欠けていく世界で、きみの光を見つけた
今日のカレーライスがあんまり美味しくなかったとか、
明日の早朝からあるバードウォッチングにどんな意味があるのかとか。

本来の目的である星なんてそっちのけで、私たちは他愛のない話を続けていた。

その間も、晴斗くんや直哉くんの方に行かないで、私の隣で腰を下ろす泰史くん。

体の右側がくすぐったいような気もしたけれど、それでも確かに落ち着く空気が流れていた。

メイク、してもらってて良かったな……。

夜の空気にも慣れ、そんな呑気なことを考え始めていたとき。

「おーい、誰かいるなー?もう消灯時間だぞー」

遠くの廊下の窓から、先生の声が響いた。

それまで穏やかに落ち着いていた心臓がどくりと大きな音を立てる。

「やっべ」

晴斗くんが呟いて、素早く腰を上げた。
みんなも一斉に振り返り、各々が勢いよく飛び上がる。

「逃げろ!」
「走れ!」

焦ったようにしながらもどこか楽しそうに、施設の方へ駆け出していくみんな。

「——待って」

私も、反射的に腰を浮かせたものの、その場で低くしゃがみ込んだまま固まってしまう。

——怖い。
だけど、このままじゃ、置いていかれちゃう。

震える足をなんとか奮いたたせて立ち上がろうとした、そのとき。

「こっち」

不意に、横から手を掴まれた。

そのままぐっと引かれて、建物の脇の茂みに身を潜める。
しゃがみ込むと、葉が触れて、かさりと小さな音がした。

「もう全員逃げたか〜?」

先生の声が頭上から降ってきて、私は息を止めた。

隣には、昔より広くなった泰史くんの肩がある。
触れそうなくらい近い距離に、胸が落ち着かなくなった。

暗くて顔ははっきり見えないけれど、呼吸の音が聞こえるくらいの距離。

ドキドキと速くなる心臓の音が、泰史くんにまで聞こえてしまいそうで、私は思わず体を離そうとした。

その瞬間、茂みが揺れて、ガサっと大きな音を立てる。

「ばか」

小さく言われて、ぐっと腕を引き戻された。
肩を抱かれるような距離になり、息が止まりそうになる。

「逃げ足速いな〜」

近くにいた先生がぼそっと呟いた。

「おーい、追いかけないから、さっさと部屋戻って寝ろよー」

どこかに隠れているみんなに向かって声をかけながら、先生の足音が遠ざかっていく。

泰史くんは、私の頭を隠すように抱き寄せたまま、茂みの隙間から廊下の様子を覗いていた。

「……大丈夫そうだな」

しばらくして、その言葉と同時に、ふっと腕の力が緩んだ。

体勢を戻した泰史くんが、自分の腕の位置に気づいて、はっとしたように、ひとり分の距離を空ける。

「悪い」

いつもだったら、少し怖いと感じてしまうようなぶっきらぼうな声。

だけど、今日はどこか、照れている彼の横顔が見える気がして、私もそわそわした気持ちで首を振った。

「ううん、ありがとう」

隣のあたたかな気配に、なんとなく落ち着かない気持ちで、私はしばらく黙っていた。

静かな夜の心地よい風が頬を撫でて、心を穏やかにさせていく。

さっきまでの時間を思い返したら、どうしてか笑いが溢れ出した。

「ふふふ」
「……なんだよ」

突然笑い出した私に、驚いたような声が返ってくる。

「はぁ、ドキドキした。絶対見つかっちゃうと思った」
「あー……すげー焦った顔してたもんな」

暗闇の中。
スマホのライトもつけていないから、月明かりだけが頼りだった。

近かったときはなんとなく見えた泰史くんの表情も、今は少し距離ができて、はっきりとは分からない。

でも、優しい声色から、たぶん笑っている気がした。

「そりゃ焦るよ。わたし走れないから、取り残されちゃうって思って」
「こういう時は残ったほうがばれないんだよ」
「昔からそうだったよね。イタズラばっかりして、先生の目かいくぐるの得意でさ」
「バカにしてんだろ」

遠慮のない泰史くんらしい返事に、思わずまた笑ってしまう。

こんなふうに、自然に話せるのはいつぶりだろう。

さっき、ワガママを言ったのに。

それでも変わらず隣にいてくれる泰史くんに、少しだけ甘えてしまっているのかもしれない。

本当はいけないのに。
迷惑をかけたくない気持ちは変わらないのに。

申し訳なさよりも、一緒にいられる嬉しさのほうが大きい自分に、少し驚いた。

「お前こそ、昔から……」
泰史くんが言いかけて、言葉を止める。

「ドジ?」
私の方から続きを言うと小さく息を吐く音がした。

「転ばないようにって、手繋いで登下校してたよね」
「母さんたちがな。うるさかったよな」
「小学生になって、一緒に帰らなくなってさ。それから私、めちゃめちゃ転んで毎日怪我増やすから、お母さんが頭抱えてたの」

思い出して、くすっと笑う。

「泰史、なんで菜由のこと見てくれないのかなー!?って理不尽に怒ってて」
「俺も会うたび言われてたよ、お前の家の母さん怖えんだよな」

小さく笑いが重なり、そのまま、少しの沈黙が戻った。

「でも、それから少しして、私の目がみんなと違うことが分かった」

私のドジに名前がついたあの瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。

「泰史くん……あの時は、ごめんね」

ずっと、胸の奥に残り続けていた記憶が、ゆっくりと顔を出していた。
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