私と僕の、幸せな結婚までのお話
僕の幸せな結婚までのお話
幻の花を追い求めて
晴れ渡る青空
今日は僕の結婚式
義父になるブルク侯爵にエスコートされ、舞い散る桜の花びらよりも美しく、優雅にバージンロードを僕の下へと歩む最愛の花嫁。
神託の巫女と呼ばれ、自身よりも皆の幸せのために生きてきた彼女を誰よりも幸せにすると誓う日。
幸せな僕の結婚までの話を聞いて欲しい。
◇・◇・◇・◇
僕はエーヴェル王国最西に領地を持つナイトレイ侯爵家の長男として生を受けた。
名前は レナート=ノア。生れ落ちた瞬間、伯母のリリィ=ローズ ・ ド・ ナイトレイ女伯爵が勝手に名付けてしまったそうだ。
ナイトレイの領地は広大な山岳地帯を有し、その山々から採掘される様々な鉱石を加工し製品として近隣諸国をはじめ、遥か遠方の国々へも流通させている。
鉱石だけなら珍しいものではないが、買い付けの商人や使者がわざわざ遠方から訪れる目当ては絵の具だ。
ナイトレイ産の鉱石は群を抜いた色鮮やかさが特徴だ。
更に、細かく砕いた鉱石の粉を絵の具として描面に定着させるためには動物の皮や骨や腱などから煮だした溶液を混ぜる必要があるのだが、ナイトレイ家には長年研究した秘伝の溶液の製法が伝えられている。元々持つ鉱石の色をさらに美しく発色させ、数十年後も描いた当時の美しさを損なわない。
故に各国の王侯貴族のお抱え画家や有名な画家からの注文が引きも切らないのだ。
ナイトレイ侯爵家では、各代に一人必ず色と絵の才能を持つ人間が生まれると言われていて、先代のその人が伯母であるリリィだった。
才能が認められると親族会議の承認の下、絵の具と秘伝の溶液のレシピを伝えられ、ミドルネームを与えられて、絵と絵の具の功績で与えられたナイトレイ伯爵位を継ぐことが決まる。
リリィはごく幼い頃から周囲が唸るほど非凡な才能を見せており、絵の情熱と特に色への拘りは歴代一と言われていた。13歳の時にローズというミドルネームを与えられてナイトレイ家始まって以来の初の女伯爵となり、その年に入った王都のアートアカデミーでも色んな意味で数々の伝説を作り続けていたらしい。
17歳と最年少でアートアカデミーの総裁に抜擢されて以来独身を貫き長年精力的に活動していて、今ではアカデミーの女傑と呼ばれている。
生れ落ちた瞬間にその女傑に見いだされ、ナイトレイ伯爵の象徴であるミドルネームまで与えられた僕は、物心つくころには当然のようにリリィ=ローズ女伯爵の仕事を手伝っていたため、鉱石の調合に加え、特に石と色ごとに変える溶液の調合と濃度や量の使い分けは息をするのと同じくらい体に染みついている。
そんな僕に、唯一作りだせない色がある。
幼い頃から定期的に見る夢で、葉のない大きな木を覆い尽くす様に桃色の小さな花が咲き誇っている風景だ。薄い桃色の小さな花弁が風に乗ってはらはらと舞い落ちる風景が幻想的で美しく、目が覚めるといつもなぜか目に涙がたまっている。
そんな木も花も見たことも聞いた事もなく、子どもの頃は不思議な夢だと思っていただけだったが、長じるにつれ、なぜかその風景を留めておかなければならないような気持ちが募っていった。
しかし、どんな調合をしても描き方を変えても描く紙や布などを変えてみても、あの夢の色にならないのだ。夢を見るたびに取りつかれたように調合しては同じ絵を描いている僕を、伯母は満足そうに見て笑っている。
「どんな色でも作れるなどと驕っているからそんな目に合うんだぞ。同じ色でも自分と同じに見える人間はいないからな。」
そんなことはわかってると、口をとがらせて絵の具に目をおとしていてふと思った。
夢を見ている僕と、夢の中であの花を見ている人間は違うのかもしれない。
13歳になり、領地で絵と絵の具の調合に明け暮れていた僕は正式にレナート=ノア・ド・ナイトレイ小伯爵となり、王都のアートアカデミーに入学することになった。
それと同時にナイトレイ侯爵位は一つ年下の妹ミレリアが継ぐことに正式に決まり、飛び級で王都の王立アカデミーの経営学科に合格した優秀な妹は、僕と一緒に王都のタウンハウスへ向かうことになった。
ミレリアは出発前に開かれた壮行の晩餐会の席で、みんなから祝いの言葉を貰う度にレナートを頼むぞと言われている。
普通は兄の私に言う言葉ではないだろうかと解せぬ思いで見つめていると、ミレリアに呆れた顔で言われた。
「絵の具バカのお兄さまを一人にしてはおけないもの。皆さま心配してくださっているのよ。」
「僕は至って普通だ。」
そう答えると、ワイングラス片手に伯母が言い放った。
「ナイトレイ伯爵の仕事をこなしている時点で変わり者なんだ。そもそも何日も夜通し絵の具の調合をして倒れる人間が普通であるわけがないだろう。ノア、そろそろ自覚を持て。」
周囲を見渡すと皆納得の表情をしている。
ちょっと人としての自信がなくなってきた。
王都と領地は馬車で12日かかる。
言葉としてはわかっていたが、実際移動してみるととんでもなく遠い。気が遠くなるほど遠い。
年に何度も頻繁にこの距離を行き来している伯母のリリィ=ローズは一体どんな体をしているんだ。
女傑と言われる理由の一つが分かった気がした。
なんとか王都にたどり着き、タウンハウスで入学の準備をする。
伯母のリリィ=ローズは馬車から降りると同時にドレスを脱ぎ棄ていつものシンプルなリネンワンピースに着替えてアトリエに籠った。
これから数日は声を掛けてもろくな返事は返ってこないだろう。
二人で移動途中の村や町の風景をスケッチしていたのだが、その中の一場面が気に入ったらしいことは気が付いていた。午後遅く、手を伸ばす夜と昼の色が溶け合ったその空の色は僕の脳裏にも残っている。
メイドから絵の具の調合のメモを渡され、記憶の中にある色を数十色調合していく。
ノックの音にドアを開けると、侍従が朝食の迎えに来ていた。
「そう言う所よ、お兄さま。」
酷い顔色の僕を見て、ミレリアはため息を吐いている。
ますます自信がなくなってきた。
アートアカデミーでは、予想の遥か斜め上に君臨する伯母のリリィ=ローズの弾けっぷりを目の当たりにしながら刺激的な4年間を過ごした。
アートアカデミーの指導に王室主催の展覧会の準備や肖像画の依頼、自身の個展に教会の絵画の補修の請負まで、古い慣例で無駄だと思うものは容赦なく切り捨てて新しい試みや新しい人材を勝手に採用していく。お金を出す大臣相手にさえ文句を言わせない迫力満点の姿に驚き、新しいものを取り入れる際に必要な研究は、玉石混淆のまま手当たり次第に実験するので、派手に失敗しては頭を抱える出資者の背中をバンバン叩いて豪快に笑っていたり。
一応は侯爵令嬢だったのだが、きっと若い頃から令嬢という言葉とは無縁だったのだろう。
アカデミー卒業間近のある日、ミレリアに言ってみた。
「伯母のリリィ=ローズに比べるとやっぱり僕は普通の人間だと思う。」
ミレリアは遠い目をして答えた。
「…比べる対象を絞ったことは評価しますわ。でも、相変わらずそう言う所ですわよ、お兄さま。」
王都に来てから、僕にはもう一つ居場所が出来た。
タウンハウスのアトリエは伯母のリリィ=ローズが占拠していて僕の作業場は調色室のみだったので、ナイトレイ侯爵家が支援して、今ではミレリアが管理している王都の教会に併設する孤児院で絵や勉強を教える代わりに空いている部屋を一つ貸してもらえることになったのだ。
理由は簡単、タウンハウスから歩いて数分の立地と、何よりそこでの僕の行動は全てミレリアに報告が上がり、行動が把握できるからだ。そして、食事の時間には従者が必ず迎えに来る。
この頃には少し人と違うと自覚し始めたこともあり、将来の侯爵が妹であるミレリアで本当にありがたいと思った。壮行会の親戚の言葉も納得だ。
アートアカデミーを卒業後は、アートアカデミー唯一の調色博士として研究所と部屋を与えられる事になっているが、教会の部屋はそのまま貸してもらっている。
王家の肖像画家の打診には、まだ返事をする決心がつかないでいる。
ここで、今ではライフワークとなったあの夢の中の薄桃色の花を描き続けている。
繰り返し夢に出てくるその風景を、どうしても書き留めておきたい。
忘れることなど出来ないし、絶対に忘れてはいけないとも強く思う。
ここへ来てからもう100枚以上描いた絵のどれもが今はまだ納得できていない。
それでもきっといつか、必ず納得できる風景を書き留める事が出来ると不思議な確信があるのだ。
今日は僕の結婚式
義父になるブルク侯爵にエスコートされ、舞い散る桜の花びらよりも美しく、優雅にバージンロードを僕の下へと歩む最愛の花嫁。
神託の巫女と呼ばれ、自身よりも皆の幸せのために生きてきた彼女を誰よりも幸せにすると誓う日。
幸せな僕の結婚までの話を聞いて欲しい。
◇・◇・◇・◇
僕はエーヴェル王国最西に領地を持つナイトレイ侯爵家の長男として生を受けた。
名前は レナート=ノア。生れ落ちた瞬間、伯母のリリィ=ローズ ・ ド・ ナイトレイ女伯爵が勝手に名付けてしまったそうだ。
ナイトレイの領地は広大な山岳地帯を有し、その山々から採掘される様々な鉱石を加工し製品として近隣諸国をはじめ、遥か遠方の国々へも流通させている。
鉱石だけなら珍しいものではないが、買い付けの商人や使者がわざわざ遠方から訪れる目当ては絵の具だ。
ナイトレイ産の鉱石は群を抜いた色鮮やかさが特徴だ。
更に、細かく砕いた鉱石の粉を絵の具として描面に定着させるためには動物の皮や骨や腱などから煮だした溶液を混ぜる必要があるのだが、ナイトレイ家には長年研究した秘伝の溶液の製法が伝えられている。元々持つ鉱石の色をさらに美しく発色させ、数十年後も描いた当時の美しさを損なわない。
故に各国の王侯貴族のお抱え画家や有名な画家からの注文が引きも切らないのだ。
ナイトレイ侯爵家では、各代に一人必ず色と絵の才能を持つ人間が生まれると言われていて、先代のその人が伯母であるリリィだった。
才能が認められると親族会議の承認の下、絵の具と秘伝の溶液のレシピを伝えられ、ミドルネームを与えられて、絵と絵の具の功績で与えられたナイトレイ伯爵位を継ぐことが決まる。
リリィはごく幼い頃から周囲が唸るほど非凡な才能を見せており、絵の情熱と特に色への拘りは歴代一と言われていた。13歳の時にローズというミドルネームを与えられてナイトレイ家始まって以来の初の女伯爵となり、その年に入った王都のアートアカデミーでも色んな意味で数々の伝説を作り続けていたらしい。
17歳と最年少でアートアカデミーの総裁に抜擢されて以来独身を貫き長年精力的に活動していて、今ではアカデミーの女傑と呼ばれている。
生れ落ちた瞬間にその女傑に見いだされ、ナイトレイ伯爵の象徴であるミドルネームまで与えられた僕は、物心つくころには当然のようにリリィ=ローズ女伯爵の仕事を手伝っていたため、鉱石の調合に加え、特に石と色ごとに変える溶液の調合と濃度や量の使い分けは息をするのと同じくらい体に染みついている。
そんな僕に、唯一作りだせない色がある。
幼い頃から定期的に見る夢で、葉のない大きな木を覆い尽くす様に桃色の小さな花が咲き誇っている風景だ。薄い桃色の小さな花弁が風に乗ってはらはらと舞い落ちる風景が幻想的で美しく、目が覚めるといつもなぜか目に涙がたまっている。
そんな木も花も見たことも聞いた事もなく、子どもの頃は不思議な夢だと思っていただけだったが、長じるにつれ、なぜかその風景を留めておかなければならないような気持ちが募っていった。
しかし、どんな調合をしても描き方を変えても描く紙や布などを変えてみても、あの夢の色にならないのだ。夢を見るたびに取りつかれたように調合しては同じ絵を描いている僕を、伯母は満足そうに見て笑っている。
「どんな色でも作れるなどと驕っているからそんな目に合うんだぞ。同じ色でも自分と同じに見える人間はいないからな。」
そんなことはわかってると、口をとがらせて絵の具に目をおとしていてふと思った。
夢を見ている僕と、夢の中であの花を見ている人間は違うのかもしれない。
13歳になり、領地で絵と絵の具の調合に明け暮れていた僕は正式にレナート=ノア・ド・ナイトレイ小伯爵となり、王都のアートアカデミーに入学することになった。
それと同時にナイトレイ侯爵位は一つ年下の妹ミレリアが継ぐことに正式に決まり、飛び級で王都の王立アカデミーの経営学科に合格した優秀な妹は、僕と一緒に王都のタウンハウスへ向かうことになった。
ミレリアは出発前に開かれた壮行の晩餐会の席で、みんなから祝いの言葉を貰う度にレナートを頼むぞと言われている。
普通は兄の私に言う言葉ではないだろうかと解せぬ思いで見つめていると、ミレリアに呆れた顔で言われた。
「絵の具バカのお兄さまを一人にしてはおけないもの。皆さま心配してくださっているのよ。」
「僕は至って普通だ。」
そう答えると、ワイングラス片手に伯母が言い放った。
「ナイトレイ伯爵の仕事をこなしている時点で変わり者なんだ。そもそも何日も夜通し絵の具の調合をして倒れる人間が普通であるわけがないだろう。ノア、そろそろ自覚を持て。」
周囲を見渡すと皆納得の表情をしている。
ちょっと人としての自信がなくなってきた。
王都と領地は馬車で12日かかる。
言葉としてはわかっていたが、実際移動してみるととんでもなく遠い。気が遠くなるほど遠い。
年に何度も頻繁にこの距離を行き来している伯母のリリィ=ローズは一体どんな体をしているんだ。
女傑と言われる理由の一つが分かった気がした。
なんとか王都にたどり着き、タウンハウスで入学の準備をする。
伯母のリリィ=ローズは馬車から降りると同時にドレスを脱ぎ棄ていつものシンプルなリネンワンピースに着替えてアトリエに籠った。
これから数日は声を掛けてもろくな返事は返ってこないだろう。
二人で移動途中の村や町の風景をスケッチしていたのだが、その中の一場面が気に入ったらしいことは気が付いていた。午後遅く、手を伸ばす夜と昼の色が溶け合ったその空の色は僕の脳裏にも残っている。
メイドから絵の具の調合のメモを渡され、記憶の中にある色を数十色調合していく。
ノックの音にドアを開けると、侍従が朝食の迎えに来ていた。
「そう言う所よ、お兄さま。」
酷い顔色の僕を見て、ミレリアはため息を吐いている。
ますます自信がなくなってきた。
アートアカデミーでは、予想の遥か斜め上に君臨する伯母のリリィ=ローズの弾けっぷりを目の当たりにしながら刺激的な4年間を過ごした。
アートアカデミーの指導に王室主催の展覧会の準備や肖像画の依頼、自身の個展に教会の絵画の補修の請負まで、古い慣例で無駄だと思うものは容赦なく切り捨てて新しい試みや新しい人材を勝手に採用していく。お金を出す大臣相手にさえ文句を言わせない迫力満点の姿に驚き、新しいものを取り入れる際に必要な研究は、玉石混淆のまま手当たり次第に実験するので、派手に失敗しては頭を抱える出資者の背中をバンバン叩いて豪快に笑っていたり。
一応は侯爵令嬢だったのだが、きっと若い頃から令嬢という言葉とは無縁だったのだろう。
アカデミー卒業間近のある日、ミレリアに言ってみた。
「伯母のリリィ=ローズに比べるとやっぱり僕は普通の人間だと思う。」
ミレリアは遠い目をして答えた。
「…比べる対象を絞ったことは評価しますわ。でも、相変わらずそう言う所ですわよ、お兄さま。」
王都に来てから、僕にはもう一つ居場所が出来た。
タウンハウスのアトリエは伯母のリリィ=ローズが占拠していて僕の作業場は調色室のみだったので、ナイトレイ侯爵家が支援して、今ではミレリアが管理している王都の教会に併設する孤児院で絵や勉強を教える代わりに空いている部屋を一つ貸してもらえることになったのだ。
理由は簡単、タウンハウスから歩いて数分の立地と、何よりそこでの僕の行動は全てミレリアに報告が上がり、行動が把握できるからだ。そして、食事の時間には従者が必ず迎えに来る。
この頃には少し人と違うと自覚し始めたこともあり、将来の侯爵が妹であるミレリアで本当にありがたいと思った。壮行会の親戚の言葉も納得だ。
アートアカデミーを卒業後は、アートアカデミー唯一の調色博士として研究所と部屋を与えられる事になっているが、教会の部屋はそのまま貸してもらっている。
王家の肖像画家の打診には、まだ返事をする決心がつかないでいる。
ここで、今ではライフワークとなったあの夢の中の薄桃色の花を描き続けている。
繰り返し夢に出てくるその風景を、どうしても書き留めておきたい。
忘れることなど出来ないし、絶対に忘れてはいけないとも強く思う。
ここへ来てからもう100枚以上描いた絵のどれもが今はまだ納得できていない。
それでもきっといつか、必ず納得できる風景を書き留める事が出来ると不思議な確信があるのだ。