無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
 そもそも奏恵は、彼女の父に頼まれ仕方なく大和に嫁いであげるつもりでいたらしい。それなのに、自分に跪くはずの大和にプライドを傷つけられた。

 今まで散々持て囃され、甘やかされてきた奏恵にとって、それはなにより許しがたいことだった。

その怒りが大和の結婚相手の千尋に向けられ、最終的には大和にも向けられた。

 千尋はそれを聞いても、なにも感じなかった。

奏恵の事情に興味はないし、許せるはずもない。プライドを傷つけただけで命を狙われたらたまったものではない。

 千尋が仕事から帰ると、大和がキッチンに立っていた。

「ただいま帰りました」
「おかえり」

 千尋はダイニングテーブルにのった数々の料理に目を瞬かせた。

「おいしそう……ですけど、休んでなくて大丈夫ですか?」

「ようやく体の痛みも引いた。むしろ寝過ぎて体がだるいから筋トレしたんだが、肩や背中も平気だな。来週から仕事復帰する」

「わかりました。でも、いきなり深夜まで残業はダメですよ?」

 大和から手渡されたご飯茶碗を運び、ふたりでテーブルにつく。

「いただきます」

 大和も千尋と一緒に合わせた。

 退院後、あまりに手持ち無沙汰だったようで、大和はこうして料理を作って待っていてくれることが増えた。

 目の前に並ぶ料理は、肉野菜炒めとポテトサラダ、味噌汁、ご飯である。もぐもぐ食堂で不器用な手つきでじゃがいもを洗っていた姿が懐かしい。

「おいしいです」
「そうか、よかった。君と暮らしてから、料理もだが……生活のすべてが楽しいと思えるようになった」

 そういえば、退院してからの大和はいつも楽しそうにしている。

ふたりで寝るまでの時間をリビングで過ごすようになったから、なにをするでもなくテレビを観たり、話したりしているだけだが、まるで実家にいた頃のような雰囲気に心が安らぐ。

「今までは、そうじゃなかったんですか?」

 彼の過去について詳しく聞いたことはなかった。

 周囲の人は大和を将来が約束された苦労知らずのお坊ちゃまだと思っているだろうし、実際、千尋も一緒に暮らすまではそうだった。

 だが大和は千尋の実家に挨拶に来たとき、母の手料理を食べながら、両親や兄、千尋を見て眩しそうな顔をした。

 あのときはまだ彼の表情の変化に気づけなかったけれど、今ならわかる。大和が〝家族〟を知らず、憧れのような感情を抱いているのだと。

 奏恵の父親について語るときも、同じ顔をしていたから。

「今までは、生活を整えることは日常のひとつでしかなかった。いかに無駄なく効率よく進められるかしか考えなかった」

 大和はそこで言葉を切ると、料理を口に運ぶ千尋に目を向けて穏やかに目を細めた。

「でも……俺が無駄だと思ってきたことの中に、大事なものもあったんだろう。誰かのために作る料理は、その人が喜んでくれるだけで報われるんだと、君と一緒に暮らして初めて知った。そういえば、君の作るコロッケをまだ食べてないな」

「ふふ、そうでした。約束しましたもんね」
「あぁ」

 大和の幸せそうな顔を見ていると、もっと、もっと、彼を幸せにしてあげたいと思う。

「一緒に作れば、きっと、もっと楽しいですよ」
「君が一緒にいてくれるなら、俺はずっと幸せなんだろうな」

 千尋は、差しだされた手に自分の手を重ねた。

 ダイニングテーブル越しに手を繋いでいる状態は気恥ずかしく、離すタイミングも掴めない。

どうしていいかわからず、狼狽えていると向かいに座る大和が吹きだした。

「もう、大和さんっ!」
「悪い……君が動揺しているところがかわいくて」
「そろそろ、離してください」
「いやだ」

 きゅっとより強く手を握られて、指を絡ませられる。指をするりと撫でられて、くすぐったさと匂い立つほどの彼の色気にあてられて、千尋の頬が熱くなっていく。

「……病院で言っただろう」
「なにを、ですか」
「君を抱いてないのに、死ねないって」

 千尋はいよいよ顔を上げていられなくなり、手を差しだしたまま俯いた。

 気持ちが通じあってからも、自分たちはまだ一度も体を重ねていない。

 なにより大和の怪我が心配だったし、少しずつ体調が戻っても寝室はべつだし、千尋はかわいくベッドに誘えるような性格をしていない。

 ずっとこのままなわけがないと思っていても、そういうタイミングもなく、今日まで来てしまったのだが。

 千尋が恐る恐る顔を上げると、不安そうな大和の瞳とかち合う。

「いやだったらしない。でも俺は、もうずっと前から、千尋を抱きたかった」

 千尋はか細い声で「いいですよ」と頷いた。

 もっとかわいく誘えたらと思わないでもなかったが、それが千尋の精一杯であると彼もわかっているだろう。
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