定時退社の主任には秘密がある

4話

 とは言ったものの。
 あれから二週間、時計の針は十時を指している。何も仕事はプレゼンだけじゃない、日々の雑務に終われ、ろくに準備は進まず残業をしている。
「疲れた……」
 少しだけ休もうと机に突っ伏すと、カタリと机に何かが置かれた音がした。フロアには自分しかいないはずだ、驚いて飛び起きると困った顔の東海林がいた。
「驚かせちゃいましたね」
「な、なんでいるんですか!?」
「別件で珍しく残業指示が降りまして。帰ろうとしたら中村さんがいたので差し入れをと」
「ありがとうございます」
 気遣いに甘えて机の上に置かれたエナジードリンクのプルタブを開ける。口元に持っていくと、パチパチとした炭酸と共に人工的な甘い匂いが鼻についた。
「あ、待ってください。缶のQRだけ読ませてもらってもいいですか?」
「どうぞ、なんのQRなんですか?」
 気にしていなかったが、缶のパッケージにはなんだか変な、キモ可愛いとでもいうのだろうか? スライムと家電製品が融合しているような変なキャラクターとQRコードが印刷されている。味は……ファイナルポーション風味。
「デジタル大戦マホウクエスト、通称マホクエの水晶が当たるQRです。今回コラボ缶で何本も買ってて、あ、会社近くの自販機にコラボ缶があって。で、それで今回は作中最強回復アイテムのファイナルポーション味で……」
 マシンガントークを繰り出した東海林はそこまで言ってハッとした表情をしたあと、顔色を茹蛸のように真っ赤に染めた。
「ちが……今のは……オタクってわけではなくて……」
 思わず吹き出してしまう。この人も完璧じゃないんだ、なんて思うとなんだか親近感が湧いて。
「別に大丈夫ですよ」
「すみません、秘密にしてください……。僕、誰にも自分がオタクなこと話してなくて……」
「いいじゃないですか、好きだったり熱中できるものがあるって」
「引かないんですか?」
「別に普通じゃないですか? 今令和だし、推し活とかも流行ってるし、趣味に全振りしてても」
「そう、ですかね……」
「ええ」
 柚亜はスマートフォンを取り出し『デジタル大戦マホウクエスト』のホームページを開く。
「スマホゲームなんですね」
「はい、チュートリアルもなくて開始一秒で出来るんです。その自由度と手探りさが魅力で」
「へえ」
 ポチポチとスマートフォンを操作し、ストアから件のゲームをダウンロードする。ぐるぐる回るダウンロードボタンを見ながら何気なく呟いた。
「フレンドとかあるんですかね? よかったらフレンドになりませんか?」
 東海林は一瞬目を見開くと、すぐに口を両手で塞ぐ。そこから小さな声が漏れた。
「い、いいんですか?」
「よかったら今度一緒にやりましょう。やり方教えてくださいね」
 表情を途端に明るくする東海林に、柚亜は少しだけ釣られたような気分になった。
「じゃあ、お礼に資料作り一緒に残って手伝います!」
「いいんですか?」
「はい。元々今日は時間指定クエストに間に合わなかったし、そもそも僕は中村さんの上司です。サポートもするって約束しましたしね」
「ありがとうございます! 早速、ここで悩んでて……」
 時計の短針が一周する頃、ようやく満足するレベルの資料ができて柚亜は胸を撫で下ろした。
「すみません、遅くまで残らせちゃって」
「大丈夫ですよ。それよりも女性をこの時間まで残らせてしまって申し訳ない」
「タクシーで帰るので平気です」
「じゃあタクシー乗り場まで送りますね」
 タイムカードをタッチし、エントランスから社外へ出る。外は少し肌寒く、柚亜はコートの前ボタンを閉めた。タクシー乗り場はそこだ。タクシーも目視できているからすぐに乗れそうだ。
「主任、また来週よろしくお願いします」
 柚亜がタクシーに乗り込もうとすると、東海林に腕を掴まれる。それはまるで二年前の再演のようだった。
「あの、LINE教えてください!」
「え……」
「えっと、休日一緒にクエストしたいので……?」
「なんで疑問系」
 きっと自分の眉は下がって、頬が緩んでしまっているだろう。語尾が小さくなる東海林に少しだけ胸が熱くなりながらスマートフォンを見せた。
「QRコード読み込ませてください」
 それから東海林は見えなくなるまで柚亜の乗ったタクシーを見送っていて、また少しだけ頬が緩んだ。
< 5 / 7 >

この作品をシェア

pagetop