私と僕の、幸せな結婚までのお話

幻ではなかった花

研究所が休みの今日、朝から部屋で絵を描いていると周囲が騒がしくなってきた。
窓から通りを見ると、伯母のリリィ=ローズとミレリアが出迎え、王家の馬車から第四王子のフィリップ殿下が降りて来た。
僕が今日ここにいる事はミレリアには言っていなかったからいないことになってるんだろうな。挨拶にもいかなくて良いか。
そう思って作業に戻ってしばらくすると後ろから声がかかった。

「やっぱり素晴らしいな」

驚いて顔を上げると第四王子のフィリップ殿下その人が入口に立っていた。
慌てて礼を取ろうとしたところ、レナート殿に会いたくてミレリア嬢に無理を言って休みの日に急に押しかけて来てしまったのはこちらだからと止められた。

「先日、大叔父上のフランシア大公夫妻の肖像画を描いただろう?それを自慢されて見せてもらった絵は本当に素晴らしかった。誇張も若作りも一切していないのに、しわの一本まで忠実に書かれているにも関わらず、美しいと思ってしまった。お二人の内面の人柄がにじみ出ているようで、羨ましかったんだ。
是非、来月の私と婚約者の聖女ココの成婚の肖像画を君の筆に委ねたいんだ。」

そう言われてとても光栄だったが、私は私の見たまましか書けませんと正直に答えた。

「伯母のリリィ=ローズも、見たままにしか描けずご婦人方には不人気と聞きますし…」

と、困った表情を向けるとフィリップ殿下が私のあの薄桃色の花の絵を目を見開いて食い入るように見つめている。
声を掛けると、はっと我に返った様子で真剣な表情で聞かれた。

「レナート殿は、桜を見たことがあるのか?」

食い入るように見つめられて、少々驚きながら否定した。

「いえ、これは子供のころからずっと夢に見続けている風景なんです。その花の名前は今知りました。
殿下はこの花を良くご存じなのでしょうか。この国でも近隣の国でも見たことがないので、長い間、幼い私の想像の産物だと思っていました。」

僕は他の膨大な数の桜の絵も見せながらさらに続けた。

「どんなに思い出しながら描いても描いても、夢と同じにならないのです。
この花が夢に出てきたときは、切ないような悲しいような不思議な気持ちになるんです。
忘れたくない、絶対忘れてはいけないとも強く思っていて、目が覚めると描き留めずにいられない。
そんな風に過ごすうちに、こんな枚数になってしまいました。
本物と比べてどうですか?」

そう言ってフィリップ殿下を振り返ると、思いつめたような表情で絵をじっと見ている。

「桜は、今は使っていない王宮の北にある離宮の庭にたくさんある。王宮内でも王族しか入れない場所で閉鎖されているから知る人はほとんどいないが…。
数代前の国王が当時の聖女を見初めて、教会は聖女を妾として差し出したんだ。
彼女は離宮に迎えられたけど、王妃やその周辺から守ってくれる人がいなくて体を壊してしまった。
その聖女を慰めるために、彼女が好きだと言った桜に似た木を大陸の端からさらに海を渡った先にある国から取り寄せたと聞いている。」

そう言いながら、なおもフィリップ殿下はじっと桜の絵を見つめている。

「…そうですか。切ない話ですね…。」

そういうと、フィリップ殿下は慌てて続けた。

「いや、そんなことは無いんだ! 桜は聖女が居た世界では春を告げる象徴の花で、民は皆桜が咲く日を指折り数えて楽しみにしているそうだ。咲き始めから散るまで10日程しかないから、桜の時期は春の訪れを祝う祭りの時期でもあるらしい。」

振り返ったフィリップ殿下に肩を掴まれて約束させられた。肖像画の件は出来ればよい返事をもらいたいが、それよりも! 次の桜の時期に離宮に招待するからぜひ本物の桜を見に来て欲しい。絶対来ると約束してくれと。

私が、分かりましたと返事をすると、フィリップ殿下はなんだか慌てた様子で戻っていった。

何だったんだろう。

そう思いながら思わずそばに広げた桜の絵たちに笑いかけてしまった。

「君たちは桜って言う名前だったんだな。」

この花の名前が分かり、しかも近々本物を見る事が出来るなんてことが一気に起こるなど思ってもみなかった。ずっと会いたい人にやっと会えるような高揚感がなんだか不思議だった。
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