私の生きる理由 ~君の鼓動に、永遠の愛を誓って~


11月の冷たい雨が、無機質な摩天楼を濡らしていた。

緑川グローバル本社ビル、三十五階の副社長室。
ガラスウォールの向こうに広がる景色は、低く垂れ込めた雲のせいで、すべてが灰色に沈んで見えた。

「副社長、こちらが今回の楠箕田コーポレーションとの契約解除に関する最終書類です」
「置いておけ」

 緑川桜介(みどりかわ・おうすけ)は、広大なデスクの上で万年筆を走らせながら、視線も上げずに答えた。
 秘書が音もなく書類を置き、一礼して退室する。
 静寂だけが残された部屋で、桜介はふとペンを止めた。

 窓ガラスに映る自分と目が合う。
 28歳。
 仕立ての良いチャコールグレーのスーツ。
 整えられた黒髪に、端正だが温度を感じさせない顔立ち。
 そこには、生きる喜びも、明日への期待も、何一つ浮かんでいない。
 ただ「副社長」という機能だけがそこに存在していた。

(…これでいい)

 桜介は心の中で冷たく呟く。
 感情など、仕事の邪魔になるだけだ。
 
 2年前、信じていた妻・園子の裏切りによって、桜介の世界は一度崩壊した。
 「愛している」という言葉が、どれほど軽薄で、人を欺くための道具になり得るか、彼は骨の髄まで思い知らされたのだ。
 
5年前に母・京華が事故で脳死したことから、早く結婚して父を安心させてあげたいと思っていた桜介。
しかし留学を経て他社で修行して父の元へ戻ってきた桜介を待っていたのは、取引先の令嬢との政略結婚だった。

お互いの利益の為にと5歳年上の楠箕田園子と結婚した桜介。
当時、楠箕田コーポレーションは緑川グローバルにとって大口取引だった。
そんな時、楠箕田コーポレーション社長から「娘の園子と結婚させて漏れないか」と縁談の話が届いた。

桜介はまだ結婚は早いのではないかと思っていたが、父が1人で苦労している姿を見ている事から。
これは良い機会ではないかと思ったことから、縁談を進めてもらった。

まだ26歳だった桜介に対して、孫子は31歳の大人の魅力が強い女性だった。
「桜介さん、園子です。よろしくお願いします」
派手なブロンド服に身を包んだ園子は、妙な若作りで笑顔をも作っている事がすぐにわかった。
「桜介さん、あなたとならこの先ずっと一緒にいられます」
そう言って園子は、どんどん押してきた。
桜介はその勢いの中に、亡くなった母の強さを見ていたようだ。
この人なら安心できるかもしれない。
そんな思いで結婚を決めた。

結婚式は大手グループ会社が経営する豪華なホテルで、社員達を招いて盛大に行われた。
園子が望むままチャペルで式を挙げ、披露宴も豪華に行った。
だが、結婚式の費用はほとんどが緑川家から出された。
男の家に嫁ぐのだから当然だろうという流れだったが、総額1000万近くかかっている費用をほとんど負担しない事に、桜介は不審を抱いていた。

新婚旅行は園子が望むまま海外へ1週間行くことになった。
しかし部屋は別々で、ほとんど一緒の部屋で過ごすことがなく、お互いが別行動していた。
最終日に、園子が桜介の部屋に来て「最終日くらい一緒に寝ましょう」と言ってきた。
その流れで関係を持ったが、桜介は疲れていたのか途中で寝てしまい翌朝目が覚めて園子が「あなたと相性ピッタリね」と言った。
だが、桜介には何も実感がなく、心も体も満たされていない状態だった。

新婚旅行から帰り2週間後に。
「あなた、赤ちゃんができたの」
園子にそう言われて、桜介は新婚旅行の最終日のアレで?と驚いていた。
「まだ6週目だから、ちょっと大変だけど。よろしくねパパ」
幸せそうに微笑む園子の表情は、どこか怪し気だったが桜介はその言葉を信じるしかできなかった。
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