私と僕の、幸せな結婚までのお話
兄の最大の理解者として -ミレリア視点-
お兄さまは自分の才能に無自覚すぎる。
本人は、私や家族が揶揄っていう「絵の具バカ」を、至って真面目にその通りに受け止めている。
それもこれも、リリィ伯母様が子供のころからナイトレイ伯爵家の仕事をさせたりするからいけなかったんだわ。
生まれてすぐにナイトレイ伯爵家の後継象徴であるミドルネームまで勝手につけてしまったことも、まだ年端の行かない幼児のお兄さまにナイトレイ伯爵家の秘伝を教えてあろうことかその作業をさせたりすることに親戚たちはお冠だったが、普通の人では到底出来ない調色をはじめ、スケッチやデッサンなどもリリィ伯母様の適当すぎる説明を一度聞いただけで当たり前に出来てしまうお兄さまを見て認めざるを得なくなったようで、リリィ伯母様には誰も何も言えなくなってしまった。お陰でリリィ伯母様はナイトレイ伯爵の仕事の大半をお兄さまに任せて、それはもうやりたい放題に生きている。
お兄さまの最大のマイナスポイントは、肖像画が苦手だと思っている事だ。
手前みそと言われようと、私はお兄さまの描く肖像画よりも素晴らしい絵を見たことがない。
領地に居た時には毎年必ず家族の肖像画を描いていた。
お兄さまは皆を前に坐らせてポーズを取らせたりしない。みんなを集めて談笑させるのだ。みんなの楽しそうな会話を聞きながら、透き通るような眼差しを向けてその様子を描いていく。
出来上がった肖像画は、誇張は一切なくもその絵の中の人たちから笑い声が聞こえてきそうなほど生き生きしている。使用人たちの結婚式には必ず式に駆け付け、その幸せ溢れる一場面を祝福の声ごと切り取ったような絵を祝いとして送る。
正に天才、その一言に尽きる。
しかし当の本人はその完成を見て、やっぱり見たままにしか描けないとため息を吐いているのを見ると、目を覚ませと頬を張りたくなってくる。一応令嬢なのでやりませんけれども。
もし本当にやってしまっても、良くやったと褒めてもらえる自信がある。
リリィ伯母様曰く、ノアが見ている世界と私たち大多数が見ている世界がきっと違うんだろうから、どんなに言って聞かせても無駄。なのだそう。
先日、フランシア大公夫妻の銀婚式の肖像画を依頼され、お二人はわざわざ我が侯爵邸のタウンハウスへ足を運んで下さった。
お二人からは出会った頃のお話やご夫婦円満の秘訣など、息の合った掛け合いを楽しく伺いながら、お兄さまはいつもの透き通る瞳を楽し気に細めてお二人の姿を描き留めていた。
そして出来上がった肖像画をお届けした日、その絵を前にモデルのフランシア大公夫妻はじめ、御家中の皆さんが息を飲んだのが分かった。長年培った深い愛情と信頼、お互いを思いやり寄り添う柔らかな雰囲気、そして、若さだけでは到底適わない年を重ねた深みのある美しさ。
大公妃様は涙を浮かべて褒めて下さった。
レナート様にお願いして本当に良かったと。
フランシア大公夫妻の銀婚式のパーティーは、それは華やかなものだったそうだ。
広間にはあの肖像画が掲げられ、招待客から挨拶を受けるたびに自慢していたのだとか。
そして今日、学園で同じクラスの第四王子フィリップ殿下に呼び止められたのだ。
「ナイトレイ小伯爵はミレリア嬢の兄上だよね。肖像画をお願いしたいのだけれど、紹介してもらえないだろうか。」
お兄さまにはどこかで自信をつけてもらって肖像画家としても大成してほしい。
そう思って、同級生の今しか直に接するチャンスがないフィリップ殿下に思い切って伝えてみた。
「兄に肖像画を依頼するとき、事前にアポイントを取ろうとするとしり込みして逃げます。
突然訪ねて考える暇を与えずに承諾させるのがコツです。
失礼ながらフランシア大公ご夫妻にもそうしていただきました。
今日、兄は休みで孤児院の作業場に居るはずです。不躾で申し訳ございませんが、本日孤児院にいらしていただければ成功率は高いかと。」
フィリップ殿下は心底驚いたように聞き返してきた。
「あの絵を描いた人物が何をしり込みするの? 私も見たんだが、本当に素晴らしい出来だった。」
「兄曰く、見たままにしか描けなくて申し訳ないのだと。」
怪訝な表情を浮かべたフィリップ殿下は、では今日の午後に伺うよと手を振ってココ様たちの待つ席へと戻っていった。
第四王子フィリップ殿下と聖女ココ様が女神さまのご神託によってご婚約されたのはもう10年も前の事だ。
巫女として神託を授けたのは当時フィリップ殿下の婚約者だったブルク侯爵家のルイーゼ様だった。
ルイーゼ様は神託の奇跡を起こした後、フィリップ殿下の婚約者だったことや聖女ココ様と共に交流を深めていた間の記憶を女神さまにお返ししたと聞いている。
その間のお二人と過ごした記憶が一切ないのは周囲の皆が何度も確認し、結局その神託通りにルイーゼ様との婚約は白紙とされ、フィリップ殿下と聖女ココ様の婚約が成ったのだ。
教会関係者やそれに追従する人々は声高に聖女ココ様を王家が取り込むための陰謀であり神への冒涜だと言い募り、結果として王家が侯爵令嬢であるルイーゼ様を蔑ろにする行為となったことに眉を顰める貴族家も多かった。
しかし、当のルイーゼ様が身寄りのない聖女ココ様をブルク侯爵家の養女に迎える事を強く願い、義姉となったココ様と婚約者のフィリップ殿下の強力な後ろ盾となって、矢面に立ち続けたのだ。
同情を装いつつルイーゼ様からお二人への負の言葉を引き出そうとする人物や噂を駆使して貶めようとする人々は後を絶たなかったらしいが、神託の巫女は一筋縄ではいかなかった。
10歳にも満たない少女でありながら、当時の老獪な大司教様と互角に対峙する才女の見事な切り替えしで次々に返り討ちにして行く姿に、彼女の前でフィリップ様と聖女ココ様へ不遜な態度を表に出す人間はいなくなった。
そして、聖女ココ様の革新的な医療知識とフィリップ王子と共に精力的に行う公衆衛生への献身的な取り組みが流行り病の拡大防止と初期の抑え込みに絶大な効果を顕したことで未来の第四王子夫妻としての功績は誰の目にも明らかだった。
『聖女ココの英知は広く王国民に提供されるものであり、教会の中で奇跡を生み出す類いの物ではない。聖女ココは王族の伴侶となり、国のためにその英智と奇跡を公開する』
奇しくも神託の予言通りの結果に、フィリップ殿下と聖女ココ様の地位も信望も揺るぎないものとなっている。
そしてその陰には常にルイーゼ様の献身と彼女を支えるワイマー大公閣下の姿があった。
聖女ココ様の医療や公衆衛生の知識に肉付けをして対策や有効な流布方法を考え、施策を行うための資金調達方法から周辺貴族への根回しや効果的な支援要請案まで、新しい政策の度に宰相閣下が舌を巻く程完璧な請願書が届くという。
あれから10年、彼らの数々の功績や血の滲むような努力を尻目に、フィリップ殿下と聖女ココ様の結婚式を間近に控えた今、学園内でかつての噂をひそやかに囁く者が現れ始めた。
婚約者を捨てた薄情な王子
婚約者から王子を奪った性悪な聖女
婚約者を聖女に奪われた魅力のない令嬢
妬みは人の心の窓を曇らせる。
曇った窓の向こうに締め出して見えないからと言って彼らの功績や努力は無くならない。
見えないのは締め出した本人たちだけだと気づいた時にはもう遅いというのに。
学園の庭園の隅で噂話を囁き合っている令嬢たちを見かけて、ふと、お兄さまに彼女らの肖像画を描かせたらどんな絵になるだろうと思った。
だめだ、お兄さまのあの透き通った瞳にこの醜悪なものを写してはいけない。
あのお兄さまの透き通った瞳には、彼の描く絵に相応しい美しいものだけを映すのだ。
女侯爵の地位は高い。
お兄さまの才能を守るために地位と財産をフル活用できる私をお兄さまの妹に選んだ神様を、とっても褒めて差し上げたい。
本人は、私や家族が揶揄っていう「絵の具バカ」を、至って真面目にその通りに受け止めている。
それもこれも、リリィ伯母様が子供のころからナイトレイ伯爵家の仕事をさせたりするからいけなかったんだわ。
生まれてすぐにナイトレイ伯爵家の後継象徴であるミドルネームまで勝手につけてしまったことも、まだ年端の行かない幼児のお兄さまにナイトレイ伯爵家の秘伝を教えてあろうことかその作業をさせたりすることに親戚たちはお冠だったが、普通の人では到底出来ない調色をはじめ、スケッチやデッサンなどもリリィ伯母様の適当すぎる説明を一度聞いただけで当たり前に出来てしまうお兄さまを見て認めざるを得なくなったようで、リリィ伯母様には誰も何も言えなくなってしまった。お陰でリリィ伯母様はナイトレイ伯爵の仕事の大半をお兄さまに任せて、それはもうやりたい放題に生きている。
お兄さまの最大のマイナスポイントは、肖像画が苦手だと思っている事だ。
手前みそと言われようと、私はお兄さまの描く肖像画よりも素晴らしい絵を見たことがない。
領地に居た時には毎年必ず家族の肖像画を描いていた。
お兄さまは皆を前に坐らせてポーズを取らせたりしない。みんなを集めて談笑させるのだ。みんなの楽しそうな会話を聞きながら、透き通るような眼差しを向けてその様子を描いていく。
出来上がった肖像画は、誇張は一切なくもその絵の中の人たちから笑い声が聞こえてきそうなほど生き生きしている。使用人たちの結婚式には必ず式に駆け付け、その幸せ溢れる一場面を祝福の声ごと切り取ったような絵を祝いとして送る。
正に天才、その一言に尽きる。
しかし当の本人はその完成を見て、やっぱり見たままにしか描けないとため息を吐いているのを見ると、目を覚ませと頬を張りたくなってくる。一応令嬢なのでやりませんけれども。
もし本当にやってしまっても、良くやったと褒めてもらえる自信がある。
リリィ伯母様曰く、ノアが見ている世界と私たち大多数が見ている世界がきっと違うんだろうから、どんなに言って聞かせても無駄。なのだそう。
先日、フランシア大公夫妻の銀婚式の肖像画を依頼され、お二人はわざわざ我が侯爵邸のタウンハウスへ足を運んで下さった。
お二人からは出会った頃のお話やご夫婦円満の秘訣など、息の合った掛け合いを楽しく伺いながら、お兄さまはいつもの透き通る瞳を楽し気に細めてお二人の姿を描き留めていた。
そして出来上がった肖像画をお届けした日、その絵を前にモデルのフランシア大公夫妻はじめ、御家中の皆さんが息を飲んだのが分かった。長年培った深い愛情と信頼、お互いを思いやり寄り添う柔らかな雰囲気、そして、若さだけでは到底適わない年を重ねた深みのある美しさ。
大公妃様は涙を浮かべて褒めて下さった。
レナート様にお願いして本当に良かったと。
フランシア大公夫妻の銀婚式のパーティーは、それは華やかなものだったそうだ。
広間にはあの肖像画が掲げられ、招待客から挨拶を受けるたびに自慢していたのだとか。
そして今日、学園で同じクラスの第四王子フィリップ殿下に呼び止められたのだ。
「ナイトレイ小伯爵はミレリア嬢の兄上だよね。肖像画をお願いしたいのだけれど、紹介してもらえないだろうか。」
お兄さまにはどこかで自信をつけてもらって肖像画家としても大成してほしい。
そう思って、同級生の今しか直に接するチャンスがないフィリップ殿下に思い切って伝えてみた。
「兄に肖像画を依頼するとき、事前にアポイントを取ろうとするとしり込みして逃げます。
突然訪ねて考える暇を与えずに承諾させるのがコツです。
失礼ながらフランシア大公ご夫妻にもそうしていただきました。
今日、兄は休みで孤児院の作業場に居るはずです。不躾で申し訳ございませんが、本日孤児院にいらしていただければ成功率は高いかと。」
フィリップ殿下は心底驚いたように聞き返してきた。
「あの絵を描いた人物が何をしり込みするの? 私も見たんだが、本当に素晴らしい出来だった。」
「兄曰く、見たままにしか描けなくて申し訳ないのだと。」
怪訝な表情を浮かべたフィリップ殿下は、では今日の午後に伺うよと手を振ってココ様たちの待つ席へと戻っていった。
第四王子フィリップ殿下と聖女ココ様が女神さまのご神託によってご婚約されたのはもう10年も前の事だ。
巫女として神託を授けたのは当時フィリップ殿下の婚約者だったブルク侯爵家のルイーゼ様だった。
ルイーゼ様は神託の奇跡を起こした後、フィリップ殿下の婚約者だったことや聖女ココ様と共に交流を深めていた間の記憶を女神さまにお返ししたと聞いている。
その間のお二人と過ごした記憶が一切ないのは周囲の皆が何度も確認し、結局その神託通りにルイーゼ様との婚約は白紙とされ、フィリップ殿下と聖女ココ様の婚約が成ったのだ。
教会関係者やそれに追従する人々は声高に聖女ココ様を王家が取り込むための陰謀であり神への冒涜だと言い募り、結果として王家が侯爵令嬢であるルイーゼ様を蔑ろにする行為となったことに眉を顰める貴族家も多かった。
しかし、当のルイーゼ様が身寄りのない聖女ココ様をブルク侯爵家の養女に迎える事を強く願い、義姉となったココ様と婚約者のフィリップ殿下の強力な後ろ盾となって、矢面に立ち続けたのだ。
同情を装いつつルイーゼ様からお二人への負の言葉を引き出そうとする人物や噂を駆使して貶めようとする人々は後を絶たなかったらしいが、神託の巫女は一筋縄ではいかなかった。
10歳にも満たない少女でありながら、当時の老獪な大司教様と互角に対峙する才女の見事な切り替えしで次々に返り討ちにして行く姿に、彼女の前でフィリップ様と聖女ココ様へ不遜な態度を表に出す人間はいなくなった。
そして、聖女ココ様の革新的な医療知識とフィリップ王子と共に精力的に行う公衆衛生への献身的な取り組みが流行り病の拡大防止と初期の抑え込みに絶大な効果を顕したことで未来の第四王子夫妻としての功績は誰の目にも明らかだった。
『聖女ココの英知は広く王国民に提供されるものであり、教会の中で奇跡を生み出す類いの物ではない。聖女ココは王族の伴侶となり、国のためにその英智と奇跡を公開する』
奇しくも神託の予言通りの結果に、フィリップ殿下と聖女ココ様の地位も信望も揺るぎないものとなっている。
そしてその陰には常にルイーゼ様の献身と彼女を支えるワイマー大公閣下の姿があった。
聖女ココ様の医療や公衆衛生の知識に肉付けをして対策や有効な流布方法を考え、施策を行うための資金調達方法から周辺貴族への根回しや効果的な支援要請案まで、新しい政策の度に宰相閣下が舌を巻く程完璧な請願書が届くという。
あれから10年、彼らの数々の功績や血の滲むような努力を尻目に、フィリップ殿下と聖女ココ様の結婚式を間近に控えた今、学園内でかつての噂をひそやかに囁く者が現れ始めた。
婚約者を捨てた薄情な王子
婚約者から王子を奪った性悪な聖女
婚約者を聖女に奪われた魅力のない令嬢
妬みは人の心の窓を曇らせる。
曇った窓の向こうに締め出して見えないからと言って彼らの功績や努力は無くならない。
見えないのは締め出した本人たちだけだと気づいた時にはもう遅いというのに。
学園の庭園の隅で噂話を囁き合っている令嬢たちを見かけて、ふと、お兄さまに彼女らの肖像画を描かせたらどんな絵になるだろうと思った。
だめだ、お兄さまのあの透き通った瞳にこの醜悪なものを写してはいけない。
あのお兄さまの透き通った瞳には、彼の描く絵に相応しい美しいものだけを映すのだ。
女侯爵の地位は高い。
お兄さまの才能を守るために地位と財産をフル活用できる私をお兄さまの妹に選んだ神様を、とっても褒めて差し上げたい。