定時退社の主任には秘密がある

10話(2/2)

 このままでは三峰が帰ってしまう。
 何か言おうとして、それでも何も出てこずに引き留めることしかできない。助けを求めようと東海林の方を見る。東海林はじっと柚亜の方を見つめていた。
(主任は、私を信じてくれてるのかな。私が、この場をどうにかすることを……)
 自信はない。
 どうにかできる確信もない。
 だけど、あんなに準備をしっかりして、東海林にも期待してもらって。そんな大事なプレゼンをトラブル如きで終わらせたくない。
(主任は側にいるって、大丈夫って何度も言ってくれた。だから……)
 柚亜の口からは既に何を言うか決まっていた。
「待ってください」
 しっかりと、力強く伝える。
「プレゼンはまだ終わってません。席にお掛けください」
「ほう」
「準備に十分時間ください。ーー主任、紙の資料のコピーお願いします。先程誤字チェックで印刷したものがありますよね」
「わかりました」
 東海林が部屋を出ていく。その間にパソコンのバッテリー残量を確認する。二十パーセント。当てにならない。使えない。
 帰ってきた東海林が二人に資料を配る。それを見届けた柚亜は使えないマイクに頼らず声を上げた。
「では、再開いたします」
「原稿は?」
 意地が悪そうに口角を上げる三峰。
「不要です。ーープレゼンは五分で終わらせますので」
 柚亜はパソコンを閉じる。腕を組んだ三峰が少し笑った気がした。
「御社にこの新商品がどう刺さるかと申し上げますと、こちらのデータをご覧ください」
 パソコンの画面を指差す。
「こちらは弊社が独自に集めた文房具ーー特にメモ類において重視すること、をアンケートに取ったデータです。これをご覧になればわかるようにまずは書き心地、次点でデザインを重視する傾向があります」
 沢山の時間をかけたんだ、と自分を鼓舞する。
 自分が仕事ができる方だとは思わない。自信もない。得意なことなんてないし、自己嫌悪することも多い。
 そんな自分でも、これだけは自信を持ってやり遂げたい。
「書き心地については先程体験していただいた通りです。印刷の鮮やかさについてもお手元の商品を見ればわかるように、従来より色が映える特殊な製法を使い製造しています。この製法で表紙や裏表紙に使える厚紙も製造が可能です」
 三峰の反応を伺う。彼は資料ではなく柚亜の方を見ていた。
「SNSの反応を見ますと高級感のある文房具が現状のブームな傾向があります。文房具を扱う御社の市場シェア率は六割ですが、ラインナップを確認すると比較的安価な商品が多く、高級感という点においては商品が少ない印象があるようです。そしてこの度、新しく高級感のあるワンランク上の文房具を作ると聞きましたので弊社からこちらの新商品を提案します……以上です」
 部屋がしんと静まる。ドッと汗が滲む。
 ーーもしかして失敗した?
 不安で心臓が跳ねる。三峰は真面目な顔でペラペラと一度プレゼン資料を確認して、閉じた。
 それから目を細めて拍手する。
「お疲れ様と言おうか。それじゃあ時間がないから私たちはお暇するよ」
 三峰が再度席を立つ。続けて男性社員が荷物を持ってそれに続いた。
(ダメだった……)
 足元が崩れ落ちそうな感覚。下を向いて涙を堪えると、目の前で三峰の革靴の足が止まった。
「東海林くん」
「はい」
 顔を上げると、三峰は柚亜の方を見ていた。不敵に笑う表情は、どこか満足気に見えた。
「女性だからと軽んじていたことを詫びるよ。度胸があるじゃないか。流石は君の一番の部下だ」
「でしょう」
「この案件はポジティブに考えさせてもらう。それから中村くん、次回も提案があった時は担当を頼むよ」
 それは柚亜を認めた、ということだろうか。東海林と顔を合わせ、頷きあう。一度咀嚼した後、そうだと理解し頷いた。
「ありがとうございます!」
 三峰を送り届けた後、東海林と自然と目が合う。東海林は落ち着いた声で「よかったです」と言った。
「すごいです、トラブルがあっても動じずに終わらせるなんて」
「主任がいたからですよ。主任がいたから、大丈夫って、なんとかなるって、そう思ったんです」
 東海林がいたから成功を収めることができた。これで、東海林といられるのは最後だと思うと、切ないけれど、最後に見せられてよかった。貴方がいなくてもやっていけると。大丈夫だと。
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