「おまけ令嬢」アイリス・クロフォードは、人生をやり直す

12章 デビュタント


 文化祭、もとい婚約破棄裁判が終わり、翌日から夏休みが始まった。
 正直、学園に行かなくていいことにほっとした。
 好奇な目に晒されるのには、これ以上耐えられそうもないから。
 
 夏休みも半ばを過ぎた頃、ケイトがクロフォード邸に遊びに来た。 
 友達が家に来るなんて初めてのことだから、大喜びのマリーがはりきりすぎて、次々に運ばれてくるお菓子に、私もケイトも苦笑いするしかない。
「大丈夫よ、アイリス。新学期が始まる頃には、みんなすっかり忘れているわ」
「そうだといいんだけど……」
 心配そうに眉をハの字にしながら、私の顔を覗き込むケイト。
 ため息混じりに、私はそう答えたのだった。

 ドミニクとセーラは、正式に婚約することになった。       
 あれ程の大騒動になったのだ。
 しかも、裁判を通じてドミニクの評判は地に落ちてしまった。セーラを逃せば、今後まともな婚約者が現れることはないだろう。
 カスティル公爵が、借金はこちらで何とかするからと泣きついて、アングラード侯爵に了承してもらったという噂だが、あくまで噂なので本当のところはわからない。
 ちなみに、クロフォード家が肩代わりしたカスティル家の借金は、分割で返済してもらうことになったそうだ。
 婚約破棄裁判で醜態を晒したカスティル家だが、腐っても公爵は公爵。
 借金の返済が終わるまではその名前を利用できると、父はニヤリと笑うのだった。
 
 ドミニクがセーラを好いていて、二人が相思相愛というのは私の勘違いだったようだ。
 裁判でドミニクが証言した通り、セーラが一方的にドミニクに付き纏い、アングラード侯爵は人見知りで友達がいないセーラの面倒を見るようドミニクに頼み込んでいたらしい。
 そしてカスティル公爵も、アングラード侯爵家をどうにかできる機会を失うのが惜しくなり、セーラを無下にしないようドミニクに言い含めていたそうだ。
(結果的に、アングラード侯爵の念願は叶ったというわけね)
 なぜこんなに詳しく知っているのかというと、自分が立てた作戦が思いのほか上手くいったことに気を良くしたルクスが、方々で情報を仕入れ、それをいちいち報告してくるからだ。

 夏休みの間、ジェレミーに会えなかった。 
 ルクスが遊びに来るよう誘ったけれど、大事な用があるからと断られたらしい。夏休みの間ずっと忙しいそうだ。
 ケイトが遊びに来た以外はイベントらしいイベントもなく、勉強して本を読み、ルクスと一緒に運動したり森へ行って過ごした。
(ジェレミーは何をしているのかな?)
 時々、そんなことを考えた。
(早く、夏休みが終わればいいのに)

 夏休みが明けて、最初の登校日。
 教室のドアを開けると、真っ先にジェレミーの姿を探した。
 だけど、授業が始まっても、お昼休みになっても、ジェレミーは姿を現さなかった。
 放課後になって先生に尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「ジェレミー・シュナイダーは留学しました」  
「えっ?」
 ショックを受けた私たちを見た先生が、
「急なことで、さよならを言えなかったのね」
 と付け加える。
(さよなら?)

 ジェレミーがいなくても、学園生活は平穏に過ぎていった。
 より一層勉強に励み、中間試験では学年で5番以内に入ることができた。
 お昼休みは、エミリーとレイチェルとイザベルが加わって賑やかになった。
 男の子が一人きりで、ルクスは少しだけ肩身が狭そうだ。
 時々、シュナイダー家のコックさんが作る、特大三段重が恋しくなった。

 ふと、学園の至るところで、ジェレミーの姿を探している自分に気づく。
 焦げ茶色の髪の男の子を見かけると、顔を確かめずにはいられない。
 いないと分かっているのに。 
 飴色、レモンイエロー、オレンジ、亜麻色、ライラック。
 目を閉じると、くるくる変わるジェレミーの瞳が浮かんできた。
 だけど、3年を過ぎてもジェレミーは帰って来なかった。

 私とルクスは15歳になった。
 私は、もうすぐデビュタントを迎える。

「デビュタントなのに、エスコートしてくれる男もいないなんてね」
「それはお互い様でしょ! よろしくね、お兄様」
 婚約者のいない私は、同じく婚約者のいないルクスにエスコートして貰うことになっている。
 デビュタントの1週間前、一通の手紙が届いた。
 差出人はシュツルナード家。
 デビュタントのエスコートを息子に任せてほしいという内容だったが、シュツルナードなんて家門は知らないし、貴族名鑑にも載っていない。
(趣味の悪いイタズラね)
 そう思い、ごみ箱に捨てた。
 そうして、デビュタントの当日になった。

「お嬢様、なんてお美しいんでしょう!」
 マリーが感涙の声を上げる。
 白銀の糸で刺繍が施された純白のドレス。
 緩く結い上げた髪の上で輝くダイヤモンドのティアラ。
 ペリドットのイヤリングとネックレスが耳元と首元で光っている。
 マリーとルーシーとリリカが頑張ってくれたおかげで、自分で言うのも何だけれど、いつもより何倍も綺麗に見える。
「あんなに小さかったお嬢様が、こんなに大きくなって……」
 なんて言いながら、人差し指で目の端を拭うマリー。そんなマリーを、ルーシーとリリカが慰めている。
(この三人、いつの間にか仲良しになってるのよね)
「ありがとう、マリー。私が成長したのはマリーのおかげよ」
 マリーの栗色の瞳から、零れ落ちる大粒の涙。
 私は両腕を広げて、そんなマリーを抱きしめた。
 
 マリー、これは本当のことだよ。
 マリーがいたから、私は生きてこられた。

 ドアがノックされ、父とルクスが部屋の中に入って来る。
「この部屋は本当に遠いな。本館に移ってこいと再三言っているのに……」
 文句を言う父の隣で、にやにや笑っているルクス。
「私はこの部屋が気に入っているんです。それよりルクス。何よ、にやにやしちゃって」
「馬子にも衣装ってやつだと思ってね」
「うるさい!」
 前髪を上げて宮廷服に身を包んだルクスは、物語の中の王子様のように麗しい。
(これじゃあ、どちらが主役かわかったものではないわね)
 ルクスに睨みをきかせた私は、マリーとルーシーとリリカに見送られ、自分の部屋を後にしたのだった。
 
 屋敷を出るまでは、父親がエスコートするならわしだ。
 父の腕に自分の腕を絡ませ、長い廊下を歩く。
(そういえば、前世のデビュタントってどうしたんだっけ?)
 最近はめったに思い出さなくなっていた、前世の記憶を呼び起こした。
 前世の15歳の私。
 字が読めず学園を退学になった私は、社交界で「おまけ令嬢」という仇名で呼ばれていた。
 そんな私を社交の場に出すのは恥ずかしいからと、デビュタントには参加させてもらえなかったのだ。
(まさか、お父様のエスコートでデビュタントへ向かう日が来るなんてね)

 玄関に続く大広間の階段を降りる。
 階段を降りている途中で、慌てた様子の執事長がやって来た。
「旦那様、至急面会したいという客人が来ております。シュツルナード子爵家と名乗っているのですが……」
(シュツルナードって、手紙の差出人だわ)
「……通せ」
 父の合図で玄関の扉が開けられ、客人が入って来る。
 逆光で顔は見えない。
 だけど、私はその人を知っている。
「アイリス!」
「ジェレミー!?」
 そこに立っている人を、見間違えるはずがない。
 この3年間、1日たりとも忘れる事ができなかった人なのだから。

 ジェレミーの隣に立つ中年の男性が、私たちに会釈をした。
「シュナイダー家当主、ドイル・シュナイダーと申します。この度王家から爵位を賜り、シュツルナード子爵と名を改めることになりました。アイリスお嬢様、突然の訪問で驚かせてしまいましたが、どうか我が愚息に、お嬢様のエスコートをする機会を与えてはいただけないでしょうか?」
(爵位? エスコート?)
 混乱する私を他所に、父がドイル・シュナイダーと名乗る男性に声をかける。
「何だお前か」
「久しぶりだな、ケイン」
 私と父の後ろに立っていたルクスが、父に尋ねた。
「お知り合いなのですか?」
「王立学園時代のクラスメイトだ。まあ、悪友というやつだな」
 ジェレミーのお父さん、つまりシュナイダー家当主、いや、今はシュツルナード子爵……と父が友人だなんて初耳だ。
「王があれほど爵位をやると言っても拒んでいたのに、いよいよ年貢の納め時だな」
「しがらみばかりの貴族など面倒なだけだったが……。仕方がない。息子の初恋のためさ」
(はつ……こい?)
 シュツルナード子爵が、呆れた顔をしながら話を続けた。
「そもそも、お前がうちからの婚約の打診を断るからこんなことになったんだ」
「すまんすまん。シュナイダー家の息子なら平民でもよかったんだがな。ちょうど、お前が爵位を受け取るよう説得しろと王に頼まれてな。しかも、褒美がレアル運河の独占使用権だ。目も眩むさ。悪いが利用させてもらった」
「相変わらず業突張りなやつだ」
「しかし、そっちの準備が整うまでは、アイリスを誰とも婚約させないという約束は守ったぞ」
 ただでさえわけがわからなくて混乱している私を、父が更に混乱させる。
「まあ、そういうわけだ。アイリス、こいつの息子と婚約してやれ」
「はぁ!?」
 思ったよりドスの利いた声が出ると、それを聞いた父が珍しく声を上げて笑った。
「はっはっは。よし、早速手続きをしよう。ちょうど珍しい酒が手に入ったんだ。シュナイダー……、いや、シュツル……何だったかな。それにしても紛らわしい名前だな。まあ、いい。ドイル、書斎へ行くぞ」
「ああ。不味い酒だったら怒るからな」
 私たちを置いてけぼりにして、父とシュナイダー……いや、シュツルナード子爵は階段を昇って行く。

「アイリス」
 私の名前を、懐かしい声が呼ぶ。
 階段の下まで歩いてきたジェレミーが、私を見上げて手を差し出した。
 髪をセットして、白い宮廷服に身を包んだジェレミー。
 3年ぶりに見るその姿に、私の胸は高鳴り、同時に痛いくらいに締め付けられた。
「ジェレミー……」
 一段一段、踏みしめるように階段を降りる。
 最後の一段を降りた私は、ジェレミーの手を取った。
「思ったより色々な手続きに時間が掛かってしまって……。でも、デビュタントに間に合って本当に良かった。アイリス、会いたかった」
「私も! 私も会いたかった。だけどジェレミー、さっきの婚約って……」
 私の手を取ったまま、片膝を突いて跪くジェレミー。
「アイリス・クロフォード伯爵令嬢、僕と婚約し、将来、僕の妻になって下さいませんか?」
「私で……いいの?」
「君がいいんだ、アイリス」
 立ち上がったジェレミーが、星のように光るレモンイエローの瞳で真っ直ぐに私を見つめる。
 私は答えた。
「なります。私、アイリス・クロフォードは、あなたと婚約し、あなたの妻になります」
 ジェレミーが微笑む。
 それから、私の手の甲に口づけをした。

「ジェレミー、アイリスを頼んだぞ!」
「ああ!」
 階段の上からルクスが叫び、ジェレミーは大きく右手を上げた。
「行こう、アイリス」
 ジェレミーの瞳が、優しいライラック色に変わっている。
 見つめていると、ジェレミーは照れくさそうに笑った。
「ええ。行きましょう、ジェレミー」

 手を取り合った私たちは、並んで歩き出す。
 光が溢れる方へ。
 前へ、前へと。
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