「おまけ令嬢」アイリス・クロフォードは、人生をやり直す
六章 事の真相
幕間 家庭教師という仕事(キース・キャンベル視点)
字の読み書きが出来ない10歳の令嬢、アイリス・クロフォードの家庭教師を任せたいと言われた時、正直思った。
(面倒な事になったな)
けれど、最初の授業の日、学びたいという意欲に満ち溢れた瞳を見た時、その考えは覆された。
(こういう子に教えるのは、嫌いじゃありませんよ)
事実アイリス・クロフォードは、私が教える知識を、まるで新品のスポンジみたいにどんどん吸収していった。
この間まで字の読み書きが出来なかったなど、誰が信じるだろう。
私は、彼女に教えることが何より楽しみになった。
ある日、アイリス・クロフォードが私に頼みごとをした。
「ルクスの授業、庭園の先にあるガゼボでやってほしいんです」
彼女の境遇には、何となくだが気がついていた。
貴族の子供が受けるべき教育を、10歳になるまで受けていなかったのだ。察するに余りある。
そんな境遇に身を置きながらも、彼女は病弱な双子の兄の為に、自分が出来ることを模索していたのだ。
私はすっかり絆されてしまった。
(これは、協力しないわけにはいきませんね)
私の提案を、クロフォード伯爵夫人は激しく拒絶した。
外は危険だ。体の弱いルクスが怪我をすれば大変なことになる。
他にも色々言っていたけれど、国一番の家庭教師のプライドに賭けて、口八丁手八丁で説き伏せた。
何とか許しを得たものの、今度は自分も一緒に授業を受ける、メイドは最低でも5人は必要だと息巻く。
「ルクス様の今後の人生を考えると、夫人やメイドのいない環境に慣れておいた方がいいでしょう」
と説得し、メイド一人を付き添わせることで話は纏まった。
屋敷から庭園にあるガゼボまで、800mくらいだろうか。
ルクス君は普段よほど体を動かしていないのか、100m歩いただけで息を切らし、苦しそうに肩を上下させていた。
こまめに水分補給をし、一歩一歩足を進め、時間をかけてガゼボに辿り着く。
ルクス君の顔は蒼白で、頬に赤みはなく、全く汗をかいていなかった。
休憩を挟みつつ授業をしていると、アイリス嬢がやって来る。
それから、少し歪な形の、丸くて黄色いものをテーブルに置いてこう言った。
「これは、卵パンです」
それから、こうも言っていた。
「あなた、野菜しか食べてないでしょ?」
ツッコミどころが満載だ。
その日の夜、仕事から帰ってきた姉のソフィアと一緒に夕食を食べた。
ソフィアは王宮に勤める栄養学士だ。
早くに両親を亡くし、姉に育ててもらったも同然の私は、姉に頭が上がらない。
「何か考え事?」
食事を終えた後、ソフィアが私に尋ねた。
「えっ?」
「眉間に皺ができてるわよ」
そう言って、私の眉間を人差し指でつつく。
この姉には、全てお見通しのようだ。
「今日、アイリス嬢が……」
「この間まで字が読めなかったのに、学ぶ意欲満々なあなたのお気に入りのアイリス嬢」
「ルクス君に……」
「体が弱いのに、勉強には一切手を抜かない健気なルクス君」
「卵パンを……」
「卵パン!?」
私は、その日ガゼボで起こった出来事を掻い摘んで話した。
最初はわけがわからないといわんばかりだったソフィアの顔が、だんだんと険しくなっていく。
私が話し終えると、僅かばかり声を強張らせながら、姉はこう言った。
「キース、それは…………、緩やかな殺人よ」
それから8ヶ月が過ぎた。
最初は100m歩くだけで息を切らしていたルクス君は、ガゼボまで休まずに歩けるようになった。
肩で息はしているものの、頬には赤みが差し、額や首筋に汗が滲んでいる。
頗る良い傾向だ。
それから、秘密兵器の卵パン。
アイリス嬢のメイドであるマリーにレシピを教わって、今では私が作るようになった。
ルクス君に命じられたメイドがティーセットを取りに行っている隙に、隠し持っていた卵パンを渡す。
普段本当に野菜しか食べていないのか、卵パンがよほど美味しいらしく、夢中になってかぶりついているルクス君を、私は微笑ましく見守っていた。
時々、熱が出たからと授業が休みになることがあった。それでも、
「これまで週に二度は出ていた熱が、2週に一度になったんです」
と、嬉しそうに笑っていた。
そんなある日、ルクス君が、手づから作った誕生日パーティーの招待状を渡してくれた。
「これまでは身内だけのパーティーでしたが、最近は少し体調が良いので、親しい人を招待することにしたんです。ぜひ、ご家族といらして下さい」
「ありがとう。姉のソフィアと参加させてもらうよ」
それから、心なしか晴れ晴れした表情でこう呟く。
「今年はきっと、いい誕生日になります。きっと……」
◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
10歳に巻き戻ったあの日から、9ヶ月近くが過ぎていた。
相変わらず食堂には行っていないので、家族に会うことは殆どない。
ルクスの様子は、授業の度にキース先生が教えてくれる。卵パンと日光浴と運動は、ルクスの健康に少しは良い影響をもたらしているようだ。
唯一セリーヌとは、本の貸し借りをしたり、時々一緒にお茶を飲み、本や詩について語り合ったりしていた。
あれほど言ったのにも拘らず、月に一度の茶会の為に、ドミニクはやって来た。
そのくせ何も話さない。
時々何かを言いかけては口をつぐみ、また黙り込んでしまう。そんなことを繰り返していた。
そんなある日の正午。
部屋を訪ねてきたのはセリーヌだった。
「アイリス、お誕生日おめでとう。贈り物を持ってきたわ」
セリーヌから渡された箱に入っていたのは、綺麗な菫色のシフォンのドレスと、ペリドットのアクセサリー。
「さあ、おめかしをしてパーティーに行きましょう」
今日の午後、ルクスの誕生日パーティーが開かれることは知っていた。
招待されてはいないけれど、今日は私の誕生日でもあるのだ。
「セリーヌ姉様、素敵な贈り物をありがとうございます。だけど、私はパーティーに行くことはできません。招待されていないからです」
私の言葉を、優しく否定するセリーヌ。
「いいえ、アイリス。あなたは招待されているわ」
セリーヌが封筒を差し出す。
封筒の中には、ルクスお手製の招待状が入っていた。
気乗りはしないが、セリーヌとルクスの好意を無下にするのも気が引ける。
(ルクスの顔だけ見たら、すぐに御暇しよう)
マリーの手を借りてドレスに着替え、ペリドットのイヤリングとネックレスをつける。
そうして、セリーヌと一緒に会場である広間へ向かった。
広間には、キース先生と、恐らく栄養学士だというキース先生のお姉様の姿があった。
それから、セリーヌの婚約者アラン・サルバドールと、その母親で母の友人でもあるサルバドール子爵夫人。
私の姿を見つけると、母の顔色がサッと変わった。
「アイリス、体調が悪いのでしょう? 無理をせず自室で休んでいなさい」
招待客の手前、にこやかに微笑み、穏やかな口調で話す母。
その時、私の隣に立ったルクスが、母に向けて言葉を放った。
「お母様、アイリスは僕が招待したんです」
それから私の方へ向き直ると、
「アイリスの席はそこだよ」
と言って、テーブルの方を指さした。
ルクスが私の席だと指さしたのは、主役であるルクスの隣の席。
「ルクス、そこはアイリスの席ではないわ」
張り付けたような笑みを浮かべた母は、穏やかな口調を崩さない。
そんな母の言葉を、ルクスはきっぱりと否定した。
「いいえ、お母様。そこはアイリスの席です。今日はアイリスの誕生日でもあります。アイリスは僕の双子の妹なんですから」
「やめてちょうだい!」
その瞬間、母の悲鳴のような金切り声が広間に響いた。
「目を覚ましてちょうだい、ルクス。この子のせいで、あなたがどれほど苦しんできたか忘れてしまったの? あなたが病弱になったのは、この子が一緒に生まれてきたせいなのよ!」
ルクスの肩を、爪が食い込むほどの力で掴む母。
突然取り乱した母の姿に、招待客は唖然とした表情を浮かべている。
その時、
「少し宜しいでしょうか?」
よく響く、清涼感のある声が聞こえてきた。
「私はこちらで家庭教師をしているキース・キャンベルの姉、ソフィア・キャンベルと申すものです。王宮の栄養学士をしております。今のお話が聞き捨てならなかったので、口を挟ませて頂きました。夫人は、ルクス様が病弱になったのを双子の呪いのせいとお考えのようですが、それは違います。今から双子の呪いの真相をお話ししましょう」
キース先生と同じ菫色の瞳を知的に瞬かせながら、ソフィア・キャンベルと名乗った女性は話し始める。
「今から300年程前、三代に渡り双子の王子が誕生しました。同い年の王子が二人。どのような運命を辿るかもうお解りでしょう。三代とも、王位継承権を巡る壮絶な権力争いが勃発しました。そしてその度に、片方もしくは両方の王子が無惨にも暗殺されたのです。この事が後世まで伝われば、王家の権威は失墜してしまう。そこで当時の王族は、双子の呪いという言い伝えを作り、その言い伝えが後世まで伝わるようにしました。これが、双子の呪いの真相です。ルクス様が病弱になったのはアイリス様のせいではありません。呪いなど存在しないのです」
それからソフィアは、息を呑み耳を傾けているクロフォード家の面々と招待客の顔を順に見渡す。
「王家に関する問題を軽々しく口にすれば、罪に問われてしまいます。まして私は王宮に勤める身。ですが、謂れのない罪で糾弾されるアイリス様を見て見ぬふりはできませんでした。皆様、どうかこの話は、その胸に留めておいて下さいませ」
ソフィアが一礼したのと同時に、母が悲痛な声を上げた。
「けれど……! それならなぜルクスだけが? この子はこんなにも健康なのに、なぜルクスだけが病弱になったというのです!?」
ソフィアの清涼な声が、再び広間に響く。
「夫人は、タンパク質というものをご存知ですか?」
「たっ……たんぱく……しつ?」
「タンパク質は、肉や魚、卵、牛乳に含まれる栄養素です。ルクス様は野菜中心の食事をされているそうですが、それでは圧倒的にタンパク質が足りないのです。タンパク質が不足するとどうなるか? 低栄養になり免疫力が低下します。この免疫力というのは、日光とも密接な関係があります。日光を浴びると、体内でビタミンDという物質が作られますが、このビタミンDには免疫力を向上させる効果があるのです。つまり、人間の体は適度に日光を浴びなければビタミンDが不足し、免疫力が低下するということです。免疫力が低下するとどうなるか? 感染症にかかりやすくなり、風邪を引きやすくなります。ここまで説明すればお解かりでしょうか? これまでルクス様が頻繁に熱を出されていたのは、この免疫力の低下が原因と推察されますが如何でしょう? 幸い我が弟キースが、授業の度にルクス様に適度な日光浴と運動をさせ、たんぱく質たっぷりの卵パンを食べさせることで、少しは体調が回復されたようですが………」
小刻みに体を震わせながら、ソフィアを睨みつける母。
そんな母の体を、父が支えていた。
「ここ最近、息子の顔色がいいとは思っていたのですが、まさかキース先生のおかげだったとは……」
父の取り繕うような言葉を受けて、ソフィアの後ろに控えていたキース先生が前に出る。
そして、相変わらずのいい声でこう言った。
「いいえ、私ではありません」
キース先生の言葉に、その場にいる全員が再び息を呑む。
「適度な運動と日光浴ができるよう、ルクス様の授業を庭園のガゼボで行うよう進言したのも、ルクス様に必要な栄養があるからと最初に卵パンを食べさせたのも、私ではなく別の人物です」
キース先生の菫色の瞳が、私を捉えて停止した。
「それは、そこにいるアイリス様です」
父の目が驚いたように見開かれ、その口が何か言いかけたが、それは母の叫び声によって打ち消された。
「やめて! もうやめてちょうだい! それならば、ルクスの健康を奪い、長い間苦しめていた張本人は私だと言うの? そして、それを救ったのがアイリスだと? そんな話は信じられないわ!」
小さく息を吐き、菫色の瞳を母に向けるキース先生。
「いいえ、これは紛れもない事実です。それにしても、私には理解できません。なぜクローフォード伯爵夫人ともあろう方が、このような極端で間違った子育てをされたのか」
「私は……私は、ロザンナ先生の教えに従ったまでですわ」
「ロザンナ先生?」
「国一番の栄養学士、ロザンナ・キンバリー先生です。ロザンナ先生の教え通りにルクスを育てれば、健康的で立派な青年になると……」
「クロフォード伯爵夫人」
強い口調で、ソフィアが母の言葉を遮る。
「この国にも周辺の国にも、ロザンナ・キンバリーという栄養学士はおりません。女の栄養学士は貴重なのです。そのような栄養学士がいるなら、私が知らないはずはありませんから」
「なっ……!? そんなはずないわ! だって……。そうだわ! 私にロザンナ先生を紹介したのは貴方でしたわね? サルバドール子爵夫人!」
皆が一斉にサルバドール子爵夫人を見た。
サルバドール子爵夫人は、青ざめた顔で何度も首を振りながら、
「私は、息子のアランに頼まれただけですわ!」
と、悲鳴のような声を上げた。
皆の視線が、一斉にアラン・サルバドールに向けられる。
目を泳がせ顔を引きつらせたアラン・サルバドールは、絞り出すように震える声を出した。
「僕は……僕は………! ジュリアからの提案に乗っただけです!」
皆が、一斉にジュリアを見た。
生気のない目で一点を見つめ、立ち尽くすジュリアの白い顔は、身震いがする程に美しい。
「ジュリア!!」
父の怒号が響くと、観念したように深く長いため息をついたジュリアは、
「アランの言葉通りです。私が彼を計画に誘いました。ルクスが病弱になれば、クロフォード伯爵家の当主の座はあなたに転がり込んでくるでしょう。そう話すと、嬉々として計画に協力してくれましたよ」
と言って美しい顔を歪めた。
「“計画”ですか……。それにしても、よくこのような回りくどい方法を考え、実行しようと考えましたね。逆に感心してしまいますよ」
不思議な生き物でも見るかのような視線を向けるキース先生に、薄ら笑いを浮かべたジュリアが答える。
「私もこんなに上手くいくとは思いませんでした。日に当たらせない、運動させない、野菜しか食べさせないなんて、私ですらおかしいと気づきますもの。だけどお母様は、ルクスを健康に育てなければならないという強迫観念に囚われていたのね。あんな偽者の戯言をあっさりと信じてしまわれて」
「ジュリア! なぜ……なぜこんなことを!」
力なく座り込んだ母を支えながら、困惑した声を上げる父。
そんな父と母を見下ろしながら、ジュリアは父の疑問に答えた。
「わからないのですか? お父様。ルクスが邪魔だったからです。私からお母様を奪ったルクスが憎かったから。はじめはすぐに殺してしまおうと思いました。事故に見せかけたり、方法はいくらでもありますからね。だけど、やめました。ルクスが死ねば、お母様は再び男の子を産もうとする。第二のルクスが現れるだけ。それならば、時が来るまで病弱でいてもらおうと思ったんです」
「時とは……?」
「お母様が、子供を産めない年齢になるまでですよ」
近くに待機していた、自分付きのメイドを手招きするジュリア。
「全てが計画通りだったんです。それなのに、ルクスが急に健康を取り戻し始めて……。もう、何もかも面倒になってしまいました。だから、決めていたんです。今日ここで、トドメを刺そうって」
ジュリアが手を差し出すと、メイドが何か液体の入った小瓶をその手に握らせる。
「飲むと高熱が出る毒薬です。健康な人なら命までは奪いませんが、ルクスならひとたまりもないでしょう。それに、今ならまだ、いつもの熱のせいで死んだのだと誰も疑わなかったはずです。計画は完璧だったのに……。残念でなりません」
白く美しい手で小瓶の蓋を開けるジュリア。
それから、その小瓶を宙に掲げた。
「お母様! 全てはお母様のためなのです! お母様を解放してさしあげるため! 大丈夫、わかっています。お母様が、本当は私を一番愛していると。だって……見て! この金色の髪に青い瞳。お母様にそっくりでしょう? これをどちらも譲り受けたのは私だけ。それなのに、クロフォード家の跡取りを立派に育てなければならないという義務に、お母様はがんじがらめになっている。だから、その義務から解放してさしあげたかったのです。お母様を愛しているから! お母様………!」
ルクス目掛けて走り出すジュリアを、父やキース先生が取り囲む。
ジュリアの手から奪われた小瓶は、父の手によって地面に投げつけられた。
割れた小瓶から流れ出た赤黒い液体が、床に広がる。
私はただ呆然と立ち尽くし、その光景を他人事のように眺めていた。
そして思う。
(これが、地獄絵図ってやつなのね……)
幕間4 ジュリア・クロフォードという少女(ジュリア視点)
王宮のお姫様のように着飾った私に、お母様が優しく微笑む。
お母様と私を褒める声。お母様は、私の頭を優しく撫でる。
それが、私の一番幸せな記憶。
帰りの馬車の中で二人きりになると、お母様の目は途端に何も見えていないように虚ろになって、もう私の声は届かない。
我が家に小さな男の子が誕生すると、お母様は私に見向きもしなくなった。
ルクス
“光”という名前を与えられた子ども。
私からお母様を奪った男の子。
お母様に構ってもらえず癇癪を起こすと、お父様がドレスや宝石を買ってくれる。
袖を通すことのないドレスが増えていった。
(お父様は何もわかっていない)
私が欲しいものは、ドレスや宝石じゃないのに。
過度な装飾とけばけばしい色の趣味の悪いドレスを仕立てさせて、仕立て屋を困らせる。
それなのに、そのドレスを着た私を皆が褒める。
誰も私を見ていない。
見ているとすれば、外側の薄皮1枚だ。
9歳の時、新しい家庭教師がやって来た。
気持ちの悪い笑い方をする中年の男だった。
薬草の研究をしているが、それだけでは食べて行かれずに家庭教師をしているらしい。
私の部屋の窓から中庭を挟んで、ルクスの部屋が見える。
乳母に任せればいいものを、お母様はルクスから片時も離れない。
家庭教師の男が言った。
「あの坊っちゃんが憎いのですか?」
どうやら、私はよほど悪い顔をしていたらしい。
返事をしないでいると、それを肯定と受け取ったのか、男が話を続ける。
「亡き者にする方法はいくらでもあります。事故に見せかけたりね。あれくらいの赤子は簡単に死にますから」
「ダメよ。今あの子がいなくなったら、お母様はまた男の子を産もうとするわ。第二のあの子が現れるだけだもの」
「ほぉ……! それならば、こんな方法はいかがでしょう? 少量の毒を毎日飲ませ、少しずつ量を増やしていくのです。体は徐々に蝕まれいき、いずれは死に至ります」
「それは、誰にも知られずにすむものなの?」
「まぁ、その辺の医者にはわからない複雑な毒もありますが……。伯爵家が金に糸目をつけず優秀な医者を呼べば、見抜かれることもあるでしょうね」
「それじゃあダメね。あの子のためなら、お母様は地の果てからでも優秀な医者を連れてくるわ」
「ふむ……。それでは、こんな方法はいかがでしょう? この方法ならば、命を奪うほどではありませんが、じわじわと体を弱らせることが可能です。弱らせておけば、殺したい時に殺すことができますからね。時間もかかる上に不確実ですが、その分リスクは全くありません。露見した時は、新しい健康法を教えただけと言えばいいのですから」
男は私に、“その方法”を教えた。
計画には協力者がいる。
目をつけたのは、セリーヌの婚約者筆頭候補のアラン・サルバドール。
セリーヌより7歳も年上のくせに、クロフォード家の財力に肖りたいがために、セリーヌの夫の座につこうとする俗物だ。
何より都合がいいのが、アランの母サルバドール子爵夫人が、お母様の友人だということ。
私の話を聞いたアラン・サルバドールは、二つ返事で私に協力することを誓った。
計画は、緩やかに実行された。
6歳になると、ルクスは頻繁に熱を出すようになり、殆どの時間をベッドの上で過ごさなければならなくなった。
計画が功を奏し始めたのだ。
同時に、面白いことが起きた。
ルクスが病気がちになったのを『双子の呪い』と勘違いしたお母様が、アイリスを憎み、冷たく当たるようになったのだ。
それからは、アイリスを虐めることが一番の楽しみになった。
何をされても、何を言われても、ただ悲しげに顔を歪め体を震わせるアイリス。
そんなアイリスを虐めている時だけは、母を奪ったルクスに対する憎しみを忘れられた。
14歳の時、かつて私の家庭教師だった男が、私に会うためにクロフォード邸を訪ねてきた。
何をやらかしたのか、国外へ逃亡するらしい。
「私が家庭教師として指導した子供の中で、あなたは最も素晴らしい生徒でした。良き思い出のお礼に、これを受け取ってほしいのです」
男が差し出したのは、赤黒い液体の入った小さな小瓶。
「飲むと高熱が出る毒薬です。健康な者ならば死に至りませんが、体の弱い者はひとたまりもないでしょう。きちんと調べれば、熱はこの毒薬によるものだと露見してしまいますが、普段から頻繁に熱を出している者ならば、いつもの熱のせいだと調べられることもないでしょう」
その小瓶は、私の宝物になった。
私は、その時を待った。
この小瓶を使う、最も最適なタイミングを。
時間潰しにアイリスを虐め、ドレスや宝石を買い漁り、ただその時を待った。
それなのに……。
ルクスが熱を出す頻度が少なくなってきたと、ルクスを監視させているメイドから報告が上がった。
計画が狂い始めたのだ。
おまけに、アイリスが食堂に来ないせいで、アイリスを虐めて日々の鬱憤を晴らすことができない。
それどころか、久しぶりに食堂に姿を現したアイリスを、セリーヌが庇った。
(つまらない。何もかも面倒だわ………)
私は、待つことに疲れ果てていた。
そんな時、ルクスの誕生日パーティーの招待状が届いた。
(ちょうどいいわ。もう、何もかも終わらせましょう)
その日、この毒薬を使おうと決めた。
ルクスの誕生日パーティーは散々だった。
「僕は……僕は………! ジュリアからの提案に乗っただけです!」
裏切り者の声が響くと、皆が一斉に私を見た。
いくらでも言い逃れはできた。
全てをサルバドール家のせいにすることだってできた。
何もわからないふりをして、「新しい健康法を教えただけ」と言えばいいだけだった。
だけど、そうしなかった。
打ちひしがれ、地べたに這いつくばるお母様。
そんなお母様を見ていたら、もっと苦しめてやりたいような、そんな気持ちになってしまったのだ。
(私がルクスを殺そうとしていたと知ったら、お母様はどんな顔をするかしら?)
「アランの言った通りです。私が彼を計画に誘いました…………………」
その後のことは、よく覚えていない。
あの時、お母様はどんな顔をしたのだろうか。
療養という名目で、私は遠く離れた田舎の領地に行くことになった。
お母様も一緒だ。
馬車での旅路は遠い。
何も見えていないような虚ろな目で、何も聞こえていないように宙を見つめるお母様。
お母様は壊れてしまった。
だけど、これでよかったのだ。
これからは、お母様を独り占めできるのだから。
美しいお母様。大好きなお母様。
これからは、ずっと一緒。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
母は、遠く離れた田舎の領地に行くことになった。
母はもう、現実と夢の区別がつかない。
母の心は壊れたのだ。
療養という名目で、ジュリアも母と共に家を出る。
二人は心の病気の治療を受けるのだ。
可哀想だとは思わない。
だって、ジュリアの希望は叶ったのだ。
これでお母様を独り占めできる。
お母様は、ジュリアだけのお母様になったのだ。
セリーヌとアラン・サルバドールの婚約は破棄された。
クロフォード家の面子にも関わるためそれ以上のお咎めはなかったが、クロフォード家の眉目秀麗、非の打ち所がない長女に婚約破棄されたアランに、今後まともな縁談が来ることはないだろう。
いずれアランが当主になればクロフォード家の財産を好きにできると、領地経営も事業もおざなりにして贅沢に暮らしていたサルバドール子爵家。
彼らに待っているのは破滅だ。
平民であるロザンナ・キンバリーは、詐欺の罪で牢屋に入ることになった。
牢屋の中で、
「私は新しい健康法を教えただけ」
と繰り返しているらしい。
そう言えば罪にはならないと、言い含められていたのだろう。
母とジュリアが乗った馬車を見送った日、父はセリーヌに謝罪した。
「すまなかった、セリーヌ。あんな男と婚約させていたとは。それに……、私は、お前のこれまでの努力を無下にしていたのだな」
セリーヌは、弁護士になりたいという夢を父に打ち明けた。
今は法科のある大学への進学を目指して、猛勉強を始めている。試験はこれからだが、セリーヌならきっと大丈夫だろう。
「それからルクス。お前にも謝らなければならない。私が何も見ていなかったせいで、長い間お前を苦しませてしまった。本当にすまなかった」
父の謝罪に対し、ルクスは許すとも許さないとも言わなかった。
母は何人もの医者に、ルクスは低栄養状態ですぐにでも食生活を改善するべきだと進言されていた。
けれども、ロザンナ・キンバリーを盲目的に信じきっていた母は、ヤブ医者だと難癖をつけて、二度とクロフォード家の敷居をまたがせなかった。
そして父は、こんな事態になるまでそのことに気がついていなかった。
自分の言葉通り、何も見ていなかったのだ。
私はそれが、父の最大の罪だと思う。
前世でルクスを死に至らしめた高熱は、ジュリアの持っていた赤黒い液体のせいなのだろう。
前世のジュリアは、ひたすらその時を待ち続け、計画を実行したのだ。
ただ、愛されたかったジュリア。
ジュリアもまた、クロフォード家の犠牲者なのだ。
「それから、アイリス」
父が、私と同じ透き通るようなペリドット色の瞳で私を見る。
「お前には、いくら謝っても謝り足りない。本当にすまなかった」
頭を下げる父に、私は答えた。
「いいんです」
心からそう思い、そう答えた。
家族への期待や愛を求める気持ち、そんなものは、全て前世に置いてきたから。
ただ父の言葉を、雪に埋もれ一人で死んでいった、17歳の私に聞かせてあげたかった。
それからの月日を、勉強し、本を読み、時々は家族で食事をし、マリーと笑いあって過ごした。
ルクスには本物の栄養学士が付き、ルクスの体調に合わせた栄養のある食事を、毎日食べられるようになった。
太陽の下で運動し、勉学に励み、よく食べ、よく眠り、時々二人で森へ行き、様々なことを語り合った。
母とジュリアは、田舎の領地から帰ってこない。
そうして、1年と半年が過ぎた。
私とルクスは、もうすぐ王立学園に入学する。