無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
(俺を信頼しているわけじゃないだろうに)
千尋と仕事で直接関わるようになったのはここ一年ほど。秘書の業務は多岐に亘るため、第一秘書、第一秘書のサポートをする第二秘書がおり、六人ほどの社員で仕事を回している。
役員と直接関わるのは第一秘書だけ。第一秘書には男性が多い。昇進の話があっても、出張の頻度が高くなるため、家庭の事情で断る女性がそれなりにいるからだ。
そんな中で千尋は昇進試験を受けて、第一秘書への昇進を果たした。
仕事の能力は十分にあり、役員相手に阿ることもない。
性格面での話の中〝かわいげがない〟〝女らしくない〟という声も聞こえてくるが、仕事に置いて〝女らしさ〟など邪魔なだけだと大和は思う。
自分の行きつけで、彼女が恋人と別れ話を始めたときには驚いたものだが、契約結婚の相手として千尋を候補に入れていた大和にとっては、千尋が私生活に置いても仕事とそう変わらない冷静さを持つと知り、結婚相手に彼女しか考えられなくなった。
自分は愛を知らない。どこか欠落した人間なんだと思う。
親から愛情を与えられなかったとか、親しいと言えるほどの友人がいないとか、どこにでもありそうな事情があるにはあるが、それでも結婚し家庭を築いている者もいる。
だからこれは、大和自身の資質の問題だ。
勝手に寄ってきて、気づけば離れていく者を追いかけようとしたこともない。その相手に煩わしさを感じなければ、どうでもいいのだ。
大和はつい最近、秘書として働くようになった矢木奏恵を思い出し、顔を顰める。奏恵は玖代家の遠縁だ。
両親は大和に跡取りとして以上の興味はないが、結婚してようやく一人前と認められる時代を生きてきた人たちで、積極的な奏恵ならば、誰にも興味も関心も示さない大和の結婚相手にちょうどいいとでも考えたのだろう。
愛を知らなくても結婚はできる。ビジネスパートナーとして最善の相手だったならば、大和は一も二もなく頷いていただろうが、そうではなかった。
『あなたは私の夫になるんでしょう? それくらいしなさいよ!』
『私の言うことが聞けないなんて。パパに言いつけるわよ』
『大和がいないなら、ここに来る意味はないわ』
君はなにをしにここに来ているんだと聞いた回数は、たった二ヶ月で片手では数え切れないほど。しかし言葉の通じない相手にはなにを言っても無駄だった。
大和は奏恵に出会い、自分にも一応、好悪があったと気づく。
そうして大和の脳裏に、契約結婚の構想が浮かんだ。近くで仕事をしているビジネスパートナーになり得そうな千尋に目が向いたのは自然な成り行きだ。
そして、別れ話さえ事務的に終わらせる千尋を見て確信したのだ。彼女なら、条件次第で大和が求める妻をこなしてくれるだろうと。
大和は規則正しい寝息を吐く千尋を見下ろした。
寝る前に水を口にした方が翌日に酒が残らないのではないかと思ったが、起こすのも忍びない。自分が心配することではないと思うのに、彼女と一緒に暮らしてから、どうしようもなく千尋が気にかかる。
大和は毛布を布団の上からかけながら、そんな自分の行動を不可解に思った。
そのとき千尋が、毛布を掴んでいた大和の手に触れた。指先をきゅっと掴み、頬を擦り寄せるような動作をする。
「ん……す、きぃ」
ふふっと小さな声で千尋が笑った。
その顔と声に衝撃を受けた大和は、微動だにできずに固まった。体中の血が沸騰でもしているかのように全身が熱くなる。
背中からつぅっと汗が流れ落ちていき、その感触に我に返り、慌てて手を引いた。契約を交わした際、彼女の笑顔を見たときに感じた衝動と同じものが全身を駆け抜ける。
(なんなんだ……)
千尋から手を離せば、冷静さが戻る。
それなのに今度は怒りが湧いてくる。
別れ話をしていたとき、恋人に対してまったく未練などなさそうだったではないか。寝言で好きだと漏らすほど好意が残っているのかと。
そういえば、千尋は言っていた。
『私は愛し愛される結婚がしたいんです。残念ながら振られてしまいましたが、彼と結婚するつもりで付き合っていました』
『専務がこんな馬鹿げた提案をしてこなかったら、今頃ひとりで泣いていました』
まさか、あの言葉は本心だったというのか。
大和は契約結婚を断るための嘘だとばかり思っていた。
振られて泣くくらい千尋があの男に好意を寄せていたという事実を突きつけられて、大和は自分でも信じがたいほど動揺する。
乗っている飛行機にエンジントラブルが起きたときでさえ、欠片も狼狽えなかったのに。
愛を知らない自分と同類だと思っていたわけではないが、恋愛に重きを置かないタイプだと考えていたから、期待を裏切られたような気分になっているだけだろう。
千尋と仕事で直接関わるようになったのはここ一年ほど。秘書の業務は多岐に亘るため、第一秘書、第一秘書のサポートをする第二秘書がおり、六人ほどの社員で仕事を回している。
役員と直接関わるのは第一秘書だけ。第一秘書には男性が多い。昇進の話があっても、出張の頻度が高くなるため、家庭の事情で断る女性がそれなりにいるからだ。
そんな中で千尋は昇進試験を受けて、第一秘書への昇進を果たした。
仕事の能力は十分にあり、役員相手に阿ることもない。
性格面での話の中〝かわいげがない〟〝女らしくない〟という声も聞こえてくるが、仕事に置いて〝女らしさ〟など邪魔なだけだと大和は思う。
自分の行きつけで、彼女が恋人と別れ話を始めたときには驚いたものだが、契約結婚の相手として千尋を候補に入れていた大和にとっては、千尋が私生活に置いても仕事とそう変わらない冷静さを持つと知り、結婚相手に彼女しか考えられなくなった。
自分は愛を知らない。どこか欠落した人間なんだと思う。
親から愛情を与えられなかったとか、親しいと言えるほどの友人がいないとか、どこにでもありそうな事情があるにはあるが、それでも結婚し家庭を築いている者もいる。
だからこれは、大和自身の資質の問題だ。
勝手に寄ってきて、気づけば離れていく者を追いかけようとしたこともない。その相手に煩わしさを感じなければ、どうでもいいのだ。
大和はつい最近、秘書として働くようになった矢木奏恵を思い出し、顔を顰める。奏恵は玖代家の遠縁だ。
両親は大和に跡取りとして以上の興味はないが、結婚してようやく一人前と認められる時代を生きてきた人たちで、積極的な奏恵ならば、誰にも興味も関心も示さない大和の結婚相手にちょうどいいとでも考えたのだろう。
愛を知らなくても結婚はできる。ビジネスパートナーとして最善の相手だったならば、大和は一も二もなく頷いていただろうが、そうではなかった。
『あなたは私の夫になるんでしょう? それくらいしなさいよ!』
『私の言うことが聞けないなんて。パパに言いつけるわよ』
『大和がいないなら、ここに来る意味はないわ』
君はなにをしにここに来ているんだと聞いた回数は、たった二ヶ月で片手では数え切れないほど。しかし言葉の通じない相手にはなにを言っても無駄だった。
大和は奏恵に出会い、自分にも一応、好悪があったと気づく。
そうして大和の脳裏に、契約結婚の構想が浮かんだ。近くで仕事をしているビジネスパートナーになり得そうな千尋に目が向いたのは自然な成り行きだ。
そして、別れ話さえ事務的に終わらせる千尋を見て確信したのだ。彼女なら、条件次第で大和が求める妻をこなしてくれるだろうと。
大和は規則正しい寝息を吐く千尋を見下ろした。
寝る前に水を口にした方が翌日に酒が残らないのではないかと思ったが、起こすのも忍びない。自分が心配することではないと思うのに、彼女と一緒に暮らしてから、どうしようもなく千尋が気にかかる。
大和は毛布を布団の上からかけながら、そんな自分の行動を不可解に思った。
そのとき千尋が、毛布を掴んでいた大和の手に触れた。指先をきゅっと掴み、頬を擦り寄せるような動作をする。
「ん……す、きぃ」
ふふっと小さな声で千尋が笑った。
その顔と声に衝撃を受けた大和は、微動だにできずに固まった。体中の血が沸騰でもしているかのように全身が熱くなる。
背中からつぅっと汗が流れ落ちていき、その感触に我に返り、慌てて手を引いた。契約を交わした際、彼女の笑顔を見たときに感じた衝動と同じものが全身を駆け抜ける。
(なんなんだ……)
千尋から手を離せば、冷静さが戻る。
それなのに今度は怒りが湧いてくる。
別れ話をしていたとき、恋人に対してまったく未練などなさそうだったではないか。寝言で好きだと漏らすほど好意が残っているのかと。
そういえば、千尋は言っていた。
『私は愛し愛される結婚がしたいんです。残念ながら振られてしまいましたが、彼と結婚するつもりで付き合っていました』
『専務がこんな馬鹿げた提案をしてこなかったら、今頃ひとりで泣いていました』
まさか、あの言葉は本心だったというのか。
大和は契約結婚を断るための嘘だとばかり思っていた。
振られて泣くくらい千尋があの男に好意を寄せていたという事実を突きつけられて、大和は自分でも信じがたいほど動揺する。
乗っている飛行機にエンジントラブルが起きたときでさえ、欠片も狼狽えなかったのに。
愛を知らない自分と同類だと思っていたわけではないが、恋愛に重きを置かないタイプだと考えていたから、期待を裏切られたような気分になっているだけだろう。