無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
「君がそんなふうに怒ってるところを初めて見た。やっぱり、俺の前にいる君はかわいい」

 そんな甘やかな言葉をかけられたら、起こる気も失せてしまう。

かわいげのない自分をかわいいと言うだなんて、目がおかしいのではと思いつつも、緩む頬は抑えられない。

「咄嗟に頭を守ったのか、検査結果も問題なかったようです。全身打撲で痛いと思いますけど、退院後は私が看病しますから」

 その言葉に、大和は嬉しそうに口の端を上げる。

 仕事ではほとんど表情の変わらない自分たちなのに、結婚してからというもの、いろいろありすぎて、怒ったり笑ったり泣いたりと忙しい。

 叶うなら、これから先は平穏でいたいものだ。

「それで……君も誰かに背中を押されたんだな」

 大和は確認するようにそう言った。奏恵の姿は見ていなかったようだ。

 千尋が事情を説明すると、大和が険しい目をする。

「そうだったのか。契約結婚を求めて千尋を巻き込んだのは俺だ。俺と結婚していなかったら、君を巻き込むこともなかったのにな」

 大和は目を瞑り、後悔しているかのように深く息を吐く。

 たしかに大和から契約結婚を提案されなかったら、千尋が危ない目に遭うことはなかっただろう。

けれど、それは今の幸せもなかったと言っているも同然だ。

「あなたと結婚すると決めたのは私です」
「お父上の会社の件があったからだろう?」

「だとしても選んだのは私です。あのときに戻れたとしても、大和さんと一緒にいるためなら、私は同じ選択をします。それに、私を助けてくれたでしょう」

「気づいたら、体が動いていたんだ。君を失わずに済んでよかった。……それで矢木はどうなった?」
「矢木さんは、警察で事情を聞かれています」

「やはりきっかけは、解雇を伝えたからか。俺はよほど彼女のプライドを傷つけたらしいな」

 大和は考え込むような顔をして額に手をあてた。傷にあたったのか、痛みに顔を顰めて、手を下ろす。

 千尋は小さく頷いて、黙るしかなかった。

 解雇が決まっているとはいえ、奏恵はまだ玖代不動産の社員。経営者側が奏恵を雇用した責任は大きい。

グループ会社の重役に頼まれ断れなかったとしても、社会的影響力の大きい企業が犯罪を起こすような人物を雇用したのは間違いないのだ。

「問題のある女性とわかっていて雇用したのは社長である父だ。なんらかの形で責任追及はされるだろう。父はちょうどよかったで済ますだろうが」

「ちょうどよかった?」
「安心していい。千尋の生活に影響はな……」
「そんなことは心配していませんっ!」

 どうしてこんなときに大和の立場を案じて、保身を図ると思うのか。

 千尋の怒りが伝わったのか大和がたじろぐ。

「……案外、怒りっぽいな、君」

 そう言われてぷいっと顔を背けると、大和に笑われた。

「さっきのどういう意味ですか?」

「父は少し前から玖代不動産の社長を退任したがっていた。ひとつのところにいられない人だから、そろそろ副社長に交代を申し出て、アメリカ支社の社長に就くだろう」

「矢木さんの、お父様は?」

「娘のしでかした責任を取って、社長職解任となるだろうな。そもそも彼が強引な手を使って彼女を押しつけてこなければ、こんな罪を犯さずに済んだはずだ。親ならば、甘やかすばかりじゃなく、間違いを正さねばならないだろうに」

 大和はそう言うと、疲れたように息を吐きだした。

 怪我を負ったばかりなのに、目が覚めて早々話しすぎだ。

「もう深夜ですから、眠ってください」
「君はどうするんだ」
「私も、ここにいます。付き添い可能の部屋にしてもらいましたから」

 千尋の言葉に大和がわかりやすく安心したような顔を見せる。大和は無意識かもしれないが、信頼を置いてくれているようで胸が温かくなる。

「そうか、ありがとう」

 大和がまぶたを落とすと、すぐに寝息が聞こえてくる。千尋は彼を起こさないようにもう一度そっと手を取り、口づけた。

 個室に置かれた付添人用のベッドは、一般的なシングルベッドよりも狭い、長椅子のようなものだ。

 安堵のあまりどっと疲れが押し寄せてきて、倒れ込むように硬い長椅子に横になる。

もうとっくに消灯時間はすぎていて、ドアの外はシンと静まりかえっている。

 目を閉じると、疲れと安堵ですぐに意識が遠退いていった。



 大和が退院してから一週間が経った。

 頭の包帯が取れて、体から痛みが引くまでは仕事を休んでいたが、まったく動けないほどではなく、自宅でパソコンを開こうとするから止めるのが大変だったくらいだ。

 警察から、奏恵を殺人未遂容疑で逮捕し、送検したと連絡があった。プライドを傷つけられた逆恨みで大和と千尋を害そうとしたようだ。
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