無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
 大和はもう話は終わりだとばかりに背を向けて、部屋を出ていく。

 昼食を取ろうと思っていたけれど、大和を追いかけて出ていくようで、千尋はしばらくの間、部屋から出られなかった。

(私……この生活に、慣れられる?)

 大和に構ってほしいわけではないが、すでに実家に帰りたくなってきた。

(あ、先にお兄ちゃんに連絡しよう)

 空腹でお腹がぐぅぐぅと音を立てていたし、どうして自分がこれほど気を遣わねばならないのかと思うところもあるが、まだ初日。

 クマトイファクトリーの今後のためにも挫けるわけにはいかない。

(えっと、引っ越し終わったよ……と)

 千尋は明日、クマトイファクトリーの主力商品のひとつであるドールハウスを、子ども食堂に持っていくつもりだ。

 その商品を会社に取りにいくため、兄に用意しておいてほしいと連絡を入れる。

もちろん千尋の給料から支払いをする。

 一番の売れ筋商品であるクマの顔がついた車、クマの形をしたドールハウスとクマ人形がいいだろう。ドールハウスは細かい部品が多く特に高価だ。

 ソファーやテーブル、ベッド、チェスト、ピアノなどの家具は別売りとなっており、自分好みの家を作ることができるのだ。

人形はたくさんあった方がいいかと五つ頼めば、給料の半分が飛ぶけれど、後悔はない。

 これまでは家に金を入れる必要があり、忙しいこともあってなかなか顔を出せなかったが、これからはもう少し食堂の手伝いもできるだろう。

 兄からは、お幸せにという言葉と共に、商品を用意しておくと返信があった。

 千尋は、ぐぅぐぅ鳴るお腹を押さえながら、子ども食堂に通う子どもたちの喜ぶ顔を想像し頬を緩めたのだった。


 一夜明け、朝早くに起きた千尋は、朝食を取り、洗濯を済ませた。

 洗濯は曜日ごとに大和と千尋でわけているため、自分の分だけを洗い、下着以外をリビングの天井から吊り下がった物干しポールにかけていく。

(朝から誰とも喋らないの、初めてかも)

 ここには両親も兄もいないのだと思うと、心細さが増し、ため息が漏れた。

 支度を済ませると、一応、出かけるときくらい声をかけた方がいいかと考え、大和の部屋をノックする。

中から音が聞こえて、寝ていたと思われる大和がのっそりと出てきた。

「なんだ?」
「おはようございます。これから出かけるので、一応、お声がけしておこうかと」
「昨日も言っただろう? 俺にわざわざ言う必要はない。好きにすればいい」

 想像通りの言葉が返され、胸の内で「だよね」と嘆息する。

しかしこれでは、他人同士がルームシェアをしているようなものではないか。自分たちは一応夫婦なのに。

(それじゃあ家にいるのかいないのかさえわからないじゃない。生活をわけるって言っても、そこまで他人行儀にするもの?)

 千尋だって大和と距離を縮めたいわけではないのだが、納得はいかない。

どちらかになにかあった場合、どこにいるのかさえ知らないでは困ることもあると思う。

「なにかあるのか?」
「あ、いえ」

「もし不満があるのなら言ってくれ。上司である俺と家でも顔を合わせるのは、君にとってストレスだろう。なるべく関わらない方がいいと思ったんだが、間違っているか?」

 千尋は大和のその言葉に目を瞬かせた。

「お気遣いはありがたいですが、それならそうと言ってください」
「言った方がいいのか?」
「はい」

 千尋はまさか、大和がそんなふうに考えていたなんて思いもしなかった。

(私の、ため?)

 たしかに、仕事の延長になるのは御免だと思っていたし、千尋も必要以上に大和に関わるつもりはない。大和も同じだろう。

「それで、君の考えは?」
「契約とはいえ私たちは夫婦ですよね。夫が妻がどこに出かけたかを知らないのも、その逆も、なにかあった場合に疑わしく思われるのではないかと」

「なにかがあるとは思えないが……君の言うことも一理あるな。なら、予定表をリビングに用意しておくから、そこに書くようにしよう。それでいいか?」
「はい……わかりました」

 大和は千尋の懸念を払拭してくれた。だから、それでいいはずなのに、どうしてか心の奥にモヤモヤする気持ちが残ったままだ。

「で、今からどこかに行くんだ?」

 そう聞かれて、千尋は目を瞬かせた。

「なんだ。君が行き先を伝えろと言ったんだろう」
「すみません……そうでした。あの、これから子ども食堂に行ってきます」

「子ども食堂? あぁ、クマトイファクトリーは子ども食堂に玩具を寄付しているんだったか」

 大和は思い出すように言った。

「そうなんです。今までは実家にお金を入れていたので、あまり寄付はできなかったんですけど、今回は奮発してドールハウスを持っていこうかと……あ、すみません」

 嬉々として話してしまったことが恥ずかしく、言葉尻を窄める。
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