無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
 疲れ切った顔をした大和が向かい側の椅子を引いた。

「お疲れ様です」
「遅れてすまない」
「いえ、事情は存じていますから」

 彼はやや据わった目のまま酒を注文した。

 メッセージでアレルギーの有無や酒の好みを聞かれていたから、大和は無駄なくシャンパンをボトルで頼んだ。料理はすでに予約済みらしい。

 酒を待つ間に契約書を手渡されて、千尋は全文に目を通した。先週、話し合った内容と齟齬がないことを確認し、日付と名前を入れ押印し、一部を彼に返す。

「それにしても、よくイブに予約が取れましたね」

 運ばれてきたシャンパンで乾杯しグラスに口をつける。

「あぁ、ここのエリア開発をした際に、この店にもいろいろと口を利いたからな。混雑する時期に予約してまでクリスマスとやらを堪能したい奴の気持ちはわからんが」

 契約を交わす日が今日になったのは、明日の土曜日、大和が椎名家に結婚の挨拶に訪れると急遽決まったからだ。シャンパンと料理を頼んだのは店への配慮だろう。

 クリスマスイブにカップルの真似事をしようとするタイプではないと知っていたけれど、誘われたときに実は少しドキッとしてしまった。

「引っ越しは来月、一月の半ばから後半にする。日取りは第一希望から第三希望までをまとめて、俺に送っておいてくれ。手続きはしておく」
「はい、わかりました。専務のマンションは品川でしたよね。あ、定期券も変えないと」

 結婚の関連する煩雑な手続きが多すぎて、千尋は今からため息をつきたくなった。

「その専務呼びをやめないと、君の家族から違和感を持たれるのでは?」
「……それもそうですね。家族に不審がられます。ではあの、大和さんとお呼びしても?」

 社内であれば専務呼びが普通だし、公私をわけているだけと取られるだろうが、家族の前では直さなくては。

「それでいい。俺も君を千尋と呼ぶ」

 千尋はグラスを傾けながら、周囲のカップルを見回した。目をゆっくり動かしながら、最終的に隣に座る大和を見る。

「なんだ?」
「いえ……やっぱり私たちは、恋人同士には見えないなと」

 千尋が言うと、大和も同じように周囲に視線を送る。千尋がなにを言っているのか理解したのだろう。納得した様子で頷いた。

「もう少し親しげにする必要があるか」
「親しげ……」

 大和と親しげにする自分の姿に想像がつかない。

窺うように大和を見れば、腕を組み、眉間にしわを寄せている。その態度からしても、上司と部下にしか見えないだろう。

「それは難しいな」
「ですよね」

 それきり会話が止まった。

 理由は言わずともわかる。恋人に見えないのは、お互いににこりともせず話し、気を抜いたような雰囲気が欠片もないからだ。

 仕事と同じだし、大和の前で話していると襟を正さねばという気持ちになるため、どうすればいいのか千尋もわからない。

 そもそも大和に甘えるような態度は取れないし、大和に千尋を溺愛する恋人役を求めても無理である。というか想像もつかない。

(これは前途多難すぎない? 秀旭と付き合ってたときも似たようなものだったけど、それでももう少し距離が近かった気がするし……私から歩み寄る? それができてたら秀旭に振られてないわ)

 向かいに座る大和をちらりと覗き見れば、彼は腕を組んだ姿勢のまま、考え込むように指を顎にあてている。

「君はあの男と付き合っていたとき、どうしていた?」

 大和がこちらを見やり言った。

「振られてますから、参考にならないかと」
「一年近く交際していたんだろう?」

 その言葉に千尋は呆れ、大和を睨む。

「なんだ」
「プライバシーの侵害です。そこまで調べたんですか」
「調べるまでもないさ。女性はおしゃべりが好きだろう。そういう話は嫌でも聞こえてくる。君たちが『玖代専務がいるとエアコンいらず』なんて話をしていたのも知っている」
「ぶ……っ、げほっ」

 千尋は飲んでいたシャンパンを喉に詰まらせそうになり、慌てて口元を手で押さえた。なんとか噴きださずには済んだが心臓に悪い。

「汚いぞ」

 大和におしぼりを渡され、大丈夫ですと断る。

「失礼しました」

 千尋がそう言ったわけではないが、まさか同僚との会話を聞かれていたとは。

 玖代不動産の秘書たちは、大企業の内定を勝ち取っただけあり、奏恵以外は皆優秀な社員である。

役員に聞かれて困るような噂話はしないし、侮蔑的な発言なんてもってのほか。

 だが、不思議と休憩中は口が軽くなるもので、上司を軽んじる発言という認識もなく、ちょっとした軽口が漏れる。

 大和が執務室にいるときは皆、気を張っているため寒さも忘れる……という意味で『玖代専務がいるとエアコンいらずよね』と同僚のひとりが言ったのだ。
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