無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
「大和っ! ちょっと待ちなさいっ! 事情を説明してもらうわよ! 事の次第によってはパパに言いつけてやるんだから!」
パパに言いつけるという言葉に皆が呆れ顔をする。
彼女は執務室に入っていった大和を追いかけていった。
「パパからあなたが私との婚約を希望しているって聞いたから、私は婚約者としてここにいるの!」
その言葉で、奏恵の父が大和に娘を押しつけようとしていたと皆が理解した。娘も娘だが、父も父だろう。大和の迷惑などなにひとつ考えていない。
「何度も言っているだろう。俺は社長である父から君の入社を認めると聞いただけだと。結婚する気はないと断ったはずだ」
「約束を反故にする気!?」
「だから約束などしていない」
中での話し声も丸聞こえで、すっかりお祝いムードではなくなったが、契約結婚について隠し事をしている身としてはありがたい。
秘書室の同僚たちは手を動かしながらも、奏恵の声に耳をそばだてている。当然、千尋もそのひとりだった。
(諦めてくれればいいけど……この調子じゃ無理そうね)
契約には、奏恵の件が片付くまでは千尋との結婚は継続するとあるのだ。このままでは離婚できないではないか。そう考えて、なぜかほっとする自分がいる。
(離婚したら……お父さんたちへの説明も大変だし……)
自分にそう言い訳をして、執務室に目を向けた。
大和が担っている重責は軽くない。奏恵のはた迷惑な行動で影響を及ぼすほど大和は軟弱ではないが、これが何度も続けばストレスも溜まるだろう。
(結婚したいと思ってる人に、どうしてこれほど迷惑をかけられるの?)
私なら──と考えて、千尋は慌てて思考を中断した。
奏恵に対して腹が立つのは、家での大和が案外、千尋を気遣ってくれていると知ったからだ。彼への同情なだけ。
そう思わねば、大和への気持ちが完全に恋愛感情へと傾きそうで怖かった。大和に恋をしたところで彼が自分を部下以上に見ることなどないのに。
すると、執務室からさらに叫ぶような声が聞こえてきた。
「パパがあなたの女性関係を調べていたもの! 一年前から交際なんて信じられるはずがないじゃない! まさか、私と結婚したくないから、適当な女を選んだの?」
ほぼ正解に行き着いた奏恵の言葉に、胸がどきんと跳ねた。皆が手を止めて執務室を見ていると、そのドアが勢いよく開けられる。
「……これほどの屈辱は初めてだわっ! わかったわ、あなたがそのつもりなら、私にも考えがあるわよ!」
奏恵は、デスクの上にどんと置かれたままのバッグを掴み、千尋を睨みつけると、いつものように秘書室を出ていった。
どんな考えがあるのかは知らないが、いやな予感がする。
「皆、騒がせて悪かった。仕事に戻ってくれ」
大和からの声がけで、皆がそれぞれ業務に戻るも、千尋は先行きの不安に、陰鬱とした気分を隠せなかった。
奏恵が負け惜しみのような捨て台詞を吐いて職場を出ていってから二日。
表面上はなにもなく穏やかな日が続いていた。
奏恵は心を入れ替えたかのように毎日出社するようになり、大和への興味を失ったのか、べつの男性社員にべったりだ。
男性社員は迷惑そうにしていたが、仕事を手伝うと言われて、渋々書類整理を頼んでいた。奏恵は黙々と仕事をした。周りは少しだけ、本当に少しだけ彼女を見直した。
土曜日の今日、千尋は朝からもぐもぐ食堂に足を運んでいた。
リビングに置かれたホワイトボードには、大和は今日仕事だとあった。奏恵に邪魔をされ続けたツケが溜まっているのかもしれない。
「あ、こんにちは! 今日も来てくれたんですか!」
広々とした部屋で出迎えてくれたのは田中だ。
「はい、お手伝いがあればと」
実を言うと千尋は、暇を持て余していた。休日はクマトイファクトリーのために忙しくなく動いていたが、その必要もなくなり手持ち無沙汰になってしまったのだ。
猫の手も借りたいくらい忙しいと言っていたし、無理のない範囲でなら自分にも手伝える。
「嬉しい~! ぜひぜひ!」
田中は目を輝かせながら、千尋の手をぎゅっと握った。自分と違い感情表現豊かな彼女が本当に歓迎してくれているとわかりほっとする。親切の押し売りはしたくない。
千尋は田中からエプロンを借りて受け取り、昼食の準備を手伝った。
今日の昼食は焼きそばと野菜スープ。
小学校低学年の子でも食べられるように野菜も肉も小さく切っていくらしい。
肉の量が少ないのは予算の問題だろう。企業や個人からの寄付があっても、子ども食堂の運営にはそれなりに金がかかる。
千尋も手を洗い、ひたすらキャベツを刻んでいく。大きなボウルいっぱいまで無心で切ると、ここのところモヤモヤしていた気持ちがすっきりした。
パパに言いつけるという言葉に皆が呆れ顔をする。
彼女は執務室に入っていった大和を追いかけていった。
「パパからあなたが私との婚約を希望しているって聞いたから、私は婚約者としてここにいるの!」
その言葉で、奏恵の父が大和に娘を押しつけようとしていたと皆が理解した。娘も娘だが、父も父だろう。大和の迷惑などなにひとつ考えていない。
「何度も言っているだろう。俺は社長である父から君の入社を認めると聞いただけだと。結婚する気はないと断ったはずだ」
「約束を反故にする気!?」
「だから約束などしていない」
中での話し声も丸聞こえで、すっかりお祝いムードではなくなったが、契約結婚について隠し事をしている身としてはありがたい。
秘書室の同僚たちは手を動かしながらも、奏恵の声に耳をそばだてている。当然、千尋もそのひとりだった。
(諦めてくれればいいけど……この調子じゃ無理そうね)
契約には、奏恵の件が片付くまでは千尋との結婚は継続するとあるのだ。このままでは離婚できないではないか。そう考えて、なぜかほっとする自分がいる。
(離婚したら……お父さんたちへの説明も大変だし……)
自分にそう言い訳をして、執務室に目を向けた。
大和が担っている重責は軽くない。奏恵のはた迷惑な行動で影響を及ぼすほど大和は軟弱ではないが、これが何度も続けばストレスも溜まるだろう。
(結婚したいと思ってる人に、どうしてこれほど迷惑をかけられるの?)
私なら──と考えて、千尋は慌てて思考を中断した。
奏恵に対して腹が立つのは、家での大和が案外、千尋を気遣ってくれていると知ったからだ。彼への同情なだけ。
そう思わねば、大和への気持ちが完全に恋愛感情へと傾きそうで怖かった。大和に恋をしたところで彼が自分を部下以上に見ることなどないのに。
すると、執務室からさらに叫ぶような声が聞こえてきた。
「パパがあなたの女性関係を調べていたもの! 一年前から交際なんて信じられるはずがないじゃない! まさか、私と結婚したくないから、適当な女を選んだの?」
ほぼ正解に行き着いた奏恵の言葉に、胸がどきんと跳ねた。皆が手を止めて執務室を見ていると、そのドアが勢いよく開けられる。
「……これほどの屈辱は初めてだわっ! わかったわ、あなたがそのつもりなら、私にも考えがあるわよ!」
奏恵は、デスクの上にどんと置かれたままのバッグを掴み、千尋を睨みつけると、いつものように秘書室を出ていった。
どんな考えがあるのかは知らないが、いやな予感がする。
「皆、騒がせて悪かった。仕事に戻ってくれ」
大和からの声がけで、皆がそれぞれ業務に戻るも、千尋は先行きの不安に、陰鬱とした気分を隠せなかった。
奏恵が負け惜しみのような捨て台詞を吐いて職場を出ていってから二日。
表面上はなにもなく穏やかな日が続いていた。
奏恵は心を入れ替えたかのように毎日出社するようになり、大和への興味を失ったのか、べつの男性社員にべったりだ。
男性社員は迷惑そうにしていたが、仕事を手伝うと言われて、渋々書類整理を頼んでいた。奏恵は黙々と仕事をした。周りは少しだけ、本当に少しだけ彼女を見直した。
土曜日の今日、千尋は朝からもぐもぐ食堂に足を運んでいた。
リビングに置かれたホワイトボードには、大和は今日仕事だとあった。奏恵に邪魔をされ続けたツケが溜まっているのかもしれない。
「あ、こんにちは! 今日も来てくれたんですか!」
広々とした部屋で出迎えてくれたのは田中だ。
「はい、お手伝いがあればと」
実を言うと千尋は、暇を持て余していた。休日はクマトイファクトリーのために忙しくなく動いていたが、その必要もなくなり手持ち無沙汰になってしまったのだ。
猫の手も借りたいくらい忙しいと言っていたし、無理のない範囲でなら自分にも手伝える。
「嬉しい~! ぜひぜひ!」
田中は目を輝かせながら、千尋の手をぎゅっと握った。自分と違い感情表現豊かな彼女が本当に歓迎してくれているとわかりほっとする。親切の押し売りはしたくない。
千尋は田中からエプロンを借りて受け取り、昼食の準備を手伝った。
今日の昼食は焼きそばと野菜スープ。
小学校低学年の子でも食べられるように野菜も肉も小さく切っていくらしい。
肉の量が少ないのは予算の問題だろう。企業や個人からの寄付があっても、子ども食堂の運営にはそれなりに金がかかる。
千尋も手を洗い、ひたすらキャベツを刻んでいく。大きなボウルいっぱいまで無心で切ると、ここのところモヤモヤしていた気持ちがすっきりした。