無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
千尋も同僚たちの会話に乗り、『普通に仕事の話をしているだけなのに、じわじわ汗が出てくるものね』なんて返してしまっただけに気まずい。
「し、失礼しました」
「くだらない話にいちいち目くじらを立てたりはせんし、まったく私語をするなとも言わない。その会話になんの意味があるのか理解できなくとも、君らにとっては重要なのかもしれないからな。まさか俺の存在が、エネルギーの消費量を抑えることに貢献しているとは思わなかったが」
千尋は口元を手で押さえたままであったことに感謝した。
(そんな真面目な顔で……エネルギーの消費量って……っ)
こちらを笑わせようとして冗談を言っているわけではないとわかる。
だが、笑ってはいけないと思うとよけいに肩が震えて、じわりと涙が込み上げてくるのだ。
口元が緩んで抑えきれず、口から漏れる息遣いがくふっとおかしな音を立てる。
無表情の大和が『地球温暖化について考えよう』と拳をあげているところを脳内で想像したら、もう耐えられなかった。
「ふふっ、もう……大和さんっ、エネルギーの消費量ってなに言って……あはははっ。やめてください……涙が出てくるじゃないですか……っ」
千尋は滲む涙を指先で拭いながら、声を上げて笑った。
ここのところずっと実家の件で塞いでいたからか、こんなに笑ったのは何ヶ月ぶりか。
大和が異様な者を見るような顔をして千尋を凝視していると気づいたが、とても謝罪を口にできる状態ではない。
「はぁ……はぁ、もうダメ、無理……」
息が止まりそうなほどおかしくて、エネルギーという言葉を思い出すだけで噴きだしてしまう。
しばくして笑いが落ち着くと、こちらをまじまじと見ている大和と目が合う。
その瞬間また噴きだしそうになるが、不可解という顔を隠さない大和にようやく冷静さを取り戻す。
「……失礼しました」
「いや、君、笑えるんだな」
意外そうに言われて、千尋はじとっとした目を大和に向けた。
「おかしければ笑うくらいしますよ。失礼ですね」
仕事以外の話を初めてして、散々笑わされたせいで緊張が解けたのだろう。
千尋はいつもよりも多少気安く話した。
「それは俺のセリフだ。俺は君の笑った顔をこれまで見た覚えはないし、なにがおかしいのかさっぱりだが、君が案外失礼な女だということはよくわかった」
大和の眉間のしわが深まる。
緊張を覚えるはずの険しい顔なのにいつもより怖いと思わないのは、地球温暖化について考えたからか。
それとも、案外真剣にクマトイファクトリーの件も考えてくれていると知り、多少は親しみやすさがあると思ったからかもしれない。
「まぁいい。千尋がそんなふうに笑っていれば、親御さんも契約結婚だとは思わないはずだ。挨拶もなんとかなるだろう。ほかに懸念はあるか?」
大和に〝千尋〟と初めて呼ばれたせいか、妙に尻こそばゆい。
契約結婚については納得しているしすでに契約書だって交わしているが、本当にこの人と結婚するのだと、急に現実が押し寄せてきた。
「正直、心配しかありませんが、ぼろが出ないように頑張ります。クマトイファクトリーのためですから。そういえば大和さんのご両親への挨拶はどうしますか? 来年まで社長夫妻に帰国予定はありませんよね」
玖代不動産社長である大和の父は、現在、仕事のほとんどを副社長に任せ、欧米の主要都市での活動エリアを拡げるため、精力的に飛び回っている。
日本で培ったノウハウを元にホテル事業やマンション建設、商業施設の開発に携わっており、社長へ判断を仰がねばならない事業計画が時差のせいで調整に難儀しているほどだ。
いずれは玖代不動産アメリカ支社のトップに納まると言われているため、生活の拠点も夫婦でアメリカに移すのだろう。だとしても結婚の挨拶は必要だと思うのだが。
「両親にはメールで報告を済ませているから、君は気にしなくていい。顔を合わせることもそうそうないだろうしな」
「え……それでよろしいんですか?」
千尋としては契約結婚のために社長夫妻と顔を合わせずに済んで好都合だが、結婚報告をメール一本で済ませて大丈夫なのだろうか。
驚いて聞くと、大和はなんでもないことのように「問題ない」と言った。
そんなふうに言う大和の顔がどことなく寂しそうに見えて、千尋はそれ以上なにも言えなくなってしまった。
翌日、最寄り駅まで車で大和を迎えに行った千尋は、一時駐車スペースに車をとめて彼を待つ。
到着予想時刻よりもかなり早めに駅に向かったが、五分も経たないうちに改札から出てくる大和を見つけた。
大和に【改札を出て、左。ベビーピンクの軽です】とメッセージを送ると、彼の視線がこちらを捉える。
相変わらず嫌味なほど長い脚だなと眺めながら大和を待ち、ノックされたのち助手席のドアが開けられた。
「し、失礼しました」
「くだらない話にいちいち目くじらを立てたりはせんし、まったく私語をするなとも言わない。その会話になんの意味があるのか理解できなくとも、君らにとっては重要なのかもしれないからな。まさか俺の存在が、エネルギーの消費量を抑えることに貢献しているとは思わなかったが」
千尋は口元を手で押さえたままであったことに感謝した。
(そんな真面目な顔で……エネルギーの消費量って……っ)
こちらを笑わせようとして冗談を言っているわけではないとわかる。
だが、笑ってはいけないと思うとよけいに肩が震えて、じわりと涙が込み上げてくるのだ。
口元が緩んで抑えきれず、口から漏れる息遣いがくふっとおかしな音を立てる。
無表情の大和が『地球温暖化について考えよう』と拳をあげているところを脳内で想像したら、もう耐えられなかった。
「ふふっ、もう……大和さんっ、エネルギーの消費量ってなに言って……あはははっ。やめてください……涙が出てくるじゃないですか……っ」
千尋は滲む涙を指先で拭いながら、声を上げて笑った。
ここのところずっと実家の件で塞いでいたからか、こんなに笑ったのは何ヶ月ぶりか。
大和が異様な者を見るような顔をして千尋を凝視していると気づいたが、とても謝罪を口にできる状態ではない。
「はぁ……はぁ、もうダメ、無理……」
息が止まりそうなほどおかしくて、エネルギーという言葉を思い出すだけで噴きだしてしまう。
しばくして笑いが落ち着くと、こちらをまじまじと見ている大和と目が合う。
その瞬間また噴きだしそうになるが、不可解という顔を隠さない大和にようやく冷静さを取り戻す。
「……失礼しました」
「いや、君、笑えるんだな」
意外そうに言われて、千尋はじとっとした目を大和に向けた。
「おかしければ笑うくらいしますよ。失礼ですね」
仕事以外の話を初めてして、散々笑わされたせいで緊張が解けたのだろう。
千尋はいつもよりも多少気安く話した。
「それは俺のセリフだ。俺は君の笑った顔をこれまで見た覚えはないし、なにがおかしいのかさっぱりだが、君が案外失礼な女だということはよくわかった」
大和の眉間のしわが深まる。
緊張を覚えるはずの険しい顔なのにいつもより怖いと思わないのは、地球温暖化について考えたからか。
それとも、案外真剣にクマトイファクトリーの件も考えてくれていると知り、多少は親しみやすさがあると思ったからかもしれない。
「まぁいい。千尋がそんなふうに笑っていれば、親御さんも契約結婚だとは思わないはずだ。挨拶もなんとかなるだろう。ほかに懸念はあるか?」
大和に〝千尋〟と初めて呼ばれたせいか、妙に尻こそばゆい。
契約結婚については納得しているしすでに契約書だって交わしているが、本当にこの人と結婚するのだと、急に現実が押し寄せてきた。
「正直、心配しかありませんが、ぼろが出ないように頑張ります。クマトイファクトリーのためですから。そういえば大和さんのご両親への挨拶はどうしますか? 来年まで社長夫妻に帰国予定はありませんよね」
玖代不動産社長である大和の父は、現在、仕事のほとんどを副社長に任せ、欧米の主要都市での活動エリアを拡げるため、精力的に飛び回っている。
日本で培ったノウハウを元にホテル事業やマンション建設、商業施設の開発に携わっており、社長へ判断を仰がねばならない事業計画が時差のせいで調整に難儀しているほどだ。
いずれは玖代不動産アメリカ支社のトップに納まると言われているため、生活の拠点も夫婦でアメリカに移すのだろう。だとしても結婚の挨拶は必要だと思うのだが。
「両親にはメールで報告を済ませているから、君は気にしなくていい。顔を合わせることもそうそうないだろうしな」
「え……それでよろしいんですか?」
千尋としては契約結婚のために社長夫妻と顔を合わせずに済んで好都合だが、結婚報告をメール一本で済ませて大丈夫なのだろうか。
驚いて聞くと、大和はなんでもないことのように「問題ない」と言った。
そんなふうに言う大和の顔がどことなく寂しそうに見えて、千尋はそれ以上なにも言えなくなってしまった。
翌日、最寄り駅まで車で大和を迎えに行った千尋は、一時駐車スペースに車をとめて彼を待つ。
到着予想時刻よりもかなり早めに駅に向かったが、五分も経たないうちに改札から出てくる大和を見つけた。
大和に【改札を出て、左。ベビーピンクの軽です】とメッセージを送ると、彼の視線がこちらを捉える。
相変わらず嫌味なほど長い脚だなと眺めながら大和を待ち、ノックされたのち助手席のドアが開けられた。