この空の青を、君は知らない
第一章
チッチッチ。
夜を刻む秒針の音が、病室に響く。
余命一年。そう告げられてから、この音がやけに耳につくようになった。
その一定の音が、時間を確実に削っていくように感じられた。
天井を見つめ、布団を引き上げて目を閉じた。瞼の裏に広がる暗さは、眠りをもたらしてはくれなかった。
人間は、いつか死ぬ。
そんな当たり前のことが、
今になってやけに胸に重くのしかかる。
「死ぬまでにやりたいこと」
——紙にそう書き、ペン先が止まった。
白い余白だけが広がったままだった。
思い残すことが無いわけじゃない。
やりたいことだって、きっとある。
けれど、それを書こうとすると、すぐにその先を考えてしまう。
未来を思い描くことが、そのまま終わりへとなぞることになる。
布団を口元まで引き寄せ、浅く息を吐いた。
はぁ。
今日も、同じ一日だ。
少しツンとするアルコールの香りの中で、変わり映えのしない入院食を流し込む。
薬を飲み、ぼんやりと過ごすうちに日が暮れる。
こうして時間だけを消費する日々を、「生きている」と言えるのだろうか。
答えを出す気力もなくて、思考を無理やり閉じた。
そのとき、カーテンがひらりと揺れた。
わずかな隙間から、夜の光が差し込む。
やわらかな月明かりが、白いベッドを照らしていた。
無機質だった病室が、一瞬だけ別の場所に見えた。
窓の向こうには、解き放たれたような空。
——これを、描いていたら。
そう思った瞬間、胸の奥がほんの少しだけ軽くなるような気がした。
理由はもう、分かっていた。
絵を描く間だけは、何も考えなくて済む。
死も、未来も、痛みも。
色を重ね、形取っていくその間だけ、世界は絵で満たされる。
現実から逃げているだけだと、分かっている。
それでも、逃げ場があるだけで、まだ息をしていられる気がした。
体を起こし、布団から足を出す。
床の冷えが、足裏からじわりと伝わってきた。
四月の夜は、まだ寒い。
パーカーを羽織り、絵の具と筆を鞄に放り込む。病室の扉をそっと閉めると、静かな廊下の蛍光灯が僕だけを照らしていた。
見つかったら、きっと怒られる。
連れ戻されて、ベッドに横たわって、また「何もない時間」に戻る。
一瞬、足が止まる。
それでも、考えるより先に体が動いた。
冷たい手すりを掴み、階段を上がる。
息が少し苦しい。
けれど、今はどうでもよかった。
扉へ手を伸ばす。
そっと小さく息を吸って、力を込めて押した。