愚か者の後悔
追憶 ③
ホーエン王国建国のお祭りムードも一段落し国政も落ち着いて来た頃、私はアレクシス国王からとある相談を持ち掛けられた。
「サフォーク侯爵家を復興させようと思うのだが、ブレナン女大公には一から出直すカッセル侯爵子息の後ろ盾になってもらえないだろうか」
カッセル侯爵家の名に一瞬眉根が寄りそうになったのを、可愛らしく小首を傾ける事でやり過ごして、話を聞く事にした。
「サフォーク侯爵家はオルレシアン王国マリアンナ王妃陛下の元ご実家ですわね。マリアンナ王妃陛下の兄君は現在オルレシアン王国でエスティア伯爵位をお持ちとか。陛下のお考えあっての事ですからカッセル侯爵家の子息であろうと後ろ盾になるのは吝かではありませんが、先ずはどういったご計画かお聞かせ頂けますか?」
眉根を寄せた顔もとても可愛らしいのに、と残念そうに言いながら立ち上がったアレクシス国王は、私を窓際に誘い部屋にいる皆に背を向けた。密談の構えだ。
中庭を散策するフリーデリケ王妃一行とフィリップ王太子殿下と側近候補たちを見下ろしながら語られた計画に、私は思わず笑顔になり大きく頷いた。
その頃のホーエン王国ではフィリップ王太子殿下の婚約者候補の選定が行われていた。
今代は未婚の令嬢の居ないグレイ公爵家とブレナン大公家を除く、国内に四家ある侯爵家の令嬢たちが有力候補と噂されている。
ガレリア侯爵家は前王妃の実家であることから貴族家間の均衡の為に辞退を申し出ており、残るはノルマン侯爵家とヘルマン侯爵家、そしてカッセル侯爵家である。
ノルマン侯爵家は北の外海に面した領であることから防人として重要な地位を持つ。
ガレリア侯爵夫人の生家であり、廃妃となった元王妃の幽閉先として孤島の提供と監視、そして出奔後の後始末を一任された王家からの信頼も厚い家門だ。
ブレナン大公家とヘルマン侯爵家の領地とは内海が繋がっているため、海上の保安で同盟を結んでいる。
ヘルマン侯爵家は、廃太子ジョージの不貞相手である養女エルサの不祥事に巻き込まれたものの、その迅速な対応と関係各所への事後処理が実に高位貴族家らしく鮮やかだった。
あの運命の舞踏会の数日前、ヘルマン侯爵はジョージが王太子妃の証であるエメラルドの首飾りを持ってヘルマン侯爵家へ向かうと報告を受けたと同時に直ちにカイン小侯爵への爵位継承書類とエルサの侯爵籍除籍を提出して、自身は領地謹慎を届け出たのだ。
また、当主を退いた後に後妻となった夫人との子とはいえ、ブルク子爵家の血を引く令嬢の不祥事は低位貴族家であれば家の存続も危ぶまれるとして、ブルク子爵宛には事の次第を早馬で知らせた。
舞踏会の当日には既に提出書類の受理と議会の承認はなされており、意気揚々と入場した二人ではあったが、その時にはエルサは侯爵令嬢でも子爵令嬢でさえもなかったのだった。
新侯爵となったカインは、傘下に入ったブルク子爵と共に自らブレナン家とグレイ家に足を運んで最大限の誠意を見せた。
程なく私がブレナン女大公となる事が決まった時には、ヘルマン侯爵家一門の長として私の足元に膝を折り忠誠を誓ったのだ。
一連の手続きを終えるとヘルマン元侯爵は領内の別邸へと発ち、修道女となったエルサの母のブルク元子爵夫人は現在、ヘルマン元侯爵の推薦と支援を受けてエルサの眠る辺境の修道院に身を寄せていると聞く。
ガレリア侯爵家はもちろん、ノルマン侯爵家とヘルマン侯爵家は共に国王支持を表明しており、直系と家門の令嬢達をフリーデリケ王妃の下に行儀見習いや侍女として出仕させている。その令嬢達がフィリップ王太子殿下の婚約者候補と噂が上る度、その中から相応しい者を候補者とする可能性があると発表するに止め、正式な名乗りは挙げていない。
中庭の華やかな一行の中心には、フリーデリケ王妃の右手をエスコートするフィリップ王太子殿下と、左手を預けられているひときわ清楚な令嬢が品よく微笑んでいるのが見える。
賢妃と名高いフリーデリケ王妃の下には国内外の高位貴族令嬢が教えを乞うために集っている。その中の一人、オルレシアン王国エスティア伯爵家の令嬢であり、マリアンナ王妃の孫姪に当たるオデット嬢はフィリップ王太子殿下とは幼馴染だという。
適切以上と思える程の距離を保ちながらも見つめ合う二人の様子に、近い未来に並び立つ姿が見えるようだった。
対するカッセル侯爵家は、早々に直系の令嬢二人を王太子妃候補として名乗りを挙げ、家門の優秀な伯爵令嬢数名を側妃候補として強く推しているという。
国王派閥に対抗する貴族派閥として、カッセル侯爵夫人と子息夫人たちは、直系と家門の貴族を中心としたサロンを大々的に展開しており、中立派閥の家門や下位貴族家を取り込もうと精力的に活動している。
現在王太子殿下が通う貴族学園では側近候補の令息たちの守りが固く、学園内では彼らの姉妹であろうと女生徒は全く近づけないと聞いている。
それでもなお、カッセル侯爵家の令嬢達は何度注意されても王太子殿下に近づこうと躍起になり、更には外堀を埋めるべく中・下位貴族たちを中心に噂を流しているが相手にされていない様だ。
カッセル侯爵家は、現当主の奸佞と邪智により王家簒奪とも取れる行いにも関わらず、自ら手を下した事や指示した事を裏付ける一切の物的な証拠を残していなかった。
裁判でも、そうするように言われていると思ったという当事者の憶測の証言のみでは国内有数の高位貴族家を断罪することが出来なかったのだ。
バーバラ王太后が王太子妃候補であった頃から続いた数々の殺害計画や毒物の入手に付いても、カッセル侯爵は耳元で囁き示唆したと言われているが、囁かれた当人でさえも「毒」や「暗殺」などと言う言葉を明確に聞いておらず、それらをカッセル侯爵が直接指示したという証拠も証言も得られなかったのだ。そうして囁かれて忖度した周囲が手を廻し、それに乗せられ愚かにも自ら動き実際に手を下したのは当時王太子であったリチャードであり元先王妃だった。
カッセル侯爵は疑わしきは罰せずという国内法の隙を掻い潜り、カッセル家はまだ侯爵位のまま存続している。
だが、それを許すアレクシス国王ではなかった。
○○○
カッセル家はルクセル王国時代に海運業への投資で成功し、投資家として大成して伯爵位から侯爵位に陞爵した。
現当主は投資や金融の才はないものの社交界での策謀術に長けており、自身の姉を王家の乳母として出仕させ、更に家門の令嬢を王妃に押し上げた事で王宮での地位と権力を手に入れたのだ。そして三男のグスタフに創業者以来の投資の才能を見いだすと、[金を稼ぐしか能がない]と社交からも家族からも遠ざけて外にも出さず家業に専念させた。
地位と権力に加え、莫大な資産を得たカッセル侯爵家とその家門の貴族たちは更に増長し、この世の春とばかりに我が物顔で王宮を闊歩していたのだ。
しかし、今回の一件で罪に問われなかったとはいえ王妃殺害未遂の関与の可能性が色濃く、更に罪に問われた者たちはカッセル侯爵から融資や傘下に入れることを匂わされた者たちだった事が知れると、様々な契約先や投資先から断りの手紙が届くようになった。
家業を一任されているグスタフには寝耳に水の事で、理由を知ろうにも家人には、
(何も心配はいらない、お前は今まで通り金を稼ぐことだけを考えていれば良い)
と繰り返されるばかりで、その金を稼ぐ術がなくなりつつあるのだと言っても耳を貸してくれない。
使用人からも外の情報は遮断されているため、文房具を届けに来る商会を営んでいる子爵家から何とか社交界の情報を聞き出し、その令嬢を通じて兄たちの孫娘の学園内の様子も知ることが出来た。
社交界でも学園でも、王太子妃候補と息巻いているのはカッセル侯爵とその一門だけで、孤立している事を当人たちだけが気づいていない。
漸く父母や兄たちの所行を知る事となったグスタフに見えたのは、目前に迫った侯爵家の没落だった。
最期の投資先から断りの手紙を受け取ると、グスタフは今ある資金を纏めて領地に送り、家人の留守を狙って王宮へ侯爵領の救済の陳情に出かけた。
王宮にあるカッセル侯爵家に割り当てられた控室で長い時間待った後、呼びに来た護衛騎士に先導されて長い廊下をひたすら歩いてやっと辿り着いた部屋に通されると、そこには人好きのする笑顔を湛えた年配の男性がテーブルの向こうにゆったりと座っていた。
護衛の言葉で、目の前の人物が国王陛下だと気づくと全身に緊張が走り、慌てて最敬礼を執ったが、声が震えて口上がうまく言えなかった。
「ここはプライベートな場所だから畏まらなくていい。君の事は各方面から投資の天才だと聞いている。今まで酷い家族の為によく頑張っていたともね。」
初めて聞く褒め言葉と労いの言葉に一瞬ぽかんとしてしまったが、それよりも、とにかく領地の救済をお願いしたいと陳情を述べた。
国王陛下はじっとこちらを見据えた後、ゆっくりと話し始めた。
「領地の事は心配いらない。後を任せられる当てがある。
私はカッセル侯爵家のしたことを許すつもりは無いのだが、何も知らされずただ働かされていた君の才能は惜しいと思っていてね。君は全てを捨てて一から出直す覚悟はあるかい?」
全てを捨ててという言葉を反芻して、ふと気が付いた。
「私は捨てるものを何も持っていません。結婚も許されずにずっと一人で働くだけでしたから。
家族は、一緒に食事をした記憶さえほとんどありませんし、彼らは私の事を家族だとは思っていないでしょう。金を稼ぐだけしか能が無いと言われ続けていましたから、金を稼げなくなったと分かれば私の方が彼らに捨てられると思います」
感情なく淡々と答えた私に、それなら話は早いと計画をもちかけられた。
「では君には、ブレナン大公家の新しい輸入事業のためのテスト運航にカッセル家から先行投資をしてもらいたい。もちろんテスト運航だからそれ自体が利益を生むことは無い。テスト運航が上手くいけば引き続きの投資で利益が出るのだが、継続投資が出来るかどうかはカッセル侯爵家次第だ。
航路は岩礁の多い海域だから万が一の事を考えてテスト運航には廃棄船を使うが、当日はブレナン女大公と前ブレナン公爵が視察として乗船するため、救助が必要になった場合の費用の準備も必要なのだ」
あまりの言葉に息を飲む
「家はどうなろうと構いませんが、姫様と前閣下に降りかかるかもしれない災難を事前に知りながら看過することは私には出来ません。ましてやその災難に乗じるなどとても・・・
その視察は中止出来ないのでしょうか。」
国王陛下は無言でわたしを見つめて首を横に振った。
「・・・・・・それなら、当面運用できるように今ある資金を領地に送っていますが、それも資産として没収されると領地は立ち行きません。どうか領地に送ったお金は領民の物として残して頂けませんでしょうか。
・・・私は姫様の肖像画を、もちろんレプリカですが、一度だけ拝見したことがあるのです。お恥ずかしながら、美しいと思うものを目にしたのがその時が初めてで、その姫様に災難が降りかかるかもしれないと思うと・・・」
消沈する私を見て、国王陛下は破顔した。
「やはりフリーデリケが見出しただだけの事はある。
安心したまえ。大切な女大公に降りかかる災難など私が全て薙ぎ払う。
領地の資金については希望通りにしよう。
良いかね?筋書きはこうだ。
もしも海上で事が起った場合、ブレナン女大公と前公爵の窮地を救うのは、たまたま近くを通りかかったオルレシアン王国のエスティア伯爵家の船だ。
恩義を返すべくブレナン女大公はエスティア伯爵に自身の持つ子爵位を与える。
ホーエン王国での貴族籍を得たことを足掛かりに、エスティア伯爵は破産し領主を失った元カッセル侯爵領を買い取る事を申し出る。
それを受け、ホーエン王国の重要な大公家を救った褒賞として、また、ルクセル王国時代にも侯爵として国を支えてくれていた功績も発表し、元の家名を引継ぎサフォーク侯爵家として復興させる。
そして君はサフォーク侯爵家入領の引継ぎの際に、元カッセル領の為に奔走していた事と投資の才を見いだされ、ブレナン女大公の後ろ盾を得て王家の投資顧問になる」
あまりの情報の多さと破格の待遇に言葉にならなかった。
そんな様子の私に国王陛下からは、君はそれだけ価値のある人材なのだと言われ、ブレナン女大公の庇護下に入る前に知っておかなければいけない事があると、ルクセル王国時代から続くカッセル侯爵家の来し方を聞かされた。
「サフォーク侯爵家を復興させようと思うのだが、ブレナン女大公には一から出直すカッセル侯爵子息の後ろ盾になってもらえないだろうか」
カッセル侯爵家の名に一瞬眉根が寄りそうになったのを、可愛らしく小首を傾ける事でやり過ごして、話を聞く事にした。
「サフォーク侯爵家はオルレシアン王国マリアンナ王妃陛下の元ご実家ですわね。マリアンナ王妃陛下の兄君は現在オルレシアン王国でエスティア伯爵位をお持ちとか。陛下のお考えあっての事ですからカッセル侯爵家の子息であろうと後ろ盾になるのは吝かではありませんが、先ずはどういったご計画かお聞かせ頂けますか?」
眉根を寄せた顔もとても可愛らしいのに、と残念そうに言いながら立ち上がったアレクシス国王は、私を窓際に誘い部屋にいる皆に背を向けた。密談の構えだ。
中庭を散策するフリーデリケ王妃一行とフィリップ王太子殿下と側近候補たちを見下ろしながら語られた計画に、私は思わず笑顔になり大きく頷いた。
その頃のホーエン王国ではフィリップ王太子殿下の婚約者候補の選定が行われていた。
今代は未婚の令嬢の居ないグレイ公爵家とブレナン大公家を除く、国内に四家ある侯爵家の令嬢たちが有力候補と噂されている。
ガレリア侯爵家は前王妃の実家であることから貴族家間の均衡の為に辞退を申し出ており、残るはノルマン侯爵家とヘルマン侯爵家、そしてカッセル侯爵家である。
ノルマン侯爵家は北の外海に面した領であることから防人として重要な地位を持つ。
ガレリア侯爵夫人の生家であり、廃妃となった元王妃の幽閉先として孤島の提供と監視、そして出奔後の後始末を一任された王家からの信頼も厚い家門だ。
ブレナン大公家とヘルマン侯爵家の領地とは内海が繋がっているため、海上の保安で同盟を結んでいる。
ヘルマン侯爵家は、廃太子ジョージの不貞相手である養女エルサの不祥事に巻き込まれたものの、その迅速な対応と関係各所への事後処理が実に高位貴族家らしく鮮やかだった。
あの運命の舞踏会の数日前、ヘルマン侯爵はジョージが王太子妃の証であるエメラルドの首飾りを持ってヘルマン侯爵家へ向かうと報告を受けたと同時に直ちにカイン小侯爵への爵位継承書類とエルサの侯爵籍除籍を提出して、自身は領地謹慎を届け出たのだ。
また、当主を退いた後に後妻となった夫人との子とはいえ、ブルク子爵家の血を引く令嬢の不祥事は低位貴族家であれば家の存続も危ぶまれるとして、ブルク子爵宛には事の次第を早馬で知らせた。
舞踏会の当日には既に提出書類の受理と議会の承認はなされており、意気揚々と入場した二人ではあったが、その時にはエルサは侯爵令嬢でも子爵令嬢でさえもなかったのだった。
新侯爵となったカインは、傘下に入ったブルク子爵と共に自らブレナン家とグレイ家に足を運んで最大限の誠意を見せた。
程なく私がブレナン女大公となる事が決まった時には、ヘルマン侯爵家一門の長として私の足元に膝を折り忠誠を誓ったのだ。
一連の手続きを終えるとヘルマン元侯爵は領内の別邸へと発ち、修道女となったエルサの母のブルク元子爵夫人は現在、ヘルマン元侯爵の推薦と支援を受けてエルサの眠る辺境の修道院に身を寄せていると聞く。
ガレリア侯爵家はもちろん、ノルマン侯爵家とヘルマン侯爵家は共に国王支持を表明しており、直系と家門の令嬢達をフリーデリケ王妃の下に行儀見習いや侍女として出仕させている。その令嬢達がフィリップ王太子殿下の婚約者候補と噂が上る度、その中から相応しい者を候補者とする可能性があると発表するに止め、正式な名乗りは挙げていない。
中庭の華やかな一行の中心には、フリーデリケ王妃の右手をエスコートするフィリップ王太子殿下と、左手を預けられているひときわ清楚な令嬢が品よく微笑んでいるのが見える。
賢妃と名高いフリーデリケ王妃の下には国内外の高位貴族令嬢が教えを乞うために集っている。その中の一人、オルレシアン王国エスティア伯爵家の令嬢であり、マリアンナ王妃の孫姪に当たるオデット嬢はフィリップ王太子殿下とは幼馴染だという。
適切以上と思える程の距離を保ちながらも見つめ合う二人の様子に、近い未来に並び立つ姿が見えるようだった。
対するカッセル侯爵家は、早々に直系の令嬢二人を王太子妃候補として名乗りを挙げ、家門の優秀な伯爵令嬢数名を側妃候補として強く推しているという。
国王派閥に対抗する貴族派閥として、カッセル侯爵夫人と子息夫人たちは、直系と家門の貴族を中心としたサロンを大々的に展開しており、中立派閥の家門や下位貴族家を取り込もうと精力的に活動している。
現在王太子殿下が通う貴族学園では側近候補の令息たちの守りが固く、学園内では彼らの姉妹であろうと女生徒は全く近づけないと聞いている。
それでもなお、カッセル侯爵家の令嬢達は何度注意されても王太子殿下に近づこうと躍起になり、更には外堀を埋めるべく中・下位貴族たちを中心に噂を流しているが相手にされていない様だ。
カッセル侯爵家は、現当主の奸佞と邪智により王家簒奪とも取れる行いにも関わらず、自ら手を下した事や指示した事を裏付ける一切の物的な証拠を残していなかった。
裁判でも、そうするように言われていると思ったという当事者の憶測の証言のみでは国内有数の高位貴族家を断罪することが出来なかったのだ。
バーバラ王太后が王太子妃候補であった頃から続いた数々の殺害計画や毒物の入手に付いても、カッセル侯爵は耳元で囁き示唆したと言われているが、囁かれた当人でさえも「毒」や「暗殺」などと言う言葉を明確に聞いておらず、それらをカッセル侯爵が直接指示したという証拠も証言も得られなかったのだ。そうして囁かれて忖度した周囲が手を廻し、それに乗せられ愚かにも自ら動き実際に手を下したのは当時王太子であったリチャードであり元先王妃だった。
カッセル侯爵は疑わしきは罰せずという国内法の隙を掻い潜り、カッセル家はまだ侯爵位のまま存続している。
だが、それを許すアレクシス国王ではなかった。
○○○
カッセル家はルクセル王国時代に海運業への投資で成功し、投資家として大成して伯爵位から侯爵位に陞爵した。
現当主は投資や金融の才はないものの社交界での策謀術に長けており、自身の姉を王家の乳母として出仕させ、更に家門の令嬢を王妃に押し上げた事で王宮での地位と権力を手に入れたのだ。そして三男のグスタフに創業者以来の投資の才能を見いだすと、[金を稼ぐしか能がない]と社交からも家族からも遠ざけて外にも出さず家業に専念させた。
地位と権力に加え、莫大な資産を得たカッセル侯爵家とその家門の貴族たちは更に増長し、この世の春とばかりに我が物顔で王宮を闊歩していたのだ。
しかし、今回の一件で罪に問われなかったとはいえ王妃殺害未遂の関与の可能性が色濃く、更に罪に問われた者たちはカッセル侯爵から融資や傘下に入れることを匂わされた者たちだった事が知れると、様々な契約先や投資先から断りの手紙が届くようになった。
家業を一任されているグスタフには寝耳に水の事で、理由を知ろうにも家人には、
(何も心配はいらない、お前は今まで通り金を稼ぐことだけを考えていれば良い)
と繰り返されるばかりで、その金を稼ぐ術がなくなりつつあるのだと言っても耳を貸してくれない。
使用人からも外の情報は遮断されているため、文房具を届けに来る商会を営んでいる子爵家から何とか社交界の情報を聞き出し、その令嬢を通じて兄たちの孫娘の学園内の様子も知ることが出来た。
社交界でも学園でも、王太子妃候補と息巻いているのはカッセル侯爵とその一門だけで、孤立している事を当人たちだけが気づいていない。
漸く父母や兄たちの所行を知る事となったグスタフに見えたのは、目前に迫った侯爵家の没落だった。
最期の投資先から断りの手紙を受け取ると、グスタフは今ある資金を纏めて領地に送り、家人の留守を狙って王宮へ侯爵領の救済の陳情に出かけた。
王宮にあるカッセル侯爵家に割り当てられた控室で長い時間待った後、呼びに来た護衛騎士に先導されて長い廊下をひたすら歩いてやっと辿り着いた部屋に通されると、そこには人好きのする笑顔を湛えた年配の男性がテーブルの向こうにゆったりと座っていた。
護衛の言葉で、目の前の人物が国王陛下だと気づくと全身に緊張が走り、慌てて最敬礼を執ったが、声が震えて口上がうまく言えなかった。
「ここはプライベートな場所だから畏まらなくていい。君の事は各方面から投資の天才だと聞いている。今まで酷い家族の為によく頑張っていたともね。」
初めて聞く褒め言葉と労いの言葉に一瞬ぽかんとしてしまったが、それよりも、とにかく領地の救済をお願いしたいと陳情を述べた。
国王陛下はじっとこちらを見据えた後、ゆっくりと話し始めた。
「領地の事は心配いらない。後を任せられる当てがある。
私はカッセル侯爵家のしたことを許すつもりは無いのだが、何も知らされずただ働かされていた君の才能は惜しいと思っていてね。君は全てを捨てて一から出直す覚悟はあるかい?」
全てを捨ててという言葉を反芻して、ふと気が付いた。
「私は捨てるものを何も持っていません。結婚も許されずにずっと一人で働くだけでしたから。
家族は、一緒に食事をした記憶さえほとんどありませんし、彼らは私の事を家族だとは思っていないでしょう。金を稼ぐだけしか能が無いと言われ続けていましたから、金を稼げなくなったと分かれば私の方が彼らに捨てられると思います」
感情なく淡々と答えた私に、それなら話は早いと計画をもちかけられた。
「では君には、ブレナン大公家の新しい輸入事業のためのテスト運航にカッセル家から先行投資をしてもらいたい。もちろんテスト運航だからそれ自体が利益を生むことは無い。テスト運航が上手くいけば引き続きの投資で利益が出るのだが、継続投資が出来るかどうかはカッセル侯爵家次第だ。
航路は岩礁の多い海域だから万が一の事を考えてテスト運航には廃棄船を使うが、当日はブレナン女大公と前ブレナン公爵が視察として乗船するため、救助が必要になった場合の費用の準備も必要なのだ」
あまりの言葉に息を飲む
「家はどうなろうと構いませんが、姫様と前閣下に降りかかるかもしれない災難を事前に知りながら看過することは私には出来ません。ましてやその災難に乗じるなどとても・・・
その視察は中止出来ないのでしょうか。」
国王陛下は無言でわたしを見つめて首を横に振った。
「・・・・・・それなら、当面運用できるように今ある資金を領地に送っていますが、それも資産として没収されると領地は立ち行きません。どうか領地に送ったお金は領民の物として残して頂けませんでしょうか。
・・・私は姫様の肖像画を、もちろんレプリカですが、一度だけ拝見したことがあるのです。お恥ずかしながら、美しいと思うものを目にしたのがその時が初めてで、その姫様に災難が降りかかるかもしれないと思うと・・・」
消沈する私を見て、国王陛下は破顔した。
「やはりフリーデリケが見出しただだけの事はある。
安心したまえ。大切な女大公に降りかかる災難など私が全て薙ぎ払う。
領地の資金については希望通りにしよう。
良いかね?筋書きはこうだ。
もしも海上で事が起った場合、ブレナン女大公と前公爵の窮地を救うのは、たまたま近くを通りかかったオルレシアン王国のエスティア伯爵家の船だ。
恩義を返すべくブレナン女大公はエスティア伯爵に自身の持つ子爵位を与える。
ホーエン王国での貴族籍を得たことを足掛かりに、エスティア伯爵は破産し領主を失った元カッセル侯爵領を買い取る事を申し出る。
それを受け、ホーエン王国の重要な大公家を救った褒賞として、また、ルクセル王国時代にも侯爵として国を支えてくれていた功績も発表し、元の家名を引継ぎサフォーク侯爵家として復興させる。
そして君はサフォーク侯爵家入領の引継ぎの際に、元カッセル領の為に奔走していた事と投資の才を見いだされ、ブレナン女大公の後ろ盾を得て王家の投資顧問になる」
あまりの情報の多さと破格の待遇に言葉にならなかった。
そんな様子の私に国王陛下からは、君はそれだけ価値のある人材なのだと言われ、ブレナン女大公の庇護下に入る前に知っておかなければいけない事があると、ルクセル王国時代から続くカッセル侯爵家の来し方を聞かされた。