残響
「唯って、こうだったっけ……?」

晃哉が、隣にいる唯を見ながら、ぽつりと呟いた。

少しだけ間を置いて、

「……でも、そうしてしまったのは俺だよね」

唯は何も言わなかった。

ただ、晃哉の横顔をじっと見つめていた。

大人になった私たちは、何度目なんだろう。

こうして同じ部屋にいて、隣にいる。

離れて、また会って。

それでも、まだ一緒にいる。

もう何度繰り返したのか、二人にもわからなくなっていた。

※

抱き合っているとき、唯は一度だけ、晃哉の耳元で囁いた。

「好き。こうちゃん、大好き」

その声は、いつもの唯より少しだけ小さかった。

晃哉は一瞬だけ目を閉じて、

「俺も好き」

そう返した。

唯は顔を上げた。

晃哉の目を見つめながら、そっと頬に手を添える。

その手は、少し震えていた。

それでも、唯は笑った。

「……うそつき」

責めるような言葉なのに、その表情は優しかった。

晃哉は何も言わない。

唯はそんな晃哉を見つめたまま、微笑んだ。

「それでもいいよ。私が大好きだから」

唯にとっては、それでよかった。

曖昧な関係でも、自分が好きなら、それでいい。

会いたいものは会いたい。

好きなものは好き。

「私、自分勝手だから」

そう言って、いつも明るく笑っていた。

けれど、本当は自分勝手なんかじゃない。

自分の気持ちを、誤魔化さないだけだった。

好きなら好き。

会いたいなら会いたい。

嬉しいなら嬉しい。

寂しいなら寂しい。

そんなふうに、真っ直ぐだった。

優しくて。

素直で。

そして、相手のことを思える子だった。

夜勤に向かう前。

晃哉は部屋の隅に置いてあった布団を敷いた。

仕事に行くまで、まだ少し時間がある。

唯も隣で手伝い、布団を広げて、枕を置いた。

それが終わると、二人並んで横になった。

部屋の明かりを消す。

真っ暗になると、テレビの明かりだけがぼんやりと二人の顔を照らした。

何か特別なことをするわけじゃない。

テレビを見ながら、くだらないことで笑ったり。

番組の内容について、ぽつぽつ話したり。

途中で会話がなくなっても、気まずくならない。

ただ、隣にいる。

それだけだった。

唯は晃哉の肩に少しだけ身体を寄せた。

晃哉も何も言わず、そのまま受け止める。

テレビから流れる音。

時々、二人の笑い声。

時計の針が進む音。

そんなものが、静かな部屋の中に混ざっていた。

テレビの横には、以前から変わらず観葉植物が置かれている。

時間が経っても、そこにある。

唯が、ふと時計を見る。

「こうちゃん、今日夜勤?」

「うん、夜勤」

「何時から?」

「もうちょっとしたら」

そう答えてから、晃哉は小さく息を吐いた。

「行きたくねーなぁ……」

その声に、唯が笑う。

「また言ってる(笑)」

「だって行きたくないもん」

「ちゃんと行ってください(笑)」

「わかってるよ」

そう言いながら、晃哉は唯の身体をそっと引き寄せた。

唯の頭が、晃哉の胸元に収まる。

腕の中にすっぽり入った唯の体温が心地よかった。

「このまま寝ちゃいそう」

唯が目を閉じる。

「寝たら起こすよ」

「起きれるかなぁ……」

「起きろって(笑)」

そう言いながら、晃哉は唯の額にそっとキスをした。

「寝ちゃダメ」

唯が少し笑う。

「こうちゃんも眠そうじゃん」

「俺も寝そう(笑)」

「じゃあ一緒に寝ちゃう?」

「ダメだろ(笑)」

二人で小さく笑った。

それでも、どちらもすぐには離れなかった。

晃哉は目を閉じたまま、唯を抱きしめている。

すると唯が、寝たふりをしながら、ほんの少しだけ顔を上げた。

ちらっと晃哉を見る。

その目が、いたずらっぽく笑っていた。

晃哉はすぐに気づいた。

「……ちゅーしてほしいってこと?(笑)」

唯が吹き出す。

「バレた?」

「バレるだろ(笑)」

「えへへ」

唯が笑いながら、晃哉にそっと顔を近づける。

そして、唇を重ねた。

ほんの一瞬のキス。

離れたあと、二人で顔を見合わせて笑う。

「何それ(笑)」

「何が?」

「いや、なんでもない(笑)」

またテレビを見る。

けれど、さっきより少しだけ距離が近くなっていた。

唯の手が、布団の上で晃哉の手に触れる。

晃哉も、その手をそのまま握った。

時計を見る。

そろそろ、本当に行かなければならない。

わかっている。

わかっているのに、身体を起こす気になれない。

「……行きたくないな」

晃哉が、もう一度呟いた。

唯は何も言わなかった。

ただ、晃哉の胸元に頬を寄せたまま、小さく笑っていた。

テレビの音が、静かに流れている。

部屋の明かりは消えたまま。

テレビの横には、あの観葉植物。

隣には、晃哉。

ただ、それだけ。

何でもない夜。

何でもない時間。

でも、二人にとっては、それが幸せだった。

こうして一緒に横になって。

くだらない話をして。

笑って。

眠くなって。

それでも離れたくなくて。

夜勤の時間が迫っていることさえ、少しだけ忘れてしまう。

そんな時間が、二人にはあった。

そして唯は、まだ知らなかった。

この何でもない時間を、いつか何度も思い出すことになるなんて。

この部屋の明かり。

テレビの音。

隣にいる晃哉の体温。

テレビの横に置かれた観葉植物。

その全部が、いつか遠い記憶になってしまうなんて。

あの頃の二人は、まだ知らなかった。

ねぇ、こうちゃん。

あなたは、あの時、自分のことを責めてたよね。

「そうしてしまったのは俺だよね…」

最後に会った日、そう言ったあなたの言葉を、私は今でも覚えている。

私は、自分が傷つくのが、もう嫌だった。

こうちゃんを困らせるのも嫌だった。

だから、少しずつ変わっていった。

それを、人は「大人になった」と言うのかもしれないね。

昔の私は、もっと真っ直ぐだった。

好きなら好き。

会いたいなら会いたい。

それだけでよかった。

でも、私にもいろんな経験があった。

嬉しいことも。

悲しいことも。

傷ついたことも。

その全部を重ねていく中で、私は少しずつ変わっていった。

本当は、変わりたかったわけじゃない。

嫌でも、大人にならざるを得なかったのかもしれない。

だから、こうちゃん。

あの時、私を見て、

「唯って、こうだったっけ?」

って思ったのなら。

それは、こうちゃんだけのせいじゃないよ。

ねぇ、こうちゃん。

どんな関係でも、私はこうちゃんを失いたくなかったんだ。

恋人じゃなくても。

ちゃんとした名前のついた関係じゃなくても。

ただ、こうちゃんが私の人生からいなくなることだけは、嫌だった。

大親友。

昔、こうちゃんは言ってたよね。

「恋人より切れない縁だな」

その言葉を、私はずっと覚えている。

好きとか、嫌いとか。

もう、そんな言葉だけでは説明できない。

私たちは、どうしてこんなにもお互いを求めてしまうんだろう。

離れても。

時間が経っても。

それぞれの人生を生きていても。

こうして会えば、また隣にいる。

まるで、離れていた時間なんてなかったみたいに。

私はずっと、不思議だった。

どうしてなんだろう。

どうして、こんなにも忘れられないんだろう。

どうして、こんなにも離れているのに。

また会いたいと思ってしまうんだろう。

きっと、好きだから――だけじゃない。

嫌いになれないから――だけでもない。

何度も離れて。

何度もまた出会って。

そのたびに、またお互いを見つけてしまったから。

だから私は、今でも思う。

こうちゃん。

私たちは、どうしてこんなにも――

お互いを求めてしまったんだろう…
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