拝啓、愛しのパイロット様

「由桔也ならまだ仕事中よ。本当は昨日の朝パリから帰国する予定だったんだけど、機材トラブルがあってフライトスケジュールが急遽変更になったんですって」
「えっ!?」

 驚きで声を上げると、実登里は困ったように、手を頬に当てながらほうっと息を吐いた。

「羽田に着いたらそのまま向かうから、お昼過ぎには来れそうだって言っていたわ」
「そうですか……」

 国内線とは違い、国際線でトラブルが起きた場合、代替となる機材や要員を確保するのも難しい。

 予定通り帰って来れず、個展の初日に遅れるなんて、きっと彼自身残念に思っているに違いない。

 小町は居ても立っても居られず、即座に口を開いた。

「あの、私にもお手伝いできることはありませんか?」
「あら、そんな!悪いわよ!小町さんには、もう色々とやってもらったのに……」

 意を決して手伝いを申し出ると、実登里は遠慮がちに手を左右に振った。

「由桔也さんの代わりにはならないとは思うんですけど、私にも手伝わせてください!」

 彼が忙しい時間を割いていたのを知っているからこそ、絶対に個展を成功させなければならない。

 単なる社交辞令ではないことが伝わったのか、実登里はなにか探るようにおずおずとこちらの表情を窺ってくる。

「本当にいいの?」
「もちろんです!」

 気合い充分で答えると、実登里は胸もとに手を当て、安堵したように息を吐き出した。

「ありがとう、小町さん。実は思っていた以上に来てくださる方が多くて、色々と手が回っていなかったの。本当に助かるわ」

 どうやら実登里も人手が足りなくて、内心では困っていたようだ。

「早速で悪いんだけれど、受付を手伝ってもらえないかしら」
「わかりました」

 そう答えると、実登里は来場客の案内をしていたある女性に呼びかけた。

栞奈(かんな)!」

 彼女が長い髪を靡かせながらクルリとうしろを振り返ったそのとき、小町は思わず息を呑んだ。

(う、そ……)

 実登里が親し気に名前を呼んだのは由桔也が札幌で指輪を渡していた女性だった。

「小町さんが受付を手伝ってくださるそうなの!色々と教えてあげてちょうだい!」

 実登里がそう促すと彼女は小町が驚きの表情を浮かべていることに気づかず、ぱあっと顔を輝かせながらゆっくりと近づいてくる。

 今すぐ逃げ出したい衝動に必死で耐えていると、やがて彼女は小町の前で足を止め、満面の笑みを浮かべた。

「あなたが噂の小町さん?初めまして、由桔也の姉の栞奈です。母と弟がいつもお世話になってます!」

 朗らかな挨拶を聞いた瞬間、頭がくらりと傾いだのは、決して栞奈から香る香水の匂いにあてられたせいではない。

「由桔也さんの……お姉さん!?」

 今しがた見聞きしたものが信じられず、小町はただただ口をポカンと開け、栞奈の顔をじっと見つめるしかなかった。

「普段は北海道に住んでいるの。由桔也から聞いているかしら?個展の手伝いでこちらにいる間に会えてうれしいわ。もうっ!とってもかわいいくて、いい感じの人じゃない!」

 彼女は不躾な小町の態度に眉をひそめるどころか、逆に弟の想い人に出会えた喜びで勢いづいていた。

 ゴージャスな見た目とは真逆の気さくな人柄が、余計に戸惑いを大きくさせる。
 どうしたらいいのかわからなくなり、小町は茫然と立ち尽くすしかなかった。

「あ、の……」
「ん?」

 聞きたいことは山ほどあったが、うまく言葉が見つけられないでいると、栞奈は不思議そうに首を傾げ髪を耳にかけた。

 そのとき、左手の薬指に嵌められた指輪に目が留まる。

「その指輪……!」
「指輪?」
「あら、栞奈。失くした結婚指輪、見つかったの?」

 小町より先に実登里が指輪について尋ねると、栞菜は待ってましたとばかりにうっとりとした目つきで左手を顔の横にかかげた。

「そうなのよ!由桔也が棚の裏に落ちていたのを見つけてわざわざ北海道まで届けてくれたの!本当に見つかってよかったわ。失くしたときは二度と着けられないと思ったから、手もとに戻ってきたときには、つい泣いちゃった」

 栞奈は愛おしげに目を細めながら指輪をそっと指で撫でた。

(指輪はもともと栞菜さんのものだったの?)

 由桔也が住んでいるマンションはもともと、彼女とその夫の住まいだったと聞いている。
 もしかしたら、小町と一緒に暮らし始める際に家具の配置を変えたことで、件の指輪が見つかったのかもしれない。

(やっぱり私の勘違いだったんだ……)

 真実を悟ると身体から力が抜けていき、ヘナヘナとその場に崩れ落ちてしまう。

「どうしたの!?大丈夫!?」
「すみません。平気です……」

 小町は心配する栞奈に心配をかけまいと、すぐにもう一度立ち上がった。

 あろうことか実の姉である栞奈と二股をかけられていたのだと決めつけたのだ。
 恥ずかしさと気まずさで、由桔也に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

(由桔也さんに早く会いたい)

 許してもらえるかどうかわからないけれど、誠心誠意謝りたい。
 そして、誤解が解けたら今度こそ素直になろうと心に決めた。

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