欠けていく世界で、きみの光を見つけた
昇降口を出た瞬間、むわっとした熱気が肌にまとわりつく。

冬服に変わった生徒も増えてきたというのに、空気はまだ夏の名残を残していて、私は思わず小さく息を吐いた。

部活中のグラウンドからは、サッカー部の大きな声が聞こえてくる。

聞き慣れた声に胸が揺れそうになって、私は無意識に足を速めた。

校門を抜けて、住宅街へ続く坂道に差しかかった、そのとき。

「菜由!」

後ろから呼ばれた声に、心臓が跳ねる。

振り返ると、白い練習着のままで、泰ちゃんが走ってきていた。

「……泰ちゃん?」

息を切らしたまま目の前で立ち止まると、泰ちゃんは少し眉を寄せる。

「なんで先帰ってんの」

その声に、胸の奥がまた苦しくなるのを誤魔化して、私は小さく口角を上げた。

「連絡入れておいたんだけど、見なかった?」

クラリネットのケースを抱え直しながら、できるだけ軽い声で続ける。

「もう日が短くなるし。泰ちゃん、サッカーあるのに、帰る時間合わせてもらうの悪いから……帰りは早く帰ろうと思って」

できるだけ自然に笑ってみせたつもりだった。

だけど、泰ちゃんは少しも騙されてくれない。

夕焼けの光の中で、まっすぐ私を見つめたまま、さらに眉をひそめる。

「それじゃ菜由、部活できないじゃん」

すぐに返ってきた声に、私は小さく視線を伏せた。

「……大丈夫だよ。遅い時は今までもお母さんが迎えに来てくれてたし」

本当は、最近午後からのシフトにも入り始めて、迎えを頼みづらくなっているけれど。

だからと言って、泰ちゃんに頼りきりではいられない。

「でも、母さんも最近忙しいんだろ?」

当然のように知られていた状況に、私はまた言葉を詰まらせた。

「吹部の終わる時間ほぼ一緒じゃん。暗くなっても俺がちゃんと送り届けるよ」

私を安心させるように、泰ちゃんはゆっくりとそう伝えてくれる。

「……でも」

泰ちゃんの言うことはすべて正しいけれど。

その優しさに甘えたくなる気持ちを抑えて、私はクラリネットのケースを抱える手に、ぎゅっと力を込めた。

「なんかさ」

しばらく続いた沈黙を破るように、不意に低い声が落ちた。

私はびくりと肩を揺らして顔を上げる。
夕焼けの光の中で、泰ちゃんはまっすぐ私を見ていた。

「俺、避けられてる?」

困ったように眉を下げる彼に、どくん、と心臓が嫌な音を立てる。

『もう、放っておいて』

泣きそうな声で泰ちゃんを突き放した、あの日の自分が脳裏をよぎった。

「ち、違……っ」

ーー傷つけたいわけじゃない。

慌てて否定しようとしたけれど、うまく言葉は続かない。

何も言えない私に、泰ちゃんは小さく息を吐いた。

「前も言ったけど」

少し掠れた声が、夕暮れの空気に静かに落ちる。

「迷惑に思ってることなんてひとつもないから」

西日に照らされた泰ちゃんの横顔は、やっぱりいつもよりずっと大人びて見えた。

その表情に、私は、ぎゅっと唇を噛んで視線を落とす。

「最近また、なんとなく遠慮されてる感じするし……」

泰ちゃんは困ったように眉を寄せながら、じっと私を見つめていた。

私は俯いたまま、小さく首を振る。

「泰ちゃんは……優しすぎるんだよ……」

口にした瞬間、その声はすぐ震えて、情けないくらい弱く地面へ落ちていった。

「ただの幼馴染じゃん。そんなに自分の時間削ってまでいてくれなくていいんだよ……」

しばらく黙っていた泰ちゃんは、夕焼け色の空を見上げたまま、ゆっくり前髪をかき上げる。

「……好きなんだよ」

不意に落ちてきたその言葉に、私は息を止めた。

乾いた秋風が吹き抜ける。

その意味に気づいた瞬間、ぽろぽろと涙が溢れて止まらなくなった。

私は何度も首を横に振りながら、震える指でスカートを強く握りしめる。

「……幼馴染だからとかじゃない」

そう付け加えられて、また涙が零れた。

優しい声だった。
そして、これ以上なく嬉しい言葉。

それなのに。
私は何度も小さく首を横に振る。

「……だめ」

やっと絞り出した声は、涙に詰まってひどく弱々しかった。

それでもちゃんと伝えるため、私は震える息をひとつ吸い込む。

「だめだよ……」

夕焼けの空気の中で、泰ちゃんが言葉を失ったのが分かった。

顔なんて、当然見られない。

私は唇を強く噛んだまま、俯いて涙を堪えることしかできなかった。

「……なんで、だめなんだよ」

しばらくして落ちた声は、押し殺したみたいに苦しそうに響く。

だけど、本当のことなんて言えるわけなかった。

好きだよ。
でも、だからこそ。

いつか重荷になってしまう私では、泰ちゃんの隣にいられない。

目が見えなくなるかもしれない。
そんな私が、軽々しく隣に立っていいはずがない。

こんな苦しそうな声をさせてしまったのは、もっと早く離れられなかったからだ。

私が、何度もその手を取ってしまったから。

今さら悔やんでも遅いけど。

それでも、これ以上続けないために、私は涙を拭ってゆっくり顔を上げた。

「……泰ちゃんのこと、そういうふうに思ったことないの」

思ってもないことを言葉にした瞬間、胸の奥がずきりと痛む。

そんな本音を隠すように、私は無理やり口角を持ち上げた。

「だから……もう戻って」

震えそうになる声を押さえ込んで、必死に固めた笑顔を貼り付ける。

「まだ明るいし、大丈夫だから」

動かない泰ちゃんの両手をそっと掴んで、私は学校の方へ向くように、その体をくるりと押した。

「ありがとう。いつも隣にいてくれて」

――でも、もう大丈夫だから。

続けようとした言葉は、これ以上喋ったら泣いてしまいそうで、喉の奥に引っかかったまま消えていく。

私はにっこりと笑ってみせると、そのまま泰ちゃんの横を通り過ぎた。

背を向けた瞬間、堪えていた涙が溢れ出す。

滲んだ夕焼けの中で、前なんてほとんど見えていなかった。
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