silent frost
Frosted Eyes
時は、掌から零れ落ちる水のように、掴もうとしても留まらない。
誰の心にも触れぬまま、ただ黙って流れ続ける。
この街では、それが当たり前だった。
他人の悲しみも痛みも、まるで透明な空気のようにすり抜けていく。
互いの温度を測ることなく、ひとりひとりが「他人」であることが、この街の静かな秩序を保っていた。
──だからこそ、私はこの街が好きだった。
硝子の刃のようにそびえる高層ビル群。
雲を刺すように伸びる鉄骨と光の塔。
吹き降ろすビル風には鉄と埃の匂いが混ざり、昼と夜の境界を曖昧にしていく。
オフィス街はいつだって無慈悲だ。
時間の流れを早めるのが得意で、立ち止まる者すら軽やかに置き去りにする。
その中心に──
“神田商事株式会社” のロゴが刻まれた高層ビルが立っている。
都心の中心部。
まるで巨大な潮流の中に根を張るように、このビルはどこか異様な存在感を放っていた。
表向きは「総合商社」。
輸入雑貨、不動産、飲食、エンタメ、あらゆる事業を手広く展開している。
応接室には艶やかな笑みが並び、会議室では丁寧すぎる挨拶と、偽りの好意が絶えず飛び交う。
社員たちは皆、光沢のあるスーツを身にまとい、無機質な午後の風景に同化していく。
そんな中で──私はただ一人の人間のもとに仕えるため、最近秘書課へ異動した。
それが “神田京夜” の秘書であるということが、
この先の私の運命をどれほど変えるのか。
その時の私は、まだ何も知らなかった。