「おまけ令嬢」アイリス・クロフォードは、人生をやり直す

三章 婚約者のことは忘れていました


「今日は、婚約者のドミニク様がいらっしゃる日です。お支度をしましょう」
「…………婚約者!?」
 素っ頓狂な声が出たが、最近の私の奇行にすっかり慣れてしまったマリーは、顔色一つ変えない。
 10歳の時点で、私には婚約者がいる。
 前世では、王立学園を退学になった後、それを理由に婚約破棄された。
(それが12歳。その後色々あったから、存在をすっかり忘れていたわ)

「今日のドレスはこちらです」
 マリーが持っていたのは、フリルのたっぷり付いた光沢のある真っ赤なドレス。
(趣味わるっ。最悪だわ)
 普段は贈り物なんて一切しないくせに、月に一度の婚約者との茶会に合わせて、父はドレスを届けてくる。
 そのドレスが、ことごとく私に似合わないのだから笑ってしまう。
 そして、今日のドレスは特に酷い。
 マリーも困った顔をしているが、マリーの雇用主は私ではなく父なのでどうすることもできない。
(今日の今日で、茶会を断るのは無理ね)
 観念した私は、マリーにされるがままになった。


 その男は、庭のガーデンチェアに腰掛けて、一人で茶会を始めていた。
 漆黒の髪、黒曜石のような黒い瞳、非の打ち所のない均整の取れた顔。
 カスティル公爵家三男、ドミニク・カスティル。
 私は、この男のことがとても好きだった。

 初めて会った日のことを、今でも鮮明に憶えている。
 ドミニクが12歳、私が8歳の時だ。
 挨拶を交わした後、バランスを崩した私に差し伸べられた、まだ少年の面差しを残した手。
 家族の誰にも差し伸べられたことのないその温かな手に触れた時、彼を失いたくないと思った。
 それから、月に一度のこの茶会が始まった。
 こちらを向いてほしい、私に興味を持ってほしい、私のことを知ってほしい。
 そして、家族の誰にも愛されない私を愛してくれる唯一の人になってほしい。
 その一心で、無口な彼の代わりに茶会の間中喋り続けた。
 けれど、彼はいつだって困ったような、煩わしそうな顔をするだけで、ろくに返事もしない。
 結局、彼が優しさを見せたのは、初めて会った時に手を差し伸べたその一度きりだったのだ。

「お待たせしました」
「あぁ」
 こちらを一瞥すらしない。
 この人も家族と同じ。私を透明人間にするのだ。
 カチャリ……
 ティーカップの音だけが辺りに響く。
 いつもなら、ピーチクパーチク息づく暇もなく喋る私が一言も話さないものだから、怪訝な顔したドミニクが視線を上げてこちらを見た。
 黒曜石のような瞳と視線がぶつかる。
 その瞬間、前世の記憶が波のように押し寄せてきた。 
 私は、この男のことが本当に好きだったのだ。
(だけど……。安心したわ。今の私は、この男のことをこれっぽっちも好きじゃない)

 ドミニク・カスティル。
 三男とはいえ、この国で王家の次に身分の高い、カスティル公爵家の令息だ。
 普通なら、爵位の劣る伯爵家三女の私が婚約者になることはありえない。
 この婚約が成立したのは、ドミニクの父カスティル公爵が、投資に失敗し莫大な借金を抱えたから。 
 借金を精算する最も簡単な方法。
 それは政略結婚だ。
 カスティル公爵が目を付けたのが、事業で成功し富を築いていたクロフォード伯爵家だった。
 公爵家と姻戚になることは、クロフォード家にとってもプラスになる。
 父はカスティル家の借金を肩代わりし、私とドミニクの婚約は成立した。
 だけど……。あれは、私が王立学園を退学になった直後のことだ。
 物凄い形相をしたカスティル公爵と夫人が、クロフォード家に押しかけてきた。
「字も読めない令嬢と婚約していたなんて、大恥をかかされた」
「ドミニクは、これから社交界で笑い者にならなければならない」
 婚約はクロフォード家の有責で破棄され、莫大な慰謝料を請求された。
 すでに莫大な額の借金を肩代わりしている上に、今度は慰謝料を支払わなければならない。
 父は、領地の税金を上げざるを得なかった。

 マリーが死んでしまった後、身を寄せていた宿屋のことを思い出す。
 税金が上がったせいで生活が困窮し、親に売られ、働いていた幼い子供が何人もいた。
 仕事を失った者、家を失った者、路頭に迷い路上で死んでいく者。
(私のせいで……)
 もう二度と、あんなことが起きてはならない。 
 だけど……。
 家庭教師がついた今、今世では王立学園を退学になることはないだろう。それで婚約破棄になることはない。
(だとしたら、ルクスが死んだらどうなるの? 婚約破棄になる? それとも、私はこの男と結婚するの? マリーを幸せにする計画は? 私はどうすれば……)
 そんなことをぐるぐる考えていると、ドミニクが時計に目をやった。
 あと数分で15時になる。
 15時きっかりに、この男は席を立ち去っていく。こちらを一瞥もせずに。
(その前に、これだけは言っておかないと……)
「あの……、このお茶会、止めにしませんか?」
 視線を上げたドミニクが、真正面から私を見据えた。
(無表情だから、何を考えているのかさっぱりわからないわね)
 余りに表情が変わらないので、瞬きをしなければ作り物かと思う程だ。
 そうして、その作り物のような顔のままでドミニクは答えた。
「定期的に婚約者と一席を設けることは、婚約者としての義務だ」
「義務……。そう、義務です。あなたの仰る通りこの茶会は義務です。どうしてそんな義務があるのかわかりますか? この時間は、人となりを知らない者同士がお互いを知り、理解し合い、親睦を深めるためにあるんです。結婚した後、良き夫婦となれるように。この2年の間、私たちは月に一度こうして会ってきました。だけど、出会った時よりお互いのことを知れていますか? 理解し合えてますか? 親睦深まってますか? あなたはその努力をしていますか? そうじゃないなら、この時間は意味のない時間なんです。完全なる無駄ってものなんですよ。それに、私はあなたの為を思って言っているんです。お忙しいドミニク様が、無駄なことに時間を割かなくていいようにね!」
 捲し立てる私に、さすがのドミニクも驚いたように目を見開く。
 鉄壁の無表情を崩せたことが少しだけ嬉しい。
 それなのに……。
 次の瞬間には、もう元の作り物のような顔に戻っていた。
 鐘が鳴る。
 15時だ。
「また来る」
 そう言い残して、去っていくドミニク。
「また来るって、何なのよ……」
 ひとり残された私は、途方に暮れて呟くのだった。
 

「遅かったわね」
 部屋に戻ると、招かざる客が来ていた。
(ドミニクに会って、ただでさえ疲れてるのに……)

 今世では、最初の一度以来食堂には足を運んでいなかった。ジュリアの顔を見るのも久しぶりだ。
 屋敷の外れにある私の部屋まで来るなんて、いじめる相手がいなくてよほど退屈だったらしい。
 私の頭の先から爪先までを眺め、「ふっ」と鼻で笑うジュリア。
「全然似合ってないわね、私のドレス」
「えっ!?」
 これにはさすがに驚いた。
 私が驚いたのは、ジュリアがこんなにも趣味の悪いドレスを持っていることに対してだったが、何か勘違いしているのか、ジュリアは憐れむような視線を投げかけてくる。
「でも心配しないで。一度しか袖を通してないものだから。お父様に頼まれたのよ。あんたにドレスを恵んでやれってね。婚約者との茶会に着ていくドレスもないなんて、あんたって本当にかわいそうな子。でも不思議よね。お父様ってば、私にはドレスも宝石もいくらでも買ってくれるのに」

 母譲りの輝く金色の巻き毛に、母と同じ太陽に照らされた海のように煌めく碧眼。
 美しい少女、ジュリア。
 すでにデビュタントを終えているジュリアは、“社交界の花”と呼ばれていた。
 前世では、美しいジュリアが羨ましかった。
 父はジュリアに、ドレスも宝石も惜しみなく買い与えていたから。
 だけど、今ならわかる。
 父はジュリアを美しく着飾らせ、ジュリアの価値を上げ、高値で売れる商品にしたいだけだ。
 その証拠に、数多の婚約者候補がいるのに、婚約者は未だに決まっていない。より高値で売れる機会を待っているのだ。

「それにしても、あんたの部屋って本当に遠いわね。その上、暗くてジメジメした廊下を通らないとならないんだから。こんな部屋、使用人だって嫌がるわよ」
 眉間に皺を寄せながらも、ジュリアの口元は嬉しそうに歪んでいる。
 私の置かれている状況を再確認して、喜んでいるのだろう。
(そういえば……。前世でも、ジュリアが私の部屋まで来たことがあったわね)

「あんた、『おまけ令嬢』って呼ばれてるらしいわよ」

 あれは、王立学園を退学になり、婚約破棄された直後のことだ。
「家庭教師をつけることさえ忘れられた、字も読めない哀れな令嬢。跡取り息子のついでに生まれた、『おまけ令嬢』だってね!」
 私の顔が悲しみで歪むのを、ジュリアは恍惚の表情で見下ろしていた。
 前世では、こんな姉にすら愛されたいと思っていたのだ。
 美しい姉の隣に立ちたい。家族として認められたいと。
(私って、救いようのないバカだったのね)
 だけど……。
 考えてみれば、家族の中で私を無視しないのはジュリアだけだった。
 この部屋だって、わざわざ訪ねてきたのは、前世と今世合わせてもジュリア一人だけ。
(そう思うと、何だか憎めないわね)
 それに、宿屋で働いていた時のいじめに比べたら、ジュリアの嫌味なんて可愛いものだ。恐ろしくもなんともない。
 
 久ぶりに私を虐げる快感に浸っているジュリアは、その美しい碧眼を爛々と輝かせている。
 このまま放っておけば、あと数時間は嫌味を聞く羽目になるだろう。
(正直、そろそろ休みたい。こうなったら……)
 その場でドレスを脱ぐと、サイズの合っていないドレスはするりと床に落ちた。それを拾い上げて、ジュリアに向かって思いっきり投げつける。
「ドレスを恵んでくれてありがとう! だけどお返しするわ。こんなに悪趣味なドレス、着こなせるのはジュリア姉様だけよ!」
「なっ! なんですって!? あんた! 私にそんな口をきいていいと思ってるわけ!」
 ジュリアは顔を真っ赤にしながら喚いていたけれど、マリーとルーシーとリリカの三人がかりで、ドレスと一緒にお帰り頂いた。
(私ったら、やればできるじゃない!)
 それから誰にも見られないように、小さくガッツポーズをしたのだった。
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