無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
「今日はわざわざ遠いところをありがとうございます。どうぞ乗ってください」
「あぁ、失礼」

 実家までは車で五分程度だが、歩けば十五分とそれなりにかかる。寒い中、結婚の挨拶に来てくれる人を歩かせられないと家族に急き立てられ、駅まで迎えに来た。

「すみません、狭いですよね」

 大和は物珍しそうに車内を見回し、なにかを言いたげに千尋に目を向ける。

「迎えに来てもらっておいて、狭さに文句など言うはずがないだろう。君が案外かわいい色を好むと知って驚いているだけだ」

 大和の口から〝かわいい〟という言葉が出たことに、今度は千尋が驚く番だ。

言葉以上の意味はないとわかっていても、美形の口から〝かわいい〟なんて単語が出ると、そういった言葉に慣れていない千尋はいちいち動揺してしまう。

「なんだ?」
「……いえ、大和さんの辞書に〝かわいい〟が登録されているとは思いませんでした」

 千尋は動揺を誤魔化すように、いつもよりも淡々とした口調で言った。自分でもそういうところがかわいげないのだと気づいているが、性格はどうしようもない。

「つくづく失礼な女だな、君は」
「すみません……上司に向ける言葉ではありませんでした。ちょっと気が抜けているかもしれません。不快に思われたら申し訳ありませんでした」

 昨夜、大和に対してちょっとだけ親しみを覚えてしまったせいで、彼との距離を測りかねているのかもしれない。

 千尋にとって大和は上司だし、これからもそれは変わらない。家族への挨拶が済めば、親しいふりをする必要もなくなるのに。

(馴れ馴れしくするつもりはなかったんだけど)

 ハンドルを握りながらちらりと横に目を送れば、端整な顔がこちらを向いた。

「この程度を不快だとは思わないし、交際する上である程度は軽口も必要だろう。俺は場を和ませることも、楽しませるような会話もできない。だから、君のおかげで助かってる」

 怒らせてしまったとばかり思ったが、どうやらそうではないらしい。こちらが謝罪すれば感謝を伝えられて、どう返していいかわからなくなる。

「あの……私もそういうのは苦手なんですが」
「そうか? 俺よりマシだろう」

 たしかに、と思ってしまったのが伝わったのか、大和がぎゅっと眉根を寄せた。

やはり不機嫌なようにしか見えないが、怒ってはいないのだろう。

 そうこうしているうちに自宅に着き、家の前にある駐車場に車をとめる。

 玄関の鍵を開けると、リビングからぱたぱたと足音が聞こえて、皆が出てきた。

「遠いところをどうも。初めまして、千尋の母です。こっちは夫です」
「今日はありがとうございます。よろしくお願いします」

 父は大和をじっと見つめて頭を下げた。

「千尋の兄の真人です。よろしくお願いします」
「初めまして、玖代と申します。千尋さんにはいつも公私に亘ってサポートをしてもらっています」

 そう言って外向きの態度で頭を下げる大和は、会社にいるときよりも雰囲気が柔らかい。

相変わらず笑顔はないものの、会社にいるときのピリピリとした雰囲気はなかった。

 他社との交渉でもこういう取り繕った顔を何度も見ているが、なんとなく落ち着かない。

「ご丁寧にありがとうございます。どうぞどうぞ」

 母が言って父が全員分のスリッパを出した。
 千尋は父に礼を言って靴を脱ぐ。

 大和を連れ立ってリビングに入ると、六人掛けのダイニングテーブルには所狭しとご馳走が並んでいる。テーブルに置けなかった料理がキッチンに置かれていた。

 母の負担にならないよう午前中に時間を決めたのだが、母は朝早くからいそいそと準備をしていた。

嬉しくもない契約結婚だけれど、千尋の結婚を祝いたいという母の気持ちは素直に嬉しい。

「大和さんは嫌いなものあります? お口に合えばいいんだけど」

 母が大和を見て聞いたが、声が小さく大和には届いていない。

 そういえば大和に母の事情を話していなかったなと思うが、不躾な質問をするような人ではないし、そもそも彼は他人に興味がないため、おそらく大丈夫だろう。

「大和さん、嫌いなものありますか?」

 千尋が聞き直すと、大和がこちらを見た。

「いや、好き嫌いはないが、お構いなく」

 大和の顔がやや引き攣っているのを千尋は見逃さなかった。

(他人の手作りとか好きじゃなさそう)

 たしか、べつの部署の女性がバレンタインにチョコレートを手作りしたと言って会社に持って来たときは、「信用のできない食べ物は口にしない」と突き返していた。

 千尋は大和が席に着くタイミングで彼の耳に顔を近づけた。両親と兄に聞こえないように声を潜めて言う。

「無理しないでいいです。食事をしてきたことにしてください。私が食べますから」
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