記憶を失くした御曹司と偽りの妻

プロローグ

「君は俺の妻だろう？」

目を覚ましたあなたが、真っ直ぐ私を見てそう言った瞬間——頭の中で何かが、きれいに音を立てて崩れた。

病室の白は、やけに眩しい。
消毒液の匂いと、機械の規則正しい電子音。窓の外は夜明け前で、雨上がりの街灯が濡れたガラスに滲んでいた。

私はただ、あなたの視線に射抜かれたまま固まっていた。

「……え？」

声が情けないくらい小さい。
だって、さっきまで私は通りすがりに事故にあったあなたを救助しただけの人間だったはずなのに。

あなたは、まるで当然のように言う。

「……違います。私は……」

妻じゃないって言おうとして、言葉が喉でつかえた。

この先に待っているのが、甘い日々なのか、取り返しのつかない嘘なのか。
まだ、何も知らない。

ただひとつだけ確かなことは——

あの病室で、あなたが言った一言が、私の世界の全部を、書き換えてしまったということ。

「君は俺の妻だろう？」

そう言われた瞬間から。