過去で君に恋をした~32歳で死ぬ君を救うために
第20章 仲間たちの声
翌日の夜、凛はスマホに悠真からのメッセージを受け取った。
「話があります。今から会えますか」
凛は、メッセージを見つめた。
話。
何の話だろう。
凛は、返信した。
「はい。どこで会いますか」
すぐに返信が来た。
「例のカフェで。30分後」
凛は、支度を始めた。
鏡を見る。
疲れた顔。
でも、少しだけ化粧をした。
悠真に会うから。
30分後、凛は病院近くのカフェに着いた。
いつもの席に、悠真が座っていた。
でも、今日の悠真は、いつもと違った。
表情が、硬い。
真剣な顔。
凛は、悠真の向かいに座った。
「こんばんは」
「こんばんは」
二人は、挨拶を交わした。
店員がコーヒーを持ってきた。
店員が去ると、悠真は凛を見た。
「水瀬さん」
「はい」
凛は、緊張した。
悠真の様子が、いつもと違う。
何か、大事な話がある。
「僕、決めました」
悠真は、真っ直ぐに凛を見た。
「病院を、辞めます」
凛は、固まった。
病院を、辞める?
「え……」
凛は、声が出なかった。
「なんで!」
やっと出た声は、大きかった。
周りの客が、こちらを見た。
でも、凛は気にしなかった。
「なんで、病院を辞めるんですか」
凛の声は、震えていた。
悠真は、落ち着いた様子で答えた。
「君を、支えるためです」
凛は、何を言われているのか、理解できなかった。
「支えるって……それと病院を辞めることと、何の関係が……」
「関係があります」
悠真は、コーヒーカップを両手で包んだ。
「僕が病院に勤めている限り、自由に動けません。患者さんたちの証言を集めたり、メディアに協力したり、そういうことに時間を使えません」
凛は、悠真を見つめた。
「でも……」
「君は、一人で戦っています」
悠真の声は、静かだった。
でも、強い意志が込められていた。
「会社と。世間と。そして、自分の心とも」
凛は、何も言えなかった。
「僕には、わかります。君が、どれだけ苦しんでいるか」
悠真は、凛の手に自分の手を重ねた。
「だから、僕も一緒に戦いたい。本気で」
凛の目から、涙が溢れてきた。
「でも、病院を辞めたら……あなたの夢は……」
「夢は、患者さんを救うことです」
悠真は、凛の目を見つめた。
「病院にいても、いなくても、それは変わりません。むしろ、今は病院の外にいた方が、もっと多くの患者さんを救えるかもしれない」
凛は、首を振った。
「そんな……私のせいで、あなたのキャリアを……」
「君のせいじゃありません」
悠真は、凛の手を握った。
「これは、僕自身が決めたことです。僕にできることをする。それだけです」
凛は、涙が止まらなかった。
でも、今度は悲しい涙じゃない。
嬉しい涙。
悠真が、自分のためにここまでしてくれる。
「ありがとう……ございます」
凛は、涙声で言った。
「でも、本当にいいんですか」
「はい」
悠真は、力強く頷いた。
「もう、決めました。来週には、退職願を出します」
凛は、悠真の手を握り返した。
「私……頑張ります」
凛の声は、まだ震えていた。
「あなたが、そこまでしてくれるなら。私も、諦めません」
悠真は、微笑んだ。
優しい笑顔。
「一緒に、最後まで戦いましょう」
凛は、頷いた。
涙を拭う。
「はい。一緒に」
二人は、しばらく手を繋いだまま、座っていた。
店内には、静かな音楽が流れている。
他の客たちの話し声。
コーヒーカップが、カチャリと音を立てる。
でも、二人の間には、温かい空気が流れていた。
もう、一人じゃない。
悠真が、一緒にいてくれる。
本気で、一緒に戦ってくれる。
凛は、心の中で思った。
諦めちゃいけない。
まだ、戦える。
「水瀬さん」
悠真が、また話しかけた。
「はい」
「患者支援団体に、連絡を取ってみました」
悠真は、スマホを取り出した。
「僕の患者さんたちが参加している団体です。彼らも、君を支援したいと言っています」
凛は、驚いた。
「本当ですか」
「はい。明日、代表の方が声明を発表するそうです」
凛は、胸が熱くなった。
患者さんたちが。
自分を、支援してくれる。
「ありがとうございます」
凛は、深く頭を下げた。
「お礼を言うのは、僕じゃなくて、患者さんたちです」
悠真は、優しく言った。
「彼らは、君に感謝しています。真実を明らかにしてくれたことに」
凛は、また涙が出そうになった。
でも、今度はこらえた。
もう、泣かない。
前を向いて、戦う。
翌日の午後、凛はパソコンでニュースサイトを見ていた。
患者支援団体の声明が、発表されるはずだ。
午後2時。
画面を更新する。
新しい記事が、表示された。
「薬害患者支援団体、エクセリア製薬告発者を支持」
凛は、記事を開いた。
心臓が、激しく鳴っている。
記事を読み始める。
「薬害患者を支援する『希望の会』は本日、記者会見を開き、エクセリア製薬の副作用隠蔽を告発した元社員・水瀬凛氏を支持する声明を発表した」
凛は、息を呑んだ。
支持。
自分を、支持してくれている。
「同会代表の佐伯良太氏は『水瀬さんは、真実を明らかにした勇者です。彼女のおかげで、多くの患者が救われる可能性があります』と述べた」
凛の目から、涙が溢れてきた。
勇者。
そんな風に、言ってくれる人がいる。
記事は、続いていた。
「同会には、メディアジールの副作用に苦しむ患者が多数参加している。佐伯氏は『企業は利益を優先し、患者の苦しみを無視してきた。水瀬さんの勇気ある行動を、私たちは全力で支持します』と強調した」
凛は、画面をスクロールした。
記事の下には、コメント欄がある。
いくつかコメントが投稿されている。
「水瀬さんを支持します」
「企業の隠蔽は許せない」
「真実を明らかにしてくれてありがとう」
凛は、一つ一つのコメントを読んでいった。
全部が賛成ではない。
批判的なコメントも、まだある。
「不正アクセスは犯罪だ」
「会社を裏切った」
でも、以前と比べて、擁護の声が増えている。
明らかに、潮目が変わってきている。
凛は、SNSのアプリを開いた。
タイムラインを見る。
「希望の会」のアカウントが、声明を投稿していた。
その投稿には、たくさんのリツイートと「いいね」がついている。
凛は、リプライを読んでいった。
「水瀬さんは正しいことをした」
「企業の不正を許すな」
「患者の声を聞け」
一つ一つの言葉が、凛の心に染みた。
以前は、批判ばかりだった。
誹謗中傷の嵐だった。
でも、今は違う。
擁護してくれる人がいる。
応援してくれる人がいる。
凛は、スマホを握りしめた。
ありがとう。
心の中で、何度も呟いた。
ありがとう。
凛は、窓の外を見た。
澄み渡る空。
太陽が、明るく照らしている。
凛は、深呼吸をした。
胸の中の、重い塊が、少し軽くなった気がした。
まだ、戦いは終わっていない。
これからも、厳しい道が続く。
でも、一人じゃない。
悠真が、一緒にいてくれる。
患者さんたちが、支えてくれる。
世間も、少しずつ変わってきている。
凛は、立ち上がった。
デスクに向かう。
貝殻を手に取る。
光にかざすと、虹色に光る。
凛は、その貝殻を胸に抱いた。
悠真。
約束、守るから。
必ず、あなたを救う。
患者さんたちも、救う。
真実を、最後まで明らかにする。
凛は、心に誓った。
もう、諦めない。
どんなに辛くても。
どんなに厳しくても。
最後まで、戦い抜く。
凛の目には、強い光が宿っていた。
決意の光。
希望の光。
凛は、パソコンの前に座った。
川島弁護士にメールを書く。
「患者支援団体の声明を見ました。これを、裁判で活用できないでしょうか」
送信。
すぐに返信が来た。
「はい。世論の支持は、大きな力になります。患者さんたちの証言も、重要な証拠になります。一緒に、戦いましょう」
凛は、微笑んだ。
一緒に、戦う。
その言葉が、嬉しかった。
凛は、スマホを取り出した。
悠真に、メッセージを送る。
「ありがとうございます。患者支援団体の声明、見ました。勇気をもらいました」
すぐに、返信が来た。
「よかったです。これから、もっと多くの人が君を支持してくれるはずです。一緒に頑張りましょう」
凛は、スマホを握りしめた。
一緒に、頑張る。
悠真の言葉が、心に響く。
凛は、窓の外を見た。
雲が、流れている。
風が、吹いている。
世界は、動いている。
そして、凛も、動き始めた。
もう、立ち止まらない。
前を向いて、歩き続ける。
凛は、深呼吸をした。
そして、次にやるべきことを考え始めた。
数日後、凛のスマホに病院から連絡が来た。
「お母様、本日退院できます」
凛は、その言葉を聞いて、胸が熱くなった。
母が、退院できる。
良くなったんだ。
凛は、すぐに病院へ向かった。
病室に着くと、母はすでに私服に着替えていた。
ベッドの上に、荷物がまとめられている。
「お母さん」
凛は、病室に入った。
母が、振り向いた。
顔色が、良くなっている。
笑顔が、戻っている。
「凛、来てくれたのね」
母は、嬉しそうに言った。
「もう、大丈夫なの?」
凛は、母に駆け寄った。
「ええ。血圧も安定したわ。先生が、退院していいって」
母は、凛の手を取った。
温かい手。
前に触れた時は、冷たかった。
でも、今は温かい。
「良かった……」
凛は、涙が溢れそうになった。
「本当に、良かった」
母は、凛を抱きしめた。
しっかりと。
強く。
「凛。お母さんね、あなたのこと、誇りに思ってるのよ」
母の声が、耳元で聞こえた。
「え……」
凛は、驚いた。
「あなたは、正しいことをしたわ。辛かったでしょう。苦しかったでしょう。でも、あなたは逃げなかった」
母の声は、優しかった。
でも、強さもあった。
「お母さんは、あなたを誇りに思う。心から」
凛は、もう我慢できなかった。
涙が、溢れ出た。
声を出して、泣いた。
母の胸に顔を埋めて。
「ごめんなさい……心配かけて……」
凛の声は、涙でかすれていた。
「謝らなくていいのよ」
母は、凛の背中を撫でた。
「あなたは、何も悪くない」
凛は、初めて救われた気持ちになった。
母に、認めてもらえた。
誇りに思うと、言ってもらえた。
それが、どれだけ嬉しいか。
どれだけ心に響くか。
凛は、涙が止まらなかった。
でも、今度は悲しい涙じゃない。
嬉しい涙。
安心の涙。
母は、凛をずっと抱きしめていた。
凛が落ち着くまで。
しばらくして、凛は顔を上げた。
涙を拭う。
「ありがとう、お母さん」
凛は、笑顔を作った。
母も、笑顔で答えた。
「さあ、帰りましょう」
二人は、病院を出た。
母の荷物を、凛が持った。
タクシーで、母の家へ。
凛は、母を家まで送り届けた。
「無理しないでね」
凛は、母に言った。
「あなたもよ」
母は、凛の頬に手を当てた。
「頑張ってね。でも、一人で抱え込まないで」
凛は、頷いた。
「わかった」
母と別れ、凛は自分の家に戻った。
部屋に入ると、スマホに通知が来ていた。
メール。
差出人不明。
凛は、メールを開いた。
件名はない。
本文だけがある。
「水瀬さん。佐々木です。会社のアドレスからは送れないので、こちらから送ります」
凛の心臓が、ドキッとした。
佐々木。
元同僚の、佐々木さん。
凛は、続きを読んだ。
「あれから、ずっと考えていました。君のこと。会社のこと。自分のこと」
「君は、間違ってない。君がやったことは、正しいことだった。僕も、それはわかっています」
凛は、画面を凝視した。
佐々木さんが、そう言ってくれている。
「僕も、あの報告書のことを知っていました。副作用が隠蔽されていることを。でも、僕は何もしなかった。見て見ぬふりをした」
「それが、ずっと良心の痛みになっています」
凛は、唇を噛んだ。
佐々木さんも、苦しんでいたんだ。
「君は、勇気を出して、真実を明らかにした。僕には、できなかったことを。だから、君を尊敬しています。本当に」
凛の目から、涙が溢れてきた。
佐々木さん。
ありがとう。
でも、メールは続いていた。
「ただ、申し訳ないのですが、僕は証言することができません」
凛の胸が、締め付けられた。
「家族がいます。住宅ローンもあります。今、会社を辞めることはできません。君を支援できなくて、本当にごめんなさい。でも、君のことは応援しています。陰ながら、ずっと。頑張ってください。君なら、きっとできる」
メールは、そこで終わっていた。
凛は、スマホを握りしめた。
複雑な気持ちだった。
佐々木さんが、自分を支持してくれている。
それは、嬉しい。
でも、証言はしてくれない。
それは、わかる。
佐々木さんにも、守るべきものがある。
家族。
生活。
それを犠牲にしてまで、戦えとは言えない。
凛は、深呼吸をした。
佐々木さんは、精一杯のことをしてくれた。
こうしてメールを送ってくれた。
それだけで、十分だ。
凛は、返信を書いた。
「佐々木さん、メールありがとうございます。証言のことは、気にしないでください。佐々木さんの気持ちだけで、十分です。応援してくれて、ありがとうございます」
送信。
凛は、スマホを置いた。
窓の外を見る。
夕焼けが、空を染めている。
オレンジ色の空。
きれいな空。
凛は、立ち上がった。
もう、迷わない。
前を向いて、戦う。
その時、スマホが鳴った。
着信。
悠真からだ。
凛は、電話に出た。
「もしもし」
「水瀬さん。今から、会えますか」
悠真の声。
「はい。大丈夫です」
「じゃあ、川島先生の事務所で会いましょう。新しい戦略を、一緒に考えたいんです」
凛の心臓が、高鳴った。
新しい戦略。
「わかりました。すぐに行きます」
凛は、支度を始めた。
カバンを持つ。
その中に、貝殻を入れる。
いつも持っていたい。
悠真との、約束の証。
凛は、部屋を出た。
駅へ向かう。
電車に乗る。
川島法律事務所へ。
事務所に着くと、悠真がすでに待っていた。
応接室に入ると、川島も座っていた。
「お待ちしていました」
川島は、凛を迎えた。
三人は、テーブルを囲んで座った。
「それでは、これからの戦略について話し合いましょう」
川島は、資料を開いた。
「患者支援団体の声明は、大きな力になります。これを活用して、世論をさらに味方につけていきましょう」
凛は、頷いた。
「宮下先生には、医学的な見地から、メディアジールの副作用について証言していただきます」
悠真も、頷いた。
「はい。僕の患者さんたちにも、証言をお願いしています」
川島は、続けた。
「水瀬さんには、内部告発者として、会社の隠蔽体質について証言していただきます」
凛は、深呼吸をした。
「わかりました」
「不正アクセスについては、公益性を強く主張します。患者の命を守るために、やむを得なかった行為だと」
川島の目は、真剣だった。
「簡単な戦いではありません。でも、勝てない戦いでもありません」
凛は、悠真を見た。
悠真も、凛を見ていた。
二人は、同時に頷いた。
「最後まで、戦いましょう」
凛は、そう言った。
悠真は、凛の手を取った。
「一緒に」
凛は、悠真の手を握り返した。
「はい。一緒に」
川島は、二人を見て、微笑んだ。
「いいコンビですね」
三人は、これからの計画を、詳しく話し合った。
証拠の整理。
証人のリスト。
メディア戦略。
一つ一つ、確認していった。
打ち合わせは、2時間ほど続いた。
終わった時、凛の心は、以前とは違っていた。
重かった心が、軽くなっていた。
希望の光が、見えていた。
事務所を出ると、外はすでに暗くなっていた。
街灯が、点々と灯っている。
「水瀬さん」
悠真が、凛に話しかけた。
「はい」
「少し、歩きませんか」
凛は、頷いた。
二人は、並んで歩き始めた。
静かな夜。
人通りは、少ない。
「今日、お母様が退院されたんですよね」
悠真が、言った。
「はい。元気になって、本当に良かったです」
凛は、笑顔で答えた。
「お母様、何ておっしゃってました?」
凛は、少し考えた。
それから、答えた。
「誇りに思う、って」
悠真は、微笑んだ。
「素敵なお母様ですね」
「はい」
凛も、微笑んだ。
「私、救われました。お母さんの言葉に」
悠真は、凛の手を取った。
「僕も、君を誇りに思います」
凛は、驚いて悠真を見た。
悠真の目は、優しかった。
真剣だった。
「君は、本当に強い人です」
凛の目から、涙が溢れそうになった。
でも、こらえた。
「ありがとうございます」
二人は、手を繋いだまま、歩き続けた。
夜の街を。
静かな街を。
でも、二人の心は、温かかった。
希望に満ちていた。
凛は、空を見上げた。
星が、いくつか見えた。
きれいな星。
凛は、思った。
まだ、戦いは続く。
厳しい道が、待っている。
でも、もう大丈夫。
一人じゃない。
悠真が、一緒にいてくれる。
母も、応援してくれている。
患者さんたちも、支えてくれている。
そして、佐々木さんのような人も、陰ながら応援してくれている。
凛は、もう迷わない。
前を向いて、歩き続ける。
最後まで、戦い抜く。
凛の心に、強い決意が芽生えていた。
「話があります。今から会えますか」
凛は、メッセージを見つめた。
話。
何の話だろう。
凛は、返信した。
「はい。どこで会いますか」
すぐに返信が来た。
「例のカフェで。30分後」
凛は、支度を始めた。
鏡を見る。
疲れた顔。
でも、少しだけ化粧をした。
悠真に会うから。
30分後、凛は病院近くのカフェに着いた。
いつもの席に、悠真が座っていた。
でも、今日の悠真は、いつもと違った。
表情が、硬い。
真剣な顔。
凛は、悠真の向かいに座った。
「こんばんは」
「こんばんは」
二人は、挨拶を交わした。
店員がコーヒーを持ってきた。
店員が去ると、悠真は凛を見た。
「水瀬さん」
「はい」
凛は、緊張した。
悠真の様子が、いつもと違う。
何か、大事な話がある。
「僕、決めました」
悠真は、真っ直ぐに凛を見た。
「病院を、辞めます」
凛は、固まった。
病院を、辞める?
「え……」
凛は、声が出なかった。
「なんで!」
やっと出た声は、大きかった。
周りの客が、こちらを見た。
でも、凛は気にしなかった。
「なんで、病院を辞めるんですか」
凛の声は、震えていた。
悠真は、落ち着いた様子で答えた。
「君を、支えるためです」
凛は、何を言われているのか、理解できなかった。
「支えるって……それと病院を辞めることと、何の関係が……」
「関係があります」
悠真は、コーヒーカップを両手で包んだ。
「僕が病院に勤めている限り、自由に動けません。患者さんたちの証言を集めたり、メディアに協力したり、そういうことに時間を使えません」
凛は、悠真を見つめた。
「でも……」
「君は、一人で戦っています」
悠真の声は、静かだった。
でも、強い意志が込められていた。
「会社と。世間と。そして、自分の心とも」
凛は、何も言えなかった。
「僕には、わかります。君が、どれだけ苦しんでいるか」
悠真は、凛の手に自分の手を重ねた。
「だから、僕も一緒に戦いたい。本気で」
凛の目から、涙が溢れてきた。
「でも、病院を辞めたら……あなたの夢は……」
「夢は、患者さんを救うことです」
悠真は、凛の目を見つめた。
「病院にいても、いなくても、それは変わりません。むしろ、今は病院の外にいた方が、もっと多くの患者さんを救えるかもしれない」
凛は、首を振った。
「そんな……私のせいで、あなたのキャリアを……」
「君のせいじゃありません」
悠真は、凛の手を握った。
「これは、僕自身が決めたことです。僕にできることをする。それだけです」
凛は、涙が止まらなかった。
でも、今度は悲しい涙じゃない。
嬉しい涙。
悠真が、自分のためにここまでしてくれる。
「ありがとう……ございます」
凛は、涙声で言った。
「でも、本当にいいんですか」
「はい」
悠真は、力強く頷いた。
「もう、決めました。来週には、退職願を出します」
凛は、悠真の手を握り返した。
「私……頑張ります」
凛の声は、まだ震えていた。
「あなたが、そこまでしてくれるなら。私も、諦めません」
悠真は、微笑んだ。
優しい笑顔。
「一緒に、最後まで戦いましょう」
凛は、頷いた。
涙を拭う。
「はい。一緒に」
二人は、しばらく手を繋いだまま、座っていた。
店内には、静かな音楽が流れている。
他の客たちの話し声。
コーヒーカップが、カチャリと音を立てる。
でも、二人の間には、温かい空気が流れていた。
もう、一人じゃない。
悠真が、一緒にいてくれる。
本気で、一緒に戦ってくれる。
凛は、心の中で思った。
諦めちゃいけない。
まだ、戦える。
「水瀬さん」
悠真が、また話しかけた。
「はい」
「患者支援団体に、連絡を取ってみました」
悠真は、スマホを取り出した。
「僕の患者さんたちが参加している団体です。彼らも、君を支援したいと言っています」
凛は、驚いた。
「本当ですか」
「はい。明日、代表の方が声明を発表するそうです」
凛は、胸が熱くなった。
患者さんたちが。
自分を、支援してくれる。
「ありがとうございます」
凛は、深く頭を下げた。
「お礼を言うのは、僕じゃなくて、患者さんたちです」
悠真は、優しく言った。
「彼らは、君に感謝しています。真実を明らかにしてくれたことに」
凛は、また涙が出そうになった。
でも、今度はこらえた。
もう、泣かない。
前を向いて、戦う。
翌日の午後、凛はパソコンでニュースサイトを見ていた。
患者支援団体の声明が、発表されるはずだ。
午後2時。
画面を更新する。
新しい記事が、表示された。
「薬害患者支援団体、エクセリア製薬告発者を支持」
凛は、記事を開いた。
心臓が、激しく鳴っている。
記事を読み始める。
「薬害患者を支援する『希望の会』は本日、記者会見を開き、エクセリア製薬の副作用隠蔽を告発した元社員・水瀬凛氏を支持する声明を発表した」
凛は、息を呑んだ。
支持。
自分を、支持してくれている。
「同会代表の佐伯良太氏は『水瀬さんは、真実を明らかにした勇者です。彼女のおかげで、多くの患者が救われる可能性があります』と述べた」
凛の目から、涙が溢れてきた。
勇者。
そんな風に、言ってくれる人がいる。
記事は、続いていた。
「同会には、メディアジールの副作用に苦しむ患者が多数参加している。佐伯氏は『企業は利益を優先し、患者の苦しみを無視してきた。水瀬さんの勇気ある行動を、私たちは全力で支持します』と強調した」
凛は、画面をスクロールした。
記事の下には、コメント欄がある。
いくつかコメントが投稿されている。
「水瀬さんを支持します」
「企業の隠蔽は許せない」
「真実を明らかにしてくれてありがとう」
凛は、一つ一つのコメントを読んでいった。
全部が賛成ではない。
批判的なコメントも、まだある。
「不正アクセスは犯罪だ」
「会社を裏切った」
でも、以前と比べて、擁護の声が増えている。
明らかに、潮目が変わってきている。
凛は、SNSのアプリを開いた。
タイムラインを見る。
「希望の会」のアカウントが、声明を投稿していた。
その投稿には、たくさんのリツイートと「いいね」がついている。
凛は、リプライを読んでいった。
「水瀬さんは正しいことをした」
「企業の不正を許すな」
「患者の声を聞け」
一つ一つの言葉が、凛の心に染みた。
以前は、批判ばかりだった。
誹謗中傷の嵐だった。
でも、今は違う。
擁護してくれる人がいる。
応援してくれる人がいる。
凛は、スマホを握りしめた。
ありがとう。
心の中で、何度も呟いた。
ありがとう。
凛は、窓の外を見た。
澄み渡る空。
太陽が、明るく照らしている。
凛は、深呼吸をした。
胸の中の、重い塊が、少し軽くなった気がした。
まだ、戦いは終わっていない。
これからも、厳しい道が続く。
でも、一人じゃない。
悠真が、一緒にいてくれる。
患者さんたちが、支えてくれる。
世間も、少しずつ変わってきている。
凛は、立ち上がった。
デスクに向かう。
貝殻を手に取る。
光にかざすと、虹色に光る。
凛は、その貝殻を胸に抱いた。
悠真。
約束、守るから。
必ず、あなたを救う。
患者さんたちも、救う。
真実を、最後まで明らかにする。
凛は、心に誓った。
もう、諦めない。
どんなに辛くても。
どんなに厳しくても。
最後まで、戦い抜く。
凛の目には、強い光が宿っていた。
決意の光。
希望の光。
凛は、パソコンの前に座った。
川島弁護士にメールを書く。
「患者支援団体の声明を見ました。これを、裁判で活用できないでしょうか」
送信。
すぐに返信が来た。
「はい。世論の支持は、大きな力になります。患者さんたちの証言も、重要な証拠になります。一緒に、戦いましょう」
凛は、微笑んだ。
一緒に、戦う。
その言葉が、嬉しかった。
凛は、スマホを取り出した。
悠真に、メッセージを送る。
「ありがとうございます。患者支援団体の声明、見ました。勇気をもらいました」
すぐに、返信が来た。
「よかったです。これから、もっと多くの人が君を支持してくれるはずです。一緒に頑張りましょう」
凛は、スマホを握りしめた。
一緒に、頑張る。
悠真の言葉が、心に響く。
凛は、窓の外を見た。
雲が、流れている。
風が、吹いている。
世界は、動いている。
そして、凛も、動き始めた。
もう、立ち止まらない。
前を向いて、歩き続ける。
凛は、深呼吸をした。
そして、次にやるべきことを考え始めた。
数日後、凛のスマホに病院から連絡が来た。
「お母様、本日退院できます」
凛は、その言葉を聞いて、胸が熱くなった。
母が、退院できる。
良くなったんだ。
凛は、すぐに病院へ向かった。
病室に着くと、母はすでに私服に着替えていた。
ベッドの上に、荷物がまとめられている。
「お母さん」
凛は、病室に入った。
母が、振り向いた。
顔色が、良くなっている。
笑顔が、戻っている。
「凛、来てくれたのね」
母は、嬉しそうに言った。
「もう、大丈夫なの?」
凛は、母に駆け寄った。
「ええ。血圧も安定したわ。先生が、退院していいって」
母は、凛の手を取った。
温かい手。
前に触れた時は、冷たかった。
でも、今は温かい。
「良かった……」
凛は、涙が溢れそうになった。
「本当に、良かった」
母は、凛を抱きしめた。
しっかりと。
強く。
「凛。お母さんね、あなたのこと、誇りに思ってるのよ」
母の声が、耳元で聞こえた。
「え……」
凛は、驚いた。
「あなたは、正しいことをしたわ。辛かったでしょう。苦しかったでしょう。でも、あなたは逃げなかった」
母の声は、優しかった。
でも、強さもあった。
「お母さんは、あなたを誇りに思う。心から」
凛は、もう我慢できなかった。
涙が、溢れ出た。
声を出して、泣いた。
母の胸に顔を埋めて。
「ごめんなさい……心配かけて……」
凛の声は、涙でかすれていた。
「謝らなくていいのよ」
母は、凛の背中を撫でた。
「あなたは、何も悪くない」
凛は、初めて救われた気持ちになった。
母に、認めてもらえた。
誇りに思うと、言ってもらえた。
それが、どれだけ嬉しいか。
どれだけ心に響くか。
凛は、涙が止まらなかった。
でも、今度は悲しい涙じゃない。
嬉しい涙。
安心の涙。
母は、凛をずっと抱きしめていた。
凛が落ち着くまで。
しばらくして、凛は顔を上げた。
涙を拭う。
「ありがとう、お母さん」
凛は、笑顔を作った。
母も、笑顔で答えた。
「さあ、帰りましょう」
二人は、病院を出た。
母の荷物を、凛が持った。
タクシーで、母の家へ。
凛は、母を家まで送り届けた。
「無理しないでね」
凛は、母に言った。
「あなたもよ」
母は、凛の頬に手を当てた。
「頑張ってね。でも、一人で抱え込まないで」
凛は、頷いた。
「わかった」
母と別れ、凛は自分の家に戻った。
部屋に入ると、スマホに通知が来ていた。
メール。
差出人不明。
凛は、メールを開いた。
件名はない。
本文だけがある。
「水瀬さん。佐々木です。会社のアドレスからは送れないので、こちらから送ります」
凛の心臓が、ドキッとした。
佐々木。
元同僚の、佐々木さん。
凛は、続きを読んだ。
「あれから、ずっと考えていました。君のこと。会社のこと。自分のこと」
「君は、間違ってない。君がやったことは、正しいことだった。僕も、それはわかっています」
凛は、画面を凝視した。
佐々木さんが、そう言ってくれている。
「僕も、あの報告書のことを知っていました。副作用が隠蔽されていることを。でも、僕は何もしなかった。見て見ぬふりをした」
「それが、ずっと良心の痛みになっています」
凛は、唇を噛んだ。
佐々木さんも、苦しんでいたんだ。
「君は、勇気を出して、真実を明らかにした。僕には、できなかったことを。だから、君を尊敬しています。本当に」
凛の目から、涙が溢れてきた。
佐々木さん。
ありがとう。
でも、メールは続いていた。
「ただ、申し訳ないのですが、僕は証言することができません」
凛の胸が、締め付けられた。
「家族がいます。住宅ローンもあります。今、会社を辞めることはできません。君を支援できなくて、本当にごめんなさい。でも、君のことは応援しています。陰ながら、ずっと。頑張ってください。君なら、きっとできる」
メールは、そこで終わっていた。
凛は、スマホを握りしめた。
複雑な気持ちだった。
佐々木さんが、自分を支持してくれている。
それは、嬉しい。
でも、証言はしてくれない。
それは、わかる。
佐々木さんにも、守るべきものがある。
家族。
生活。
それを犠牲にしてまで、戦えとは言えない。
凛は、深呼吸をした。
佐々木さんは、精一杯のことをしてくれた。
こうしてメールを送ってくれた。
それだけで、十分だ。
凛は、返信を書いた。
「佐々木さん、メールありがとうございます。証言のことは、気にしないでください。佐々木さんの気持ちだけで、十分です。応援してくれて、ありがとうございます」
送信。
凛は、スマホを置いた。
窓の外を見る。
夕焼けが、空を染めている。
オレンジ色の空。
きれいな空。
凛は、立ち上がった。
もう、迷わない。
前を向いて、戦う。
その時、スマホが鳴った。
着信。
悠真からだ。
凛は、電話に出た。
「もしもし」
「水瀬さん。今から、会えますか」
悠真の声。
「はい。大丈夫です」
「じゃあ、川島先生の事務所で会いましょう。新しい戦略を、一緒に考えたいんです」
凛の心臓が、高鳴った。
新しい戦略。
「わかりました。すぐに行きます」
凛は、支度を始めた。
カバンを持つ。
その中に、貝殻を入れる。
いつも持っていたい。
悠真との、約束の証。
凛は、部屋を出た。
駅へ向かう。
電車に乗る。
川島法律事務所へ。
事務所に着くと、悠真がすでに待っていた。
応接室に入ると、川島も座っていた。
「お待ちしていました」
川島は、凛を迎えた。
三人は、テーブルを囲んで座った。
「それでは、これからの戦略について話し合いましょう」
川島は、資料を開いた。
「患者支援団体の声明は、大きな力になります。これを活用して、世論をさらに味方につけていきましょう」
凛は、頷いた。
「宮下先生には、医学的な見地から、メディアジールの副作用について証言していただきます」
悠真も、頷いた。
「はい。僕の患者さんたちにも、証言をお願いしています」
川島は、続けた。
「水瀬さんには、内部告発者として、会社の隠蔽体質について証言していただきます」
凛は、深呼吸をした。
「わかりました」
「不正アクセスについては、公益性を強く主張します。患者の命を守るために、やむを得なかった行為だと」
川島の目は、真剣だった。
「簡単な戦いではありません。でも、勝てない戦いでもありません」
凛は、悠真を見た。
悠真も、凛を見ていた。
二人は、同時に頷いた。
「最後まで、戦いましょう」
凛は、そう言った。
悠真は、凛の手を取った。
「一緒に」
凛は、悠真の手を握り返した。
「はい。一緒に」
川島は、二人を見て、微笑んだ。
「いいコンビですね」
三人は、これからの計画を、詳しく話し合った。
証拠の整理。
証人のリスト。
メディア戦略。
一つ一つ、確認していった。
打ち合わせは、2時間ほど続いた。
終わった時、凛の心は、以前とは違っていた。
重かった心が、軽くなっていた。
希望の光が、見えていた。
事務所を出ると、外はすでに暗くなっていた。
街灯が、点々と灯っている。
「水瀬さん」
悠真が、凛に話しかけた。
「はい」
「少し、歩きませんか」
凛は、頷いた。
二人は、並んで歩き始めた。
静かな夜。
人通りは、少ない。
「今日、お母様が退院されたんですよね」
悠真が、言った。
「はい。元気になって、本当に良かったです」
凛は、笑顔で答えた。
「お母様、何ておっしゃってました?」
凛は、少し考えた。
それから、答えた。
「誇りに思う、って」
悠真は、微笑んだ。
「素敵なお母様ですね」
「はい」
凛も、微笑んだ。
「私、救われました。お母さんの言葉に」
悠真は、凛の手を取った。
「僕も、君を誇りに思います」
凛は、驚いて悠真を見た。
悠真の目は、優しかった。
真剣だった。
「君は、本当に強い人です」
凛の目から、涙が溢れそうになった。
でも、こらえた。
「ありがとうございます」
二人は、手を繋いだまま、歩き続けた。
夜の街を。
静かな街を。
でも、二人の心は、温かかった。
希望に満ちていた。
凛は、空を見上げた。
星が、いくつか見えた。
きれいな星。
凛は、思った。
まだ、戦いは続く。
厳しい道が、待っている。
でも、もう大丈夫。
一人じゃない。
悠真が、一緒にいてくれる。
母も、応援してくれている。
患者さんたちも、支えてくれている。
そして、佐々木さんのような人も、陰ながら応援してくれている。
凛は、もう迷わない。
前を向いて、歩き続ける。
最後まで、戦い抜く。
凛の心に、強い決意が芽生えていた。