無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
 千尋はビニール袋を持ち上げた。

 無理矢理口角を上げて笑ったつもりだったが、うまく笑えていただろうか。

「寄付の玩具はもう持っていったんだろう? なにをしに?」
「子どもたちに喜んでもらえているのか気になったので。あと、ボランティアの人数が足りていないようで、手伝いに。暇ですし」

「こんな時間まで? 休日は体を休めるために使うべきではないか?」

「そういう大和さんだって働いてますよ。それに休日の使い方は人それぞれです。私はゆっくりするのも好きですけど、出かけることも多いです。ボランティアも楽しいですから」

 言ってから、またかわいげのない言い方をしてしまったと後悔した。秀旭の隣を歩いていたかわいらしい女性の顔がちらついて消えない。

 千尋があんなふうに甘えたら、大和は応えてくれるのかと考えてしまう。

「そういうものか」

 駅からマンションまではすぐだ。

 会話が止まり、ふたりとも無言のままエレベーターに乗り込む。

 扉が開き降りると、大和が前を歩き、鍵をポケットから取りだした。そういえば、大和と歩くときは彼の背中を見ていることが多いと気づく。

 秀旭とデートをするときは、いつも千尋が前を歩いていた。どこに行くか、なにをするかを千尋が決めていたからかもしれないが。

 ドアを開けて玄関で靴を脱いでいると、廊下の先で大和がこちらを向いて立ち止まっていると気づいた。

「どうか、しましたか?」

「いや……今日の君は、ずいぶんと頼りなさげだと思っただけだ。やはり、ボランティアで疲れているんじゃないか? いくら楽しくとも体はしっかり休めるべきだ」

 大和の心配が嬉しくて、でも彼の気持ちが決してこちらを向かないとわかっていることが悲しくなって、千尋は苦笑を浮かべた。

(本当にどうかしてる)

 彼への気持ちを自覚したって、どうにもならないのに。話してどうすると思いながらも止められなかった。

「疲れてる……わけじゃないんですけど」
「けど、なんだ」
「あの、実は……」

 自分でもどうして彼に話そうと思ったのかはわからない。けれど気づけば、秀旭と偶然会ったこと、彼が恋人を連れて歩いていたことを口にしていた。

「私は……あんなふうになれないから、振られたのかなって。私みたいにかわいげのない女が、普通に誰かと恋をすることを望むなんて、厚かましいですね」

 大和への気持ちを知られるわけにはいかない。ただ、そんなことはないと彼に否定してほしかっただけだ。女々しい自分が嫌になる。

 じわりと浮かんだ涙を誤魔化すように笑うと、大和が不機嫌そうに目を細めた。

「君は……それほどあの男が好きだったのか」

 大和は意外そうな顔をしたあと、眉を顰めた。

 下手な慰めの言葉を言わないところも大和らしい。今日の今日まで、千尋が秀旭に対して恋情を向けていたようには見えなかったようだ。

「だから、そう言ったじゃないですか」

 瞬きのタイミングで、目の縁に溜まっていた涙が頬を滑り落ちた。

 思わずと言った様子で大和が千尋の涙を拭い取る。嬉しいのに、自分に気持ちを向けられないのなら、少しも期待を持たせないでほしいという気持ちも生まれた。

「それでも、まさか泣くほど好きだったとは思わなかった」

 一緒に暮らしてから、多少はわかるようになった。この顔は本当に不機嫌なときの顔。

 大和が苛立つのも当然か。彼は意味のないよけいな話をことさら嫌う。女の愚痴なんて嫌いな話ベストスリーに入るだろう。

「ちょっとは、信じてくれましたか?」

 あなたを想っての涙だと口に出せば、奏恵へ向けていた煩わしい視線を今度は自分に向けられるだけ。ならば元恋人を想って泣いていると誤解してくれた方がいい。

「泣いて、すっきりしました。大和さんは、感情的になって泣くような女性は嫌いでしょう? 困らせてしまって、すみません」

 指先で目の下を拭っていると、大和の顔が不機嫌そうなものから、不可解そうな、困惑したようなものに変わった。

「そういえば……そうだな」
「え?」

 気づけば、涙を拭っていた手を取られ、引き寄せられていた。酔って抱き留められたのとは違う。理由はわからないが、今度は明確な意志を持って抱き締められている。

「どう、したん、ですか……急に」

 動揺のあまり声が震える。

「俺はたしかに、感情に任せて泣くような女は嫌いだ。でも、君の涙を見ていると、どうしてか放っておけなくなる」

 部下だからそう思うだけじゃないのか。そう思いながらも、期待する気持ちが止められなくなるから、千尋の恋を受け止められないのなら優しくしないでほしい。

 気持ちを伝えてさえいないのに、身勝手にそう思ってしまう。
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