無駄を嫌う御曹司とかわいげのない秘書の契約結婚
「違うの。実は……彼氏って玖代不動産の上司で玖代大和さんって言うんだけど、うちの事情を話したら、ぜひ協力させてほしいって」
「協力?」
千尋は、大和が手がけた仕事を説明した。有名な高層ビルの名前が出たときには愕然とした様子で誰も言葉を発しなくなる。
「彼ね……ちょっと変わったところはあるけど、本当にすごい人なのよ。お父さんが守りたいクマトイファクトリーのまま、経営を軌道に乗せてくれる。それだけじゃなく、クマトイファクトリーを大きくしてくれると思う」
婚約者である大和がクマトイファクトリーを救ってくれる。そばで彼の仕事をずっと見てきたのだ。
彼と仕事をしてきた千尋は、その点だけは大和を信用している。
「会社を……潰さなくて、済むのか?」
父は涙をこらえたような、期待の籠もったような顔で千尋に聞いた。
「うん、きっとね。結婚の挨拶のときに具体的な話をしようと思ってるけど、信用してくれて大丈夫。どの仕事もすべて結果を出している人だから」
千尋が答えると、父はいよいよ感極まったように顔を伏せた。
母はそんな父の頭をよしよしと撫でている。
「千尋に……その大和さんに、感謝しないといけないわね」
千尋も家に金を入れていたが、支出が多すぎるようで、両親も兄も自由になるお金がほとんどないはずだ。
ここのところずっと皆が思い詰めていたからか、母と兄の目も赤く潤んでいて、千尋までもらい泣きしそうだ。
「彼はお金を工面して、今後の事業計画を立ててくれるわ。でもね、実際にクマトイファクトリーを存続させていくのは、お父さんとお兄ちゃんになるでしょう?」
「それは、そうだな」
千尋が確認するように言うと、ふたりはどうしてそんな当たり前のことを聞くのだという顔をした。
「あのね、彼の考えはまだわからないから、おそらくとしか言えないんだけど、そう遠くないうちに工場の建設が始まって、従業員が数百人規模で増えるはず。事業が軌道に乗れば、もっと増えていく可能性が高い。お父さんは、そうなったクマトイファクトリーのトップに立つことになると思う」
千尋の言葉に、両親と兄は驚愕に息を呑む。
そんな夢物語のようなことがあるはずがないと顔に書いてあるが、いざそうなったときに「自信がありません」では、誰もついてこない。
トップに立つには覚悟も責任も必要だ。
「そんな、話になっているのか?」
父が自信なさげな顔をしてぽつりとこぼす。
「ううん、まだわからない。私の上司である彼ならそうするかなって思っただけ。彼が来て、いきなりそんな話をされたらお父さんたちパニックになっちゃうでしょ? だから、もしもそういう話になったらどうするかを考えてみてほしいの」
千尋は隣に座る兄にも目を向けて言った。
いずれは兄がその大きくなったクマトイファクトリーを継ぐのだ。兄にも覚悟をしてもらわねばならない。
「わかった。そうだよな……玖代不動産の専務取締役だもんな。俺たちが考えるような規模の話じゃないよな」
兄は自信なさげな顔で苦笑した。その気持ちはわかる。
大和が関わる仕事の規模は何十億もの金が動くようなものばかりで、千尋もその仕事の一角を担ってはいるが、それでも雇われているだけの従業員。
その全権を委ねられている社長を初めとした役員たちの責任や重責は計り知れない。
両親と兄はその夜、遅くまで話し合っていたようだ。
千尋は寝る支度を終えてベッドに横になり、疲れのせいかすぐに寝入ってしまった。
秀旭との別れをまったく思い出さなかったのは、認めたくはないが、大和のおかげだ。
大和から契約書を作成したと話があったのは、一週間後の金曜日のことだった。
待ち合わせ場所として指定されたのは、先週と同じレストランだ。無駄を嫌う上司らしいと思うが、クリスマスイブの今日、よく予約が取れたなと思う。
仕事を終えて帰り支度をしていると、十六時すぎにようやく出勤した奏恵が席を立ち、勝手知ったる足取りで執務室のドアをノックもせずに開けた。
「はぁ? 婚約者にクリスマスにプレゼントも贈らないなんて信じられない! お店の予約もしてないの!? パパに頼まれてるんでしょ!? しっかりしなさいよ!」
しばらくすると奏恵の甲高い声が執務室の外に響いてくる。
大和の声は聞こえてこないが、いつもと同じく唸るような声で「俺は婚約者ではないし、君と食事に行く意味がわからない」とでも言っているに違いない。
秘書室の同僚たちは顔を見合わせ、また始まったとため息をつく。今日この時間に出勤したのは、クリスマスイブだからかと皆が気づいた。
いずれ同僚たちにも結婚について知らされると思うが、先に出ていた方がいいだろうと考え、千尋は席を立った。
大和が店に来たのは、千尋が店について十五分後。
「協力?」
千尋は、大和が手がけた仕事を説明した。有名な高層ビルの名前が出たときには愕然とした様子で誰も言葉を発しなくなる。
「彼ね……ちょっと変わったところはあるけど、本当にすごい人なのよ。お父さんが守りたいクマトイファクトリーのまま、経営を軌道に乗せてくれる。それだけじゃなく、クマトイファクトリーを大きくしてくれると思う」
婚約者である大和がクマトイファクトリーを救ってくれる。そばで彼の仕事をずっと見てきたのだ。
彼と仕事をしてきた千尋は、その点だけは大和を信用している。
「会社を……潰さなくて、済むのか?」
父は涙をこらえたような、期待の籠もったような顔で千尋に聞いた。
「うん、きっとね。結婚の挨拶のときに具体的な話をしようと思ってるけど、信用してくれて大丈夫。どの仕事もすべて結果を出している人だから」
千尋が答えると、父はいよいよ感極まったように顔を伏せた。
母はそんな父の頭をよしよしと撫でている。
「千尋に……その大和さんに、感謝しないといけないわね」
千尋も家に金を入れていたが、支出が多すぎるようで、両親も兄も自由になるお金がほとんどないはずだ。
ここのところずっと皆が思い詰めていたからか、母と兄の目も赤く潤んでいて、千尋までもらい泣きしそうだ。
「彼はお金を工面して、今後の事業計画を立ててくれるわ。でもね、実際にクマトイファクトリーを存続させていくのは、お父さんとお兄ちゃんになるでしょう?」
「それは、そうだな」
千尋が確認するように言うと、ふたりはどうしてそんな当たり前のことを聞くのだという顔をした。
「あのね、彼の考えはまだわからないから、おそらくとしか言えないんだけど、そう遠くないうちに工場の建設が始まって、従業員が数百人規模で増えるはず。事業が軌道に乗れば、もっと増えていく可能性が高い。お父さんは、そうなったクマトイファクトリーのトップに立つことになると思う」
千尋の言葉に、両親と兄は驚愕に息を呑む。
そんな夢物語のようなことがあるはずがないと顔に書いてあるが、いざそうなったときに「自信がありません」では、誰もついてこない。
トップに立つには覚悟も責任も必要だ。
「そんな、話になっているのか?」
父が自信なさげな顔をしてぽつりとこぼす。
「ううん、まだわからない。私の上司である彼ならそうするかなって思っただけ。彼が来て、いきなりそんな話をされたらお父さんたちパニックになっちゃうでしょ? だから、もしもそういう話になったらどうするかを考えてみてほしいの」
千尋は隣に座る兄にも目を向けて言った。
いずれは兄がその大きくなったクマトイファクトリーを継ぐのだ。兄にも覚悟をしてもらわねばならない。
「わかった。そうだよな……玖代不動産の専務取締役だもんな。俺たちが考えるような規模の話じゃないよな」
兄は自信なさげな顔で苦笑した。その気持ちはわかる。
大和が関わる仕事の規模は何十億もの金が動くようなものばかりで、千尋もその仕事の一角を担ってはいるが、それでも雇われているだけの従業員。
その全権を委ねられている社長を初めとした役員たちの責任や重責は計り知れない。
両親と兄はその夜、遅くまで話し合っていたようだ。
千尋は寝る支度を終えてベッドに横になり、疲れのせいかすぐに寝入ってしまった。
秀旭との別れをまったく思い出さなかったのは、認めたくはないが、大和のおかげだ。
大和から契約書を作成したと話があったのは、一週間後の金曜日のことだった。
待ち合わせ場所として指定されたのは、先週と同じレストランだ。無駄を嫌う上司らしいと思うが、クリスマスイブの今日、よく予約が取れたなと思う。
仕事を終えて帰り支度をしていると、十六時すぎにようやく出勤した奏恵が席を立ち、勝手知ったる足取りで執務室のドアをノックもせずに開けた。
「はぁ? 婚約者にクリスマスにプレゼントも贈らないなんて信じられない! お店の予約もしてないの!? パパに頼まれてるんでしょ!? しっかりしなさいよ!」
しばらくすると奏恵の甲高い声が執務室の外に響いてくる。
大和の声は聞こえてこないが、いつもと同じく唸るような声で「俺は婚約者ではないし、君と食事に行く意味がわからない」とでも言っているに違いない。
秘書室の同僚たちは顔を見合わせ、また始まったとため息をつく。今日この時間に出勤したのは、クリスマスイブだからかと皆が気づいた。
いずれ同僚たちにも結婚について知らされると思うが、先に出ていた方がいいだろうと考え、千尋は席を立った。
大和が店に来たのは、千尋が店について十五分後。