推しと奏でる、私たちの唄 〜ドS天才歌手の隣は甘くて難しい〜

 食事中ーー……
 グラスに氷が当たる音だけが、小さく響く。

 「……あの時は、ごめん」

 夏は視線を逸らさずに言った。

 「大事にしたかったのに、大事にできなかった」

 茉白は一瞬だけ目を伏せてから、肩をすくめて笑う。

 「私もだよ。先輩だから、物分かりのいい女でいなきゃって思ってた。でも、あれ……ずっと心残りだった」

 少しの沈黙。

 ナイフとフォークが、静かに皿に置かれる。

 その沈黙の中で、
 夏の中に、昔の記憶が浮かび上がった。


 ーーー…

 夏が茉白と出会ったのは、
 高校の放課後だった。

 屋上へ続く、立ち入り禁止の階段。
 人気もなく、足音だけが響く踊り場で、
 夏はひとり、ギターも持たずに歌を口ずさんでいた。

 小さな声。
 けれど、不思議とよく通る声。

 ――そのとき。

 「その曲、何?」

 突然、下から声がした。

 「めっちゃいい曲だね」

 気がつくと、知らない女子が立っていた。
 制服の学年章を見ると、一つ上の先輩らしい。

 「……消えろ」

 夏は睨んだ。

 普通なら、怯む。
 あるいは、気まずそうに立ち去る。

 けれど、茉白は違った。

 「へぇ、そんな顔するんだ」

 くすっと笑って、さらに続ける。

 「なんかさ、懐かしい気持ちになる曲だった。
 古いとかじゃなくて……帰る場所、みたいな」

 その言葉に、夏の胸がわずかにざわついた

 そう言って、
 茉白はヴァイオリンを弾く仕草をした。

 「ヴァイオリンで弾くなら、こんな感じかな」

 弓を引く真似をする指先が、
 やけに綺麗で、眩しかった。

 それから、
 茉白は時々、その踊り場に現れるようになった。

 邪魔はしない。
 ただ、夏が口ずさむ小さな歌を、静かに聴いている。
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