無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
大和の鋭い視線に居竦みそうになる。
千尋は慌ててスカートの裾を下ろした。
持ち上げたのは数センチだし、膝を見せたくらいだ。それでも大和の目にははしたなく映ったのだろう。
やはりもう少し気を張るべきだ。仕事で怒られたとき以上に恥ずかしい。
「契約結婚を提案した際、俺はたしかに恋愛に興味がないと言った。ビジネスパートナーとしての妻を求めているともな」
「……はい」
「だが、女を抱けないとは言っていない。こちらから契約を反故にするつもりはなくとも、誘われれば応えるくらいの甲斐性はある。次に俺の前で肌を見せれば、誘っていると判断するからな」
大和の言葉を理解した瞬間、千尋の頬にかっと熱が籠もる。ただ、大和の口から発せられたとは思えない言葉の数々に驚くあまり、千尋はなにも返せなかった。
するとそうしている間に、大和はこちらに背を向けて行ってしまう。
(う、嘘……誘われれば応えるって……え?)
とても平静を保っていられず、顔を俯かせると、フェイスマスクがぺらりと剥がれ落ちていく。
フェイスマスク状態の千尋に『抱けないとは言っていない』とか『誘っている』などとよく言ったなと感心しながらも、口元が緩んでいるのを手で隠す。
まさか大和に女として見られているなんて思っていなかった。大和のそういう対象に自分も入るのだと思ったら、胸の中からじわじわと高揚感が溢れだしてくる。
(ダメ……そんなこと言われたら、意識しちゃう)
大和に抱いている気持ちが恋愛による好意なのかどうかはわからない。ただ、上司と部下だった頃とは、確実になにかが変わったのを自覚した。
第四章 慰めのキス
千尋が出勤すると、珍しく朝早くから秘書室に顔を出した奏恵がこちらをぎろりと鋭い目で睨んできた。
(あ……これは、大和さんに聞いたのかも)
千尋が奏恵の視線を無視していたからか、彼女は千尋の隣の椅子に腰を下ろし、だらしなくデスクに肘をつき、椅子ごと体をこちらへ向けてきた。
彼女の視線は千尋の指輪に注がれている。
「ねぇ、あなたなんでしょ? 大和が結婚した相手って」
すると、出勤していた何名かの秘書がぎょっとした顔でこちらを見た。
人事には当然、大和との結婚についてメールで連絡済みだが、大和の会議やほかの役員とその秘書の出張が重なり、結局、まだ秘書室の面々には言えていなかった。
「えぇ、皆さんに報告をと思っていたのですが、タイミングがなくて」
「私を差し置いて、どうしてあなたが結婚するのよ! あなたたちが付き合ってたなんて、私は聞いてないわ!」
「職場が同じですし、専務のお立場を考えれば結婚するまで言わないのは普通では?」
千尋は仕事でのやり取りと同じように事務的な口調で返した。奏恵が突っかかってくることは想定内だ。だから受け答えに齟齬がないように大和と相談してあった。
一年ほど前に千尋が昇進し、大和の秘書として働くようになってから恋人関係になったという設定だ。
実際は仕事以外の話などまったくしなかったが説得力はあるはず。
千尋の冷静な態度が気に食わなかったのか、奏恵の顔がますます険しくなる。
「いいえ、パパから大和に交際相手はいないと聞いたもの! だから私が結婚してあげるつもりでいたのに!? この泥棒猫!」
(泥棒猫って本当に言う人いるのね……)
甘やかされまくったお嬢様という雰囲気からも、自分たちの結婚を告げればこうなるであろうと想像はしていたが、『結婚してあげるつもりでいた』とは、大和を侮った発言だ。
彼女の父が娘の性格を知らないわけもないから、やはり手に負えなくなった娘を大和に押しつけたという見解が正しいのかもしれない。
「周囲に話していなかっただけで、私たちは一年ほど前から交際しておりました。もう婚姻届は提出済みですから」
「だったらすぐに離婚しなさい!」
奏恵はばんっと乱暴にデスクを叩く。その音は秘書室の外にまで響いていたようで、ちょうど出社した大和が、奏恵を見て眉を顰めた。
「また君か、矢木。椎名、前に」
「はい」
千尋は大和に手招きされ、彼の隣に立った。
「皆に報告がある。先週、椎名と結婚した。夫婦になっても彼女の仕事は変わらない。仕事中は旧姓を使用するから、これまで通りで頼む、以上」
大和はあっさりとした挨拶を済ませ、背を向けた。
祝福の言葉さえ言わせない対応に秘書室のメンバーは苦笑する。ただ皆、大和のそういった態度に慣れきっていた。
「椎名さん、結婚おめでとう」
「驚いたけどお似合いだよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
秘書室の同僚に口々に祝われ、千尋は会釈を返した。
千尋も淡々と仕事をする方だから、お似合いと言われたのかもしれない。その言葉には苦笑するしかなかった。
千尋は慌ててスカートの裾を下ろした。
持ち上げたのは数センチだし、膝を見せたくらいだ。それでも大和の目にははしたなく映ったのだろう。
やはりもう少し気を張るべきだ。仕事で怒られたとき以上に恥ずかしい。
「契約結婚を提案した際、俺はたしかに恋愛に興味がないと言った。ビジネスパートナーとしての妻を求めているともな」
「……はい」
「だが、女を抱けないとは言っていない。こちらから契約を反故にするつもりはなくとも、誘われれば応えるくらいの甲斐性はある。次に俺の前で肌を見せれば、誘っていると判断するからな」
大和の言葉を理解した瞬間、千尋の頬にかっと熱が籠もる。ただ、大和の口から発せられたとは思えない言葉の数々に驚くあまり、千尋はなにも返せなかった。
するとそうしている間に、大和はこちらに背を向けて行ってしまう。
(う、嘘……誘われれば応えるって……え?)
とても平静を保っていられず、顔を俯かせると、フェイスマスクがぺらりと剥がれ落ちていく。
フェイスマスク状態の千尋に『抱けないとは言っていない』とか『誘っている』などとよく言ったなと感心しながらも、口元が緩んでいるのを手で隠す。
まさか大和に女として見られているなんて思っていなかった。大和のそういう対象に自分も入るのだと思ったら、胸の中からじわじわと高揚感が溢れだしてくる。
(ダメ……そんなこと言われたら、意識しちゃう)
大和に抱いている気持ちが恋愛による好意なのかどうかはわからない。ただ、上司と部下だった頃とは、確実になにかが変わったのを自覚した。
第四章 慰めのキス
千尋が出勤すると、珍しく朝早くから秘書室に顔を出した奏恵がこちらをぎろりと鋭い目で睨んできた。
(あ……これは、大和さんに聞いたのかも)
千尋が奏恵の視線を無視していたからか、彼女は千尋の隣の椅子に腰を下ろし、だらしなくデスクに肘をつき、椅子ごと体をこちらへ向けてきた。
彼女の視線は千尋の指輪に注がれている。
「ねぇ、あなたなんでしょ? 大和が結婚した相手って」
すると、出勤していた何名かの秘書がぎょっとした顔でこちらを見た。
人事には当然、大和との結婚についてメールで連絡済みだが、大和の会議やほかの役員とその秘書の出張が重なり、結局、まだ秘書室の面々には言えていなかった。
「えぇ、皆さんに報告をと思っていたのですが、タイミングがなくて」
「私を差し置いて、どうしてあなたが結婚するのよ! あなたたちが付き合ってたなんて、私は聞いてないわ!」
「職場が同じですし、専務のお立場を考えれば結婚するまで言わないのは普通では?」
千尋は仕事でのやり取りと同じように事務的な口調で返した。奏恵が突っかかってくることは想定内だ。だから受け答えに齟齬がないように大和と相談してあった。
一年ほど前に千尋が昇進し、大和の秘書として働くようになってから恋人関係になったという設定だ。
実際は仕事以外の話などまったくしなかったが説得力はあるはず。
千尋の冷静な態度が気に食わなかったのか、奏恵の顔がますます険しくなる。
「いいえ、パパから大和に交際相手はいないと聞いたもの! だから私が結婚してあげるつもりでいたのに!? この泥棒猫!」
(泥棒猫って本当に言う人いるのね……)
甘やかされまくったお嬢様という雰囲気からも、自分たちの結婚を告げればこうなるであろうと想像はしていたが、『結婚してあげるつもりでいた』とは、大和を侮った発言だ。
彼女の父が娘の性格を知らないわけもないから、やはり手に負えなくなった娘を大和に押しつけたという見解が正しいのかもしれない。
「周囲に話していなかっただけで、私たちは一年ほど前から交際しておりました。もう婚姻届は提出済みですから」
「だったらすぐに離婚しなさい!」
奏恵はばんっと乱暴にデスクを叩く。その音は秘書室の外にまで響いていたようで、ちょうど出社した大和が、奏恵を見て眉を顰めた。
「また君か、矢木。椎名、前に」
「はい」
千尋は大和に手招きされ、彼の隣に立った。
「皆に報告がある。先週、椎名と結婚した。夫婦になっても彼女の仕事は変わらない。仕事中は旧姓を使用するから、これまで通りで頼む、以上」
大和はあっさりとした挨拶を済ませ、背を向けた。
祝福の言葉さえ言わせない対応に秘書室のメンバーは苦笑する。ただ皆、大和のそういった態度に慣れきっていた。
「椎名さん、結婚おめでとう」
「驚いたけどお似合いだよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
秘書室の同僚に口々に祝われ、千尋は会釈を返した。
千尋も淡々と仕事をする方だから、お似合いと言われたのかもしれない。その言葉には苦笑するしかなかった。