危険すぎる恋に、落ちてしまいました。番外編
椿は、はっと息を呑んだ。
自分の視界いっぱいに広がっている状況――押し倒された美羽、赤くなった自分の手、近すぎる距離。
数秒遅れて、すべてを理解する。

「あー……くそっ」

乱暴に髪をかき上げ、天井を仰ぐ。

「いや、そこは反省するところだからね?」
間髪入れずに飛んできたツッコミに、空気が一気に現実へ引き戻された。

椿はゆっくり身体を起こし、視線を逸らしたまま低く言う。
「……悪ぃ、美羽。」

耳まで真っ赤だ。

美羽は一瞬きょとんとしたあと、ぱっと我に返り、慌ててベッドから降りた。
「う、うん!元に戻ってよかった……!」

声は少しよそよそしく、胸元を押さえながら距離を取る。

その様子を見ていた慧が、くすりと笑った。
「ふふ。……はじめまして、だよね?」

柔らかく差し出される声。
「僕は北条慧。椿の兄です。……椿の彼女さんかな?」

その言葉に、美羽の心臓がどくんと跳ねた。
(この人が……椿くんのお兄さん……!)

「は、はいっ!雨宮美羽と申します!」
勢いよく頭を下げてしまい、途中で我に返る。
「えっと……その……お見苦しいところを……す、すみません……」

顔が熱い。視界がぐらぐらする。

「別に、見苦しくはねぇだろ。」

ぽつりと割って入る低い声。
椿は照れ隠しのように頬を掻いていた。

「もう、椿くん……!」
美羽はさらに赤くなる。

「はいはい、そこまで」
慧は楽しそうに言って、椿に氷嚢を放った。

「椿が熱ある時は理性も一緒に下がるんだから。頭、冷やしな?」

「……っ」
氷嚢を受け取り、椿は大人しく額に当てる。

「ごめんね、美羽ちゃん。」
慧は屈託なく笑った。
「椿、熱出るとちょっと危険人物になるんだ。怖かったでしょ?」

「い、いえ……」
美羽は苦笑いしつつも、内心はどきどきが止まらない。
(なんていうか……悠真くんの腹黒さと、大人の余裕を足して二で割った感じ……)

(そういえば、前に鈴ちゃんがあんまり家行かない方がいいって言ってたなぁ…)

「もう遅いし、送っていくよ。」
慧は当然のように言った。

「えっ!?い、いいですよそんな、悪いですし!」
慌てて手を振る。

「だめだめ。可愛い女の子を一人で帰らせるわけにはいかないでしょ?」
さらりとウインク。

(…うわぁ…まぶしい……)

美羽は思わず目を逸らす。

(椿くんに、こんな人たらし要素がなくて本当によかった……)

「じゃ、椿くん……またね?」
小さく手を振る。

「あぁ……その……色々、悪かったな。」

ぶっきらぼうだけど、どこか優しい声。

「美羽、気をつけて帰れよ。」

椿はちらりと慧を見る。

「……兄貴」

「大丈夫だよ」

慧は短く頷き、静かに微笑んだ。

意味深な視線のやり取りに、美羽の頭の上には小さな「?」が浮かぶ。

玄関を出ると、夜の空気がひんやりと頬を撫でた。
ボルドー色のBMZが、静かにライトを灯す。

「どうぞ、お姫様。」
冗談めかした声に、美羽は思わず笑ってしまう。

車が走り出し、ヘッドライトが夜道を切り開いていく。
窓の外に流れる街灯を見つめながら、美羽は胸に手を当てた。

(……今日も、心臓が忙しすぎる)

風邪の夜は、まだ少しだけ、甘くて騒がしい余韻を残していた。


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