめいてしまうのだろう?
距離を詰められたことに嬉しくなるなんて、あまりにも軽率すぎる。
いいえ違う違う。あれはきっと私の弱味を握って、2万円という取引内容に私を陥れようとしているだけ。きっとそう。
もう関わらないようにしなきゃ!
そう心に決めた。
とはいえ、意識すればするほど極自然に関わってしまうもの。
後日、人事部主催の研修会。
今日は、マインドセット研修という、自己肯定感を高めようと働きかける研修会の担当を務める。
研修室にはシステム部一同と、なぜか百十一さんがいた。
Webデザイナーは部署に属してないから、今回はシステム部にまとめられたらしい。
「マインドセットには成長マインドセットと硬直マインドセットというものがあり、ポジティブに捉える成長マインドセットを意識していくことで社員の結束力を高めることに繋がります。」
ワークシートを配り、そこに書かれている課題の事案を、ポジティブな概念に変えていくよう書いてもらう。
10人もいない研修室で席と席の間を見回りしている最中。百十一さんの席に差し当たり、視線を投げつけられる。
緊張感にキュッと心臓を引き締めれば、さり気なく左手になにかを渡された。
そっと手の中を見れば、メモの切れ端だ。
『色気の出る方法おしえてやるから今晩カモ鍋食べいかない?』
すぐにメモから視線をずらし、振り返ってホワイトボードの前に立つ。
「皆さん書けましたか? では次に、企業におけるマインドセットの例をお話します。」
色気の出る方法? ふうん。人為的に出せるということなの? そんな方法がどこにあるというの??
カモ鍋といい色気のことといい、すっっごい気になるけれど、今は集中集中。
「例えば変革を行おうとする場合、ある企業では新しいことに挑戦して、今までとは違った顧客を取り入れようとする概念、これが成長マインドセットで、そしてそれに反比例するのが」
「越名せんせー、質問でーす。」
聞き覚えのある声に、小さくため息を吐く。
ゆっくりと前を見据えた。
「はい、どうぞ百十一さん。」
「つまりマジョリティが常識化してる概念を、どげんかせんといかんってことっすよねえ。」
「ええ、まあ、そうですね。」
「それなら、役職を就ける制度をなしにすれば?って思うんですけど、なんで世の中の会社には役職なんてもんがあるんですかね?」
思っていたよりもずっとまともな質問に、思わず姿勢を正す。
役職を、なしに? 思ってもいなかった考え方に自分の思考が最適解の言葉を探し始める。