無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
「わかりました」

 千尋は大和のスケジュールを思い出し、週半ば頃になるかもしれないと考えた。

(あぁ、そっか……指輪は小道具のひとつなのかもね)

 結婚したと伝え、目立つ一流ブランドのロゴが刻印されている指輪を奏恵に見せつけることで、諦めさせようとしているのだろう。

 千尋はケースから指輪を取り、自分で左手の薬指に嵌めた。自分で薬指に嵌めるのは物悲しいなと思いながら、大和に恭しく膝を突かれて、手を取られる想像に頬が赤らむ。

(ないないない……っ!)

 大和が千尋にそんな真似をする日など、天地がひっくり返っても来ない。

ただ、結婚への憧れがあり、いつか誰かからそうされてみたいという気持ちで妄想しただけ。

 たまたま指輪をくれた大和が浮かんでしまっただけで、他意はない。

(私に似合うと思って選んでくれたわけじゃないと思うけど、綺麗)

 千尋は手を掲げて、嵌めたばかりの指輪を眺めた。

「サイズはどうだ?」
「ぴったりです。これ、大和さんが選んだんですか?」
「当たり前だろう。君は指が細いし、ゴツゴツしたデザインは似合わないと思ってそれにしたんだが、気に食わなければべつのにするから言え」
「気に食わないなんて! これで大丈夫です。大事にしますね」

 千尋はぶんぶんと首を横に振った。

 所詮は契約結婚のための物。それでも彼が、千尋のことを考えて選んでくれたのだと思うと、ただ指が細いと言われただけなのに妙に気恥ずかしくなる。

「あとはこれも渡しておく」
「私の家族カード? でも……生活は完全にわけるんじゃ」

 大和に手渡されたのは千尋の名前が入ったクレジットカードだ。

「生活はわける。ただ、どこで誰が見ているかわからない。俺たちが仲睦まじい夫婦であるような小細工をする必要があるから、そのための食費や雑費に使ってほしい」

「そういうことですか。もともと自炊をするつもりでしたから、家族カードは必要ありませんけど、よろしいのですか?」

 大和が連日外食なのは致し方ない部分がある。

夜は毎日のように会食が入っていて、千尋も仕事で同伴することもあった。

 千尋は早ければ定時退社が可能だし、それで毎日コンビニ袋を手に提げていたり、ひとりで外食をしていたりしたら、玖代大和の妻として少々外聞が悪いという話だろう。

 時代が変わり、男性が家事育児に参加するようになったとはいえ、世の中はまだまだ男性優位の社会だ。

料理をまったくしない女性だと周囲に思われたら、〝大和の妻として力不足〟と映るだろう。

 契約結婚を受け入れた以上、千尋は大和の妻としてふさわしくあらねばならないということだ。千尋はもともと自炊するつもりでいたから問題ない。

「もちろんだ。理解が早くて助かる」
「受け取らせていただきます。ついでですから、大和さんの食事も用意しましょうか? 会食スケジュールを管理してるのは私ですし……夕飯が無理なら朝食だけでも」

「そういう気遣いは不要だ。装うだけでいい。あまりに高い買い物は相談してほしいが、それ以外は自由に使ってくれ」

「いえ、食費だけにさせてください。ただ、それだと私が冷蔵庫を占領してしまいそうなので、冷蔵庫に入れた料理は大和さんもご自由にということで」

 どうですかと首を傾げて聞くと、それでいいと大和がおざなりに返事をする。

「あ、えっと」

 会話が終わりそうな気配がして、千尋は慌てて次の言葉を探した。

「なんだ」

 無駄に厳しい上司と一緒にいるのは気詰まりのはずだが、初めて家族と離れホームシックになっているのかもしれない。

 今までずっと家族で暮らしていた千尋が、自分の部屋にいるのは寝るときくらいだった。

 もちろんそれには光熱費節約というやむない事情があったわけだが、こんなにも長い時間をひとりで過ごした経験がないから、人恋しくなったのだろう。

(大和さんと仲良くなれるとは思えないし……これからは家で喋る人がいないんだ)

 あれほどに悩んでいた会社の問題も解決の目処が立ったが、千尋はこれから時間を持て余すかもしれない。

友人と出かけるくらいしか予定がなく、結局、この家に帰ってきたところで話す相手はいないのだ。

「なにもないなら、もういいか?」
「あっ……すみません。明日なんですけど、出かけても大丈夫でしょうか」

 大和が部屋を出ていきそうな気配がしたため、千尋はなんとか話を続ける。

 明日はクマトイファクトリーが玩具を寄付している子ども食堂に出かけるつもりだ。

 しかし、なぜそんな話をするのだとばかりにおかしな顔をされ、千尋は戸惑う。

「君の好きにすればいい」

 一緒に暮らす上で誰とどこに出かけるかを伝えるのは、千尋にとって当然のことだったが、どうやら大和にとっては違うらしい。

「……そうですよね。わかりました」
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