定時退社の主任には秘密がある

エピローグ

 その日の夜、柚亜と東海林は帰宅途中の公園で缶ビールを傾けていた。お疲れ会をしようと東海林から提案されたものの、行きたい店は軒並み臨時休業。ふらついていたら遅くなってしまい、コンビニで酒を買って飲もうと柚亜から提案した。
「今日疲れましたね」
「そうですね、色々ありましたし……主任と仕事するのが最後だと思うと、色々……」
「色々ばっかりだ」
 小さく東海林が笑う。空を仰ぐと、冬空に星が輝いていた。白い息を吐く。
「これで最後ですね」
「まだ一ヶ月ちょっとは出勤しますけどね。でもそうですね、最後か……」
 東海林は缶ビールを傾けて一息つく。
「ーー僕、ちょっと本社に行きたくないと思ってます」
「え、なんで……」
「貴方と離れたくない」
 驚いている柚亜に東海林は顔を赤らめて言った。
「好きです。最初出会った時ーーあの時から目が離せなくて、ずっと心配でした。でも人となりや仕事ぶりを知って、それで今日のプレゼンを見て、仕事では僕はいなくてもいいんだな、と思った」
「そんなことは」
 そう見えていたとしたら、そう見せようとしていたからだ。今日のプレゼンだって、東海林がいなかったらオロオロしてばかりで三峰を帰らせていただろう。
 だが、東海林は首を横に振る。
「嫌なんです。中村さんにいらないって言われるのが。一緒にいるのが楽しい、辛い時は頼ってもらいたい、いつでも側にいたい。そういうのが毎日のように積み重なって、離れる前に伝えるだけでもしたかった」
 東海林の告白に、柚亜は驚いたままだった。
(だって、脈なんてなくて、だから私は諦めて……)
 でもそれが勘違いだったら?
 柚亜は東海林に「好きだ」なんて一言も言っていない。それが原因ですれ違っていたとしたら。
「中村さんは、どうですか」
 真剣な表情で東海林は言う。
「私は……」
 柚亜は乾いた口内を生唾を飲んで落ち着かせる。自分は、東海林のことが好きだ。まだ、男性を、好きになった人を信じるのは怖い。また裏切られるんじゃないかとか、別れが来るんじゃないかと怯えてしまいそうだ。それは嘘じゃない。
 でも、東海林となら、東海林との未来なら信じてみたいと思った。
「主任が、好きです」
 声が澄んだ空気に溶けるように解けた。
「多分、このプレゼンが……いや、私も腕を掴んでホームに引き戻してくれた瞬間に恋に落ちたんだと思います」
 そう伝えると、東海林は困ったように微笑む。
「なんか、あの瞬間に運命変わっちゃったみたいですね」
「そうかもしれません。あの時出会わなければ、入社もせず、こうやって仕事をすることもせず、恋もしなかった」
 運命が変わった瞬間がいつか、なんで聞かれたら柚亜はこう答える。人生で一番絶望した五分間が好きな人との出会いを与えてくれて、人生で一番動揺した五分間が、覚悟を与えてくれたと。なんだか恋して結婚して離婚した、そんな大イベントより、たった数分が自分の人生や覚悟を大きく帰るなんて変な話だ。
「……会いに来ますね」
「京都から?」
「長期休みのたびに会いに来ます」
「……それは、嬉しいかもです」
 缶ビールを一口含む。そうすると東海林がこちらを見ていて、柚亜もそちらを見つめた。
「貴方に出会った時、声をかけて本当によかった。たくさんの貴方を知れて、本当に……」
 どちらからともなく唇を合わせて。
 そして、星々の囁きより小さな声で二人、笑い合った。
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