《TwilightNotes ― 夜明けに鳴る音》

Scene7 逃げるように、酔って

 ぎこちない沈黙を振り払うように、麻里奈はビールのグラスを持ち上げた。
 
「さ、桜井さんも、飲みましょ!
 せっかくの飲み会ですし……ね?」
 
 声が、ほんの少し上ずっている。
 笑顔を作っているはずなのに、胸の奥は苦しかった。
 
 光輝の言葉も。
 大和の、探るような視線も。
 どちらもあまりにまっすぐで、逃げ場がなかった。
 
 だから、ただ――グラスを口に運んだ。
 
 泡の弾ける音が、何かを誤魔化すように喉を抜けていく。
 苦いはずのビールが、なぜかやけに飲みやすかった。
 
 気づけば、テーブルの上には空いたジョッキがいくつも並んでいる。
 
 胸の奥に沈む、光輝の低い声。
 ちらちらとこちらを気にする、大和の視線。
 どれも、まともに受け止められない。
 
「……ちょっと、飲みすぎだよ」
 
 隣から、光輝が低く囁いた。
 その声音には、心配よりも、抑えきれない苛立ちが混じっている。
 
 けれど麻里奈は、無理に笑って返した。
 
「だいじょーぶ、です……っ。
 これくらい、平気……ですから〜」
 
 ろれつが、少し怪しい。
 身体がふらりと揺れて、グラスを置いた手がすべり――
 
 カラン、と乾いた音が鳴った。
 
「麻里奈さん……!」
 
 慌てて立ち上がったのは、大和だった。
 向かいの席から椅子を引き、すぐ隣へ来ると、その肩を支える。
 
「……顔、真っ赤じゃないですか。無理しないでください」
 
 その腕に支えられたまま、麻里奈は頬をくしゃりと緩めた。
 
「なんか……苦しくって……」
 
「え?」
 
 大和が聞き返す前に、麻里奈はぽつりと続ける。
 
「……誰にも、好きになっちゃダメって言われるの……
 初めてだったんですよ……」
 
 空気が、一瞬で凍りついた。
 周囲の笑い声が、遠のく。
 
 光輝は、グラスを静かにテーブルへ置いた。
 そして表情を崩さぬまま、ゆっくりと立ち上がる。
 
「麻里奈くん。もう帰ったほうがいいな。
 ……俺が送っていく」
 
 低い声の奥に、わずかな怒気が滲んでいた。
 
 大和も、何も言わずに立ち上がろうとする。
 けれど――
 
 麻里奈は、大和のシャツの裾を、きゅっと握っていた。
 
「……わたし、どうしたらいいんだろう」
 
 かすれた、小さな声。
 頬は赤く、目元は潤んでいる。
 
 何もわかっていないようでいて、
 きっと――いちばんわかってしまっている。
 
 光輝の視線が、静かにその手元へと落ちた。
 その瞳の奥で、何かがゆっくりと、確かに動き出していた。
< 56 / 73 >

この作品をシェア

pagetop