「おまけ令嬢」アイリス・クロフォードは、人生をやり直す

13章 秘密の森


 私とジェレミーは婚約し、王立学園を卒業後、結婚することが正式に決まった。
 結婚後も教師を目指すことを、ジェレミーは応援してくれている。
 貴族でも平民でも身分に関係なく、大人でも子供でも誰でも学べる学校を作る。
 私の夢は、今は私たち二人の夢だ。
 元平民のジェレミーの両親も、貴族のしきたりなんて気にせずに、やりたい事をやっていいと言ってくれている。

 全てが怖いくらいに順調で、まるで夢の中にいるような気さえする。
 本当の私はあの路地裏の雪の下で眠っていて、幸福な夢を見ているだけなのかもしれないと。
 いつか覚めてしまう夢。
 それなら私は、毎日を大切にして、懸命に生きるだけだ。
 例え雪の中で目覚めたとしても、夢の中の私は、精一杯生きたと胸を張れるように。
 そんな風に意気込んでいるものの、私には気掛かりなことがあった。
 そもそも今世の私の目標は、マリーを幸せにすることだった。そのために、現状を変えようと足掻いてきたのだ。
 このままジェレミーと結婚しても、その目標は叶わない。
(マリーを幸せにするには、一体どうしたらいいんだろう)

 そんな風に考えあぐねていたある日、ひどく恐縮した様子で、マリーがこんなことを言った。
「お嬢様、お話があるのですが……」
 それは勉強の合間の息抜きに、庭園を散歩していた時のことだった。
「どうしたの? マリー」
「実は、お嬢様に会って頂きたい方がおりまして……」
「会って頂きたい方?」
 その時、背の高いグラジオラスの陰から、ひょいと姿を現した人物があった。
「キース先生!?」
 そこにいたのは、王立学園に入学するまで、私とルクスの家庭教師をしてくれていたキース・キャンベル先生。
「お久しぶりです。アイリス様」
 挨拶をするキース先生。 
 相変わらずのいい声だ。
「キース先生、突然どうされたのですか?」
 尋ねる私の目の前で、マリーとキース先生が見つめ合う。
 その温かな眼差しを見た瞬間、察した。
「もしかして……」
「お察しの通りです。先日マリーに求婚したのですが、アイリス様のお許しがなければ結婚はできないと……。そこで、本日は結婚の許しを頂きに参ったのです」
「お嬢様、私からもお願いします」
 そう言って、頭を下げる二人。
「許すも何も……。そもそも私の許しなんていらないし、もし許しがいるなら、私は世界中に聞こえるくらい大声で言うわ。おめでとうと!」
「ありがとうございます、お嬢様!」
 マリーの可愛らしい丸い顔がぱっと輝き、キース先生がほっとしたように息を吐く。
「ところで、二人はいつの間にそんな関係に?」
「以前、マリーに卵パンのレシピを教えてもらったことがありまして……」
「はい。それ以来、屋敷で会うと声を掛けて下さって……」
 二人は再び視線を合わせる。
 いたわり合う、優しさに溢れた眼差しで。
「キース先生、マリーのこと、どうかよろしくお願いします。それからマリー、今……幸せ?」
 栗色の瞳を三日月の形にしながら、顔をくしゃくしゃにしてマリーは笑った。
「幸せです、お嬢様。とっても幸せです!」


 それから数日もしないうちに、再び私を驚かせる出来事が起こった。
 父の書斎に行くように。
 執事長に言われ書斎のドアを開けると、そこにルクスとケイトの姿があった。
(ケイト? どうしてここに?)
「アイリス、君にも聞いてほしくて呼んだんだ」
 振り向いたルクスの顔は、緊張からか何時になく強張っている。 
 それから、仕事机に座る父に向き直ると、一つ深呼吸をして話し始めた。
「彼女は王立学園のクラスメイトで医者の娘、ケイト・ベアールです。僕は彼女と婚約し、将来妻として迎えたいと考えています。僕たちの婚約を了承してください」
「うん。わかった」
「はっ?」
「えっ!?」
 私とルクスの声が、同時に書斎に響く。
「本当にいいのですか? 彼女は平民ですが」
 困惑気味に尋ねるルクスの顔を、父が見返す。それからその視線は、ケイトへと移った。
「ケイト君といったね。君、平民の医者と結婚した、ランプリング伯爵令嬢の娘だろ?」
「知ってたんですか!?」  
 驚いた声を上げるルクス。
 私といえば、驚きすぎて声も出ない。どうやら、この中で知らなかったのは私だけらしい。
「その特徴的なローズピンク色の瞳は、ランプリング伯爵家に代々伝わるものだ。現在は隠居されているランプリング前伯爵夫妻は、孫娘をそれは大切にしていると聞いたことがある。君は平民だが、祖父母の意向できちんとした教育を受けてきたのだろう」
 ルクスとケイトが、嬉しそうに顔を見合わせる。
「しかし」
 それを、父の声が妨げた。
「いくらきちんとした教育を受けているとはいえ、君が平民であることに変わりはない。クロフォード家の次期当主が平民の娘を妻に迎える。そんなことになれば、あれこれ言ってくる輩が必ず現れるだろう。そこで一つ提案だ。君がランプリング前伯爵夫妻の養女になれば、ランプリング伯爵令嬢としてクロフォード家に嫁ぐことができる。もちろん、書類の上だけの養子縁組だ。ケイト君とご両親の縁が切れることはない。どうだろうか?」
 落ち着いた様子で、ケイトがそれに答える。
「実は、今日こちらに婚約のお願いに伺うことを祖父母に話したのです。もしクロフォード伯爵様が納得して下さるなら、祖父母は喜んで私を養女にすると申しておりました。もちろん、父と母も賛成してくれています」
「それならば話が早い。早速顔合わせの日取りを決めようではないか」
「ありがとうございます、クロフォード伯爵様」
「ルクスはまだまだひよっこだ。着飾るしか能のない貴族令嬢と結婚するより、君のようにしっかりしたお嬢さんと結婚した方が、ルクスのため、ひいてはクロフォード家のためになる。ところでケイト君、ランプリング伯爵家が所有するダイヤモンド鉱山だが、現当主の手に余っていると聞いている。もしよければクロフォー……」
「父さん!」
 父の言葉を、少し焦ったように遮るルクス。
「いい加減にしてください!」
「はっはっは。まあ、その話は追々だな」
「……わかりました。それでは、今日はこれで失礼します」
 ご機嫌な父を残し、私たちは父の書斎を後にしたのだった。

 書斎を出てすぐに、私はケイトの華奢な体に思いっきり抱きついた。
「おめでとう、ケイト! ケイトがお義姉様になるなんてすごく嬉しい! 私、今なら月まで飛び上がれるわ!」
「ありがとう、アイリス」
 普段表情があまり変わらないケイトが、照れくさそうに、だけどこの上なく幸せそうに微笑んでいる。
「ルクスもおめでとう!」
 ケイトとは対照的に、心底疲れ切った様子で肩を落としているルクス。
 それから、首を項垂れて大きなため息をついた。
「アイリス、僕はあのタヌキ親父に、一生敵いそうにないよ」
「……ははは」
 そんなルクスの言葉に、私は苦笑いするしかないのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 学年が上がり、ジェレミーが学園に復学した。
 ジェレミーが復学して、お昼休みはますます賑やかになった。
 エミリーたちとお弁当を食べるのを最初は嫌がっていたジェレミーだったけれど、今はすっかり慣れたようだ。

 ルクスとケイトの婚約が学園内に知れ渡ると、小さな騒動が起きた。
 祖父母であるランプリング前伯爵夫妻の養子となったケイトは、今では正真正銘の伯爵令嬢だったが、平民の父親を持つ元平民が金髪の王子ルクス・クロフォードを誑かしたと、突っかかってくる女生徒が後を絶たなかったのだ。
 そして、そんな女生徒たちを黙らせてくれたのがエミリーとイザベルとレイチェルだ。
 現在学園に王族や公爵家の令嬢はおらず、セーラ・アングラードが花嫁修業を理由に自主退学したことから、今はこの学園で最も身分が高い令嬢はエミリーなのだ。
 そのエミリーがケイトを友達だと宣言したものだから、誰もケイトを虐められなくなったというわけだ。
 そのエミリーは、婚約破棄裁判以来すっかり毒気を抜かれ、呆けたようになっている。
「アイリス、私はつくづく思ったの。貴族の身分なんて砂上の楼閣のようなものだって。あのカスティル公爵家が、あんなに無様な姿を晒したのよ。自分が信じていたものが崩れ去った瞬間だったわ」

 婚約破棄裁判のことは、今でも度々話題に上がる。
 時間が経てば忘れ去られるだろうと思っていたし、そうなることを祈っていたけれど、簡単にはいかないようだ。 
「私のパートナーとしてダンスホールに来ていた兄のシャルルも、同じ気持ちになったらしくてね。貴族の栄華など一寸先は闇。身分を笠に着て威張るのはもう止めにしようと言っていたわ」
「それじゃあ、ローレンス家も捨てたもんじゃなくなるな」
 エミリーの言葉に、すかさず突っ込むジェレミー。
 そんなジェレミーに、エミリーが食ってかかる。
「何よ、その言いぐさ!」
「何だと!」
「まあまあ、二人とも」
「そうよ。喧嘩しないで」
 お昼休みは、こんな感じで賑やかだ。

 
 そんな日々が続いた、ある週末のことだ。
 ルクスに誘われた私は、二人で連れ立って森へ行った。
 いつもの岩の上に登る。
 二人とも軽々と登れるし、ルクスはもう肩で息をすることなない。
 空から光の柱が降りると、ルクスの金色の髪が光を弄ぶように風に揺れる。
 気持ちよさそうに伸びをしながら、ルクスが私に尋ねた。
「アイリス、何を悩んでるのさ」
(まったく、ルクスには敵わないわね)
 小さくため息をついてから、私は答える。
「婚約破棄裁判のことよ。時間が経てば、みんな忘れてくれると思ってた。そもそもカスティル家の人たちが私に冷たくしたのは、私がカーテシーもできなければお茶のマナーも知らない、期待外れの令嬢だったからなの。それなのに、何の罪もない婚約者を蔑ろにしていたと思われているのが、何だか申し訳なくて……」
 婚約破棄裁判で、ドミニクは最後までその事実を口にしなかった。
 私が礼儀作法を習っておらず、まともなカーテシーもできなかったと訴えれば、非難の矛先はクロフォード家に向いただろう。
 あのダンスホールの真ん中で、好奇の目に晒されながら、そのことまで暴かれていたら私は立ち直れなかったはずだ。
 一度噂が広まれば、私が字を読めなかったことも、いつか誰かが暴き噂の種にしたに違いない。私はまた、「おまけ令嬢」と呼ばれていたのだ。
 ドミニクが何を考えていたのか、そんなことはわからない。
 だけど、ドミニクは私の名誉を守ったのだ。
(あれは、ドミニクの優しさだったのかな?)
 そんなことを考えていると、ルクスがきっぱりと言い放った。
「それは違うよ、アイリス。カスティル公爵家が立場を失ったのは、カスティル公爵が欲をかいたからだ。自分が作った借金を人に擦り付け、それを隠し、相手に感謝もしなかったからだ。それに、あの人たちは元々評判が悪かったんだ。身分を笠に着て人を見下してきたつけが、今になってまわってきただけさ。それに、ドミニクは案外幸せにやってるかもよ」
「えっ?」
「こんな事になった今も、セーラは一途にドミニクを想ってる。娘を溺愛するアングラード侯爵夫妻は、娘が愛する婚約者を殊の外可愛がっているらしい。将来、アングラード侯爵家を継がせるなんて話も出ているくらいにね」
「侯爵家を継がせるって、アングラード家にも跡継ぎはいるわよね?」
「その跡継ぎ、セーラ・アングラードの弟が、剣の腕しか能がない脳筋なのさ。本人も騎士団入りを希望していて、家は継ぎたくないらしい。ドミニクがアングラード家を継げば、収まるところに収まるというわけだ。借金のことで妻の実家に引け目を感じながら、領地を与えられ代官として生きる。君と結婚することで手にしていた未来より、余程夢があるってもんさ。それに、アングラード家に婿に入れば、ドミニクはカスティル家と縁が切れるんだ。ドミニクにとっても、これが最良だったのさ」

 ルクスの話を聞いて、少しだけ肩の荷が下りた。
 誰かを不幸にしたかったわけじゃない。
 だけど、みんなが幸せなんて世界は、きっとどこにもありはしないから。
 幸せになりたければ、抗って、戦って、自分の手で掴み取るしかないのだ。

「アイリス」
 ルクスが私の名前を呼ぶ。
「いくらジェレミーが好きだからって、この森のことは教えたらいけないよ。僕もケイトに教えないからさ」
「わかったわ。ここは、二人だけの秘密の森ね」
 私の答えに、満足気に笑うルクス。
 それから、もう一度私の名前を呼んだ。
「アイリス。君のおかげで、僕はここまで生きてこられた。本当にありがとう」
 ルクスの瞳の中のペリドットが、太陽と同じくらい輝いている。
「何よ改まっちゃって。大袈裟ね」
 大真面目なルクスの様子に、何だか調子が狂ってしまう。
「帰りましょう、ルクス」
「ああ。帰ろう、アイリス」
 それから私たちは、秘密の森を並んで歩いた。
 二人、肩を並べて。


 月日は流れ、王立学園を卒業する日がやって来た。
 卒業式の朝、届いたのは母からの手紙。
 手紙には一言、「悪かったわ」と書かれていた。
(お母様らしいわ)
 もう1枚、手紙と一緒に入っていた紙を広げる。
 一輪の花の押し花だ。
 紫色の小さな花、アイリス。

「許すわ」
 私は呟く。
(だって、私は今、幸せだから)

 アイリスの花言葉、それは「希望」だ。
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