無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
「かしこまりました。千尋さんからもその可能性を聞いていましたので、クマトイファクトリーを買収する方向で話を進めていきましょう。お義父さんやお義兄さんの意見をなるべく反映させるため、俺も取締役のひとりに加わらせていただきます」
「えぇ、よろしくお願いいたします」

 両親と兄が揃って大和に頭を下げた。

「光熱費をなるべく節約して、食費さえ千尋の給料に頼る生活はさすがに父親として情けなかったんだ……大和くんのおかげだ。本当にありがとうございます」

 大和はそこまで窮地に追い込まれていたとは思っていなかったらしく、千尋をちらりと見てから真剣な眼差しで頷いた。

「玖代グループのM&Aを担当している会社を紹介します。今後についてはそのときに。なるべく早くに基本合意契約書を締結しましょう」

 今後、父と兄は、職人として玖代グループとなるクマトイファクトリーで働くことになる。話し合いが終わると、両親も兄もほっとした顔をしていた。

「お母さん、そろそろ片付ける?」

 千尋は話のキリがいいところで、時刻を確認して言った。会社の話がほとんどだったが、なんだかんだいってもうお昼を回っている。

「片付けはこっちでやるからいいわよ。クマトイファクトリーのことも大事だけど、それより重要な話があるでしょう?」
「なにかあった?」

 千尋が首を傾げると、両親と兄が呆れ顔になった。

「千尋……そんなんじゃ大和さんに捨てられるぞ。今日、大和さんを俺たちに紹介したのは仕事のためじゃないだろう。結婚の挨拶なんだから、そっちを決めないと」

 そう言われて、ようやく千尋は自分が大和を契約結婚することを思い出した。買収する件がまとまり、ほっとするあまり忘れていたのだ。

「あ……」
「忘れるなよ。それだけ千尋に負担かけていた俺たちが悪いけど」
「そうだよ、千尋。お父さん、バージンロードを一緒に歩くのを楽しみにしてるんだから」

 父にまで言われて、千尋は項垂れた。

「すみません、お義父さんお義母さん、結婚式の日取りについては一年以上先になると思います。その前に婚姻届は出す予定でいますが」

 それも大和と話し合っていたことだった。

 千尋は一年で結婚生活を終わらせる予定でいるため、友人や親戚を呼ばなければならない披露宴は御免被りたい。

 大和は挙式披露宴をやることに意味を見いだせず、面倒くさい。そんなふたりの思惑が一致し、先延ばしをしようということになった。

「あら、そうなのね」
「えぇ、俺の両親はほとんど日本に帰らないですし、玖代家の親戚も玖代グループの重役に就いていまして、スケジュールを合わせるのがなかなか難しく。申し訳ありません」

「いやいや、忙しいでしょうし、仕方ないです。でも、千尋のウェディングドレス姿見たら、父さん泣くよなぁ。一年以上先でよかったかもな」
「ふふ、そうかもね」

 兄の言葉に千尋は笑みを浮かべた。
 その顔を見て、大和が目を瞠る。

 どうせまた『君、本当に笑うんだな』とでも思っているのだろう。

「じゃあ、そろそろ。食事、ありがとうございました。おいしかったです」

 大和が腕時計で時刻を確認し、立ち上がった。

「大和さん、駅まで送ります」
「タクシーで帰るつもりだったが」
「タクシーが来るのを待つより、私が送った方が早いですから。行きましょう」

 軽自動車はなかなか窮屈だろうが、この寒さで駅まで歩かせるのは忍びない。

 千尋は車のキーを持って、リビングを出る。

 父と兄が大和と挨拶をしているのを横目に、玄関を出て、車のエンジンをかけておいた。少しすれば暖房が効いてくるだろう。

 五分も経たずに大和が出てきて、車の助手席に乗り込んだ。やはり狭そうだ。玄関のドアが開けっぱなしにされており、両親と兄が大和の見送りに出ていた。

「大和さん、本当にありがとうございます。娘をよろしくお願いします」

 父の挨拶に、大和が軽く会釈をするのを見て、車を発進させる。

「……お疲れ様でした。いろいろとご尽力、ありがとうございました」

 大和はさすがに気疲れしたのか、ふぅと息を吐き、椅子にもたれかかった。

「あと、母のこと、話してませんでしたが……片方の耳が聞こえないんです」
「そうか、もしかしたらと思っていた」
「お気づきだったんですか」

 千尋は驚いて、大和をちらりと見た。

「クマトイファクトリーは積極的に福祉施設に仕事を発注しているだろう? もしかしたら身内になんらかの障がいを抱えた人がいるのではと考えていただけだ。あとは母君の話し声が小さかった。難聴のある人は、自分の声の大きさがわかりにくいと聞くからな」

 この人の関わる仕事がどうして成功するのか、少しだけわかった気がする。

(他人に興味なんてないって顔してるのに……よく見てるのよね)
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