愚か者の後悔

追憶 ①

ふわりと掛けられた肩掛けのぬくもりに優しく意識を引き戻され、ブレナンの美しい風景が目の前に広がった。ふと目を上げて、アラン伯父様と声を掛けそうになるのを押しとどめる。

そう、伯父のガレリア前々侯爵はとうに亡くなっている。
目の前に居るのは伯父様の末息子で、ガレリア家の持つ子爵位を引き継いだ後、今は子息に代替わりしたロバート卿だ。
父のように私を慈しんでくれた大好きなアラン伯父様夫妻の間に、代替わり直前に思いがけず誕生した末っ子で、私は年の離れた弟のように可愛がっていた。
歩き始めた頃から、ねえさま、ねえさまと付いて回るのがとても可愛らしかったのだ。

掛けた肩掛けを整えてくれているのはロバートの妻であり、弟ルイスの一人娘のヴィクトリアだ。
ルイスはブレナン家がいくつか持つ爵位を勧めても固辞し続け、生涯私の最も信頼できる補佐として、またブレナン大公国の出版事業の要である絵師として支え続けてくれた。
そのルイスの伴侶となったのは、ブレナン小公爵夫妻であったレナート兄様とオフィーリア姉さまの肖像画を依頼して以来ずっと懇意にしている隣国エヴェール王国のナイトレイ女侯爵から託された、近隣国コルアイユ王国の伯爵令嬢だった。
マルグリットと呼び名を変えた彼女は、生家から顧みられず、姑となるはずだった婚約者の実母に虐げられても素直さを失わず気丈に生きて来たのだが、婚約者に手酷く裏切られ深く傷つき、失意の中命を絶とうとした所を間一髪で攫ってきたのだと聞かされた。
伯爵令嬢とは言え彼女ほど教養深く所作の美しい令嬢はそう多く無い。近隣国の数ヶ国語をも習得しており、ひとえに彼女の努力の賜物だと言えよう。しかも不遇な状況下で育っていても卑屈な所は見られず心映えも好感が持て、そして何よりも彼女の息を飲むほどに美しい手跡に惚れ込んでしまった私は庇護下に置く事を承諾したのだった。

彼女を連れてブレナン大公領へやって来たナイトレイ女侯爵の伯母の女傑は、周囲の歓迎の様子に大変満足した様子で、彼女を連れてきたことを盛大に自慢しながら帰っていった。いつ来ても春を告げる嵐のような人だった。
マルグリットと初対面の日、隣に座って共に話を聞いていたルイスにふと目をやると、その瞳の奥に初めて見る光が宿っていた。その光の意味に気づいて心が躍った事や、その後の数年に渡るルイスの奮闘と、心を通じ合わせてからはお互いが何者でも良いと無位のまま睦まじく添い遂げた生前の二人の姿を思い出してふと頬が緩む。

ロバートとヴィクトリア夫妻は引退後ブレナン大公領に移り住み、こうして何かと私の世話をしてくれている。
肩掛けを直すヴィクトリアの手を優しく包みながら、ありがとうと声を掛けて二人に微笑みかけた。

「本当にロバートは伯父様にそっくりだわ」

そう言うとロバートは、またその話ですかと、伯父様にそっくりな苦笑いを浮かべている。伯父様は私が背中に飛びつく度にそうして笑っていらしたわ。
顔かたちだけでなく仕草までもが本当にそっくり。

「風が出てきましたわ
伯母様、そろそろ邸に戻りましょうか
お天気が良ければ、明日もまたお散歩に参りましょうね」

優しく心からの気遣いが出来るヴィクトリアは姿形も心根もマルグリットによく似ている。
ほんのりとルイスを思わせるヴィクトリアの横顔に、優しく優雅でいつも微笑みを絶やさなかったシェリル様の面影が重なる。辛い事がある度に頬を包んでくれたあの温かく優しい手に、私は何度救われた事だろう。

ロバートが私の座る車椅子を押しヴィクトリアが寄り添って、海を見下ろす丘を後にした。
丘の上には親友夫妻の二つの墓標と、その傍に建設した教会にはブレナンの誇る勇敢な騎士や兵士たちの名を刻んだ慰霊碑がある。
体調とお天気が良ければ、ロバートとヴィクトリアは毎日のようにここへ散歩に連れ出してくれるのだ。
斜面を覆う花の蕾はまだ固く結ばれているが、もう少し温かくなれば辺り一面が水色に染まる。

邸までの道のりを三人で他愛の無い話をして到着すると、出迎えた使用人に交じって先日職業学校から採用したお針子見習いの少女たちが手に美しい箱を持って私の前に進んで可愛らしいカーテシーを取った。
私が手紙やカードを仕舞う箱を探していると聞いた彼女たちが、同じ職業学校で家具職人の見習いをしている男の子たちと相談し合って作ってくれたのだそうだ。

職業学校の設立は、ブレナン大公領の領主として一番初めに手掛けた事業だった。
ブレナン女大公となる事が決まり義父となったブレナン公爵から引継ぎの為に領地を視察していた頃、国の軍部を担う家門としての宿命とも言うべきか、王都に比べて寡婦や孤児の割合の多さを感じた事で決めたのだ。
先ずは教会と孤児院に協力を仰ぎ、父を失った子供たちや孤児を集めて読み書き等の基礎を教え、次にそれぞれの適性に合わせた色々な分野の手間仕事を請け負って仕事を覚えられるようにした。これは王都で母のバーバラが王太子妃だった頃の政策を手本とした。
最初は話を持ち掛けても大事な働き手の子どもたちを通わせる事を渋る親が多く、手間仕事には少額ながら手間賃を払う事と、読み書きが出来て手に職が付けば賃金を多くもらえるようになると粘り強く説得して何とか走り出した事業だったが、やがてそこで才能や頑張りが認められ、ブレナン大公邸をはじめ、領都の有名な工房や商会に見習いとして巣立って行く子供たちを目の当たりにすると希望者は徐々に増え始め、今では職業別に多くの学校を展開するまでに成長した。
また、職業学校の講師は一線を退いた熟練の職人たちの第二の就職先としても重宝されている。
怪我をして騎士団を去る事を余儀なくされた騎士たちには、騎士を目指す小さな子供たちを対象にしたプチ騎士団を設立して、そこで基礎体力作りや騎士の基礎訓練などを任せる事にした。
それらは、かつてレナート兄さまとオフィーリア姉さまと一緒に、国の為、ブレナン領の為に語り合っていた事だった。
領民たちと共に小さなことから一歩づつ、皆の力を借りてブレナン領を発展させていくのが、二人からこの地と意思を託された私の使命だ。

数年前からは職業学校ごとに協力し合って新しい産業のためのアイデアを発表するコンテストを行っている。
この美しい箱は去年彼らのグループが考案したもので、端材や端切れを利用したアイデアと何より見た目の美しさが目を引き、領主賞に選ばれたのだ。

カードと手紙の大きさピッタリに作られた箱には、私のお気に入りのドレスとおそろいの生地が貼られ、蓋の生地には私の紋章とブレナンの花々の刺繍が施されているとても美しい作品だった。
彼らの心遣いが嬉しくて思わず涙ぐんでしまい、箱を手に取って一人一人の顔を見ながらありがとうと言うと子供たちは花の綻ぶような笑顔を見せてくれた。
年を取ると涙もろくなっていけないわ。

大切な人たちからの手紙やカードは目と手の届くところに置いておきたかった。
カードは、ヴィクトリアの母のマルグリット夫人のほれぼれするような手跡が羨ましくて、お手本として短い詩を書いてもらっていたものと、ヴィクトリアがロバートと共に毎日小さな花束と共に届けてくれているものだ。
母親から手ほどきを受けたヴィクトリアの手跡も素晴らしく、ここへ来てから同じように書いてもらうようおねだりしたのだ。
時間のある時で良いと言っていたのだが、日課の練習がてらだと言いながら毎日書いてくれている。ヴィクトリアのカードにはルイス直伝の小さな絵が添えられている。
早速宝物たちを納めて、ポートレートが立ち並ぶベッドサイドのコンソールに置いた。
その様子を眺めては嬉しくて微笑んでしまう。
子どもたちへのお礼の品は何が良いかしら。後でメイドたちに相談しましょう。

母のバーバラ王太后の形見のコンソールには皆の形見とたくさんの思いやりが詰まっている。
生まれてこの方、私は何と周囲の人々に恵まれていた事か。
思い出の品一つ一つを手にしながら、今支えてくれている人々への感謝と共に、かつて支え合い、見送った多くの人々に想いを馳せる。


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