過去で君に恋をした~32歳で死ぬ君を救うために
第21章 証言台に立つ
裁判の2週間前、凛は川島法律事務所にいた。
今日は、証言のリハーサルだ。
応接室には、凛と川島、そして悠真が座っていた。
「それでは、始めましょう」
川島は、手元の資料を開いた。
「水瀬さん、法廷での証言は、この裁判の重要な鍵になります」
凛は、緊張で手が冷たくなるのを感じた。
「はい」
凛は、小さく答えた。
川島は、凛を見つめた。
「まず、大前提として、不正アクセスは認めます」
凛は、頷いた。
それは、避けられない事実だ。
「しかし、同時に、公益性を強く主張します」
川島の声は、力強かった。
「水瀬さんが行ったのは、患者の命を守るための、やむを得ない行為だったと」
凛は、唇を噛んだ。
本当に、それで通じるだろうか。
「では、実際に練習してみましょう」
川島は、立ち上がった。
凛も、立ち上がる。
川島は、応接室の一角を指差した。
「あそこが、証言台だと思ってください」
凛は、その場所に移動した。
川島は、反対側に立った。
「私が、相手方の弁護士だと思ってください」
凛は、深呼吸をした。
心臓が、激しく鳴っている。
「では、始めます」
川島の声が、急に厳しくなった。
まるで、別人のように。
「水瀬さん。あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、一瞬、言葉に詰まった。
「は、はい」
声が、震えている。
川島は、首を振った。
「ストップ」
凛は、息を呑んだ。
「水瀬さん。声が震えています」
川島は、凛に近づいた。
「相手の弁護士は、あなたの動揺を見逃しません。少しでも弱みを見せれば、そこを突いてきます」
凛は、拳を握りしめた。
「もう一度、やりましょう」
川島は、また反対側に立った。
「あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「はい。アクセスしました」
今度は、少しマシだった。
でも、まだ声が小さい。
「もっと、はっきりと」
川島が、指摘した。
「裁判官に届くように。傍聴席の後ろまで届くように」
凛は、もう一度深呼吸をした。
「はい。アクセスしました」
今度は、声が大きくなった。
でも、まだ自信がない。
「いいですね。では、次の質問です」
川島は、資料を見た。
「それは、会社の就業規則に違反する行為ですね」
凛は、少し間を置いてから答えた。
「はい。違反します」
「不正アクセス禁止法にも、抵触する可能性がありますね」
「はい」
凛の声は、少しずつ安定してきた。
「では、なぜそのような違法行為をしたのですか」
川島の声が、さらに厳しくなった。
凛は、言葉を選んだ。
「患者さんたちを、救いたかったからです」
川島は、眉をひそめた。
「救いたかった? それで、違法行為が正当化されるとでも?」
凛は、息を呑んだ。
厳しい。
でも、これが本番なんだ。
もっと厳しい質問が来るかもしれない。
「正当化するつもりはありません」
凛は、震える声で答えた。
「でも、他に方法がなかったんです」
川島は、首を振った。
「ストップ」
凛は、また止められた。
「水瀬さん。『他に方法がなかった』では、弱いです」
川島は、凛に近づいた。
「もっと具体的に。なぜ、他に方法がなかったのか。会社に正式に訴えることはできなかったのか。そこを明確に説明しなければいけません」
凛は、頷いた。
「もう一度、やりましょう」
川島は、また反対側に立った。
「なぜ、不正アクセスという手段を取ったのですか」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「会社は、副作用の報告を組織的に隠蔽していました。内部で訴えても、握りつぶされる可能性が高かった。患者さんたちの命が、危険にさらされていました。だから、真実を外部に知らせる必要があったんです」
川島は、少し満足そうに頷いた。
「いいですね。その調子です」
凛は、ほっとした。
でも、まだ緊張は解けない。
「では、次です」
川島は、さらに厳しい表情になった。
「あなたの行為により、会社の株価は暴落しました。多くの社員が、職を失う可能性があります。その責任を、どう考えますか」
凛は、言葉に詰まった。
これは、難しい質問だ。
「私は……」
凛の声が、震えた。
「私は、それを望んでいたわけではありません。でも、副作用を隠蔽し続けることの方が、もっと多くの人を傷つけると思いました」
川島は、首を振った。
「弱いです。もっと強く」
凛は、唇を噛んだ。
もう一度、深呼吸をする。
「私は、患者さんたちの命を優先しました。会社の利益よりも、人の命の方が大切だと思ったからです」
川島は、頷いた。
「いいですね。その答えなら、裁判官の心にも届くでしょう」
凛は、少し自信がついてきた。
でも、まだ不安だ。
「もう一度、最初からやりましょう」
川島は、そう言った。
凛は、頷いた。
そして、再び証言台の位置に立った。
何度も、何度も、練習を繰り返した。
同じ質問に、何度も答えた。
最初は震えていた声も、だんだんと安定してきた。
言葉に詰まることも、少なくなってきた。
2時間ほど経った頃、川島は言った。
「いいですね。だいぶ良くなりました」
凛は、椅子に座り込んだ。
疲れた。
でも、充実感もあった。
「本番では、もっと厳しい質問が来るかもしれません」
川島は、凛に言った。
「でも、今日練習したことを思い出してください。深呼吸をして、落ち着いて答える。それができれば、大丈夫です」
凛は、頷いた。
「ありがとうございます」
悠真が、凛の肩に手を置いた。
「お疲れ様です」
凛は、悠真を見て微笑んだ。
「頑張りました」
「はい。とても良かったですよ」
悠真は、優しく言った。
川島は、資料を片付けながら言った。
「次は、明後日、同じ時間に来てください。また練習しましょう」
「はい。わかりました」
凛は、答えた。
その後も、凛は何度も川島の事務所に通った。
証言の練習を、繰り返した。
質問への答え方。
声の出し方。
立ち方。
視線の配り方。
全てを、何度も練習した。
最初は震えていた声も、だんだんと力強くなっていった。
言葉に詰まることも、ほとんどなくなった。
裁判の前日、最後のリハーサルが行われた。
凛は、証言台の位置に立った。
川島が、厳しい質問を次々と投げかけてくる。
凛は、一つ一つに、落ち着いて答えた。
声は、震えていない。
言葉は、明瞭だ。
リハーサルが終わると、川島は満足そうに頷いた。
「完璧です。明日も、この調子で」
凛は、深く息を吐いた。
「はい。頑張ります」
悠真が、凛の手を握った。
「大丈夫。君なら、できる」
凛は、悠真の手を握り返した。
「ありがとう」
その夜、凛は自宅で貝殻を手に取った。
悠真がくれた、貝殻。
光にかざすと、虹色に光る。
凛は、その貝殻を握りしめた。
明日が、本番だ。
法廷で、真実を語る。
凛は、深呼吸をした。
もう、迷わない。
準備は、できている。
凛は、貝殻を胸に当てた。
悠真。
約束、守るから。
明日、必ず。
凛は、ベッドに横になった。
でも、なかなか眠れなかった。
緊張で、心臓が高鳴っている。
明日のことを、何度もシミュレーションする。
証言台に立つ自分。
裁判官の顔。
質問に答える自分。
何度も、何度も、頭の中で繰り返した。
いつの間にか、凛は眠りに落ちていた。
翌朝、凛は早く目が覚めた。
時計を見ると、午前6時。
裁判は、午前10時から。
まだ、時間がある。
凛は、ベッドから起き上がった。
シャワーを浴びる。
冷たい水が、体に当たる。
目が、覚める。
鏡を見る。
緊張した顔。
でも、以前のような疲れた顔ではない。
目には、強い意志が宿っている。
凛は、スーツに着替えた。
黒のスーツ。
きちんとした服装。
法廷にふさわしい服装。
髪を整える。
化粧をする。
全て、丁寧に。
準備ができると、凛はカバンを手に取った。
その中に、貝殻を入れた。
いつも持っていたい。
お守りとして。
凛は、部屋を出た。
駅へ向かう。
電車に乗る。
車内は、通勤客で混んでいた。
凛は、吊り革に掴まりながら、窓の外を見た。
流れる景色。
いつもの景色。
でも、今日は違う。
今日が、戦いの日だ。
裁判所に着くと、すでに悠真が待っていた。
「おはようございます」
悠真は、凛に微笑みかけた。
「おはようございます」
凛も、笑顔で答えた。
でも、その笑顔は、少し硬かった。
「緊張してますか」
悠真が、尋ねた。
「はい。少し」
凛は、正直に答えた。
悠真は、凛の手を取った。
「大丈夫。僕が、ずっとそばにいます」
凛は、悠真の手を握り返した。
温かい手。
その温かさが、凛の緊張を少しだけ和らげてくれた。
「ありがとうございます」
二人は、裁判所の中に入った。
廊下には、すでに多くの人がいた。
報道陣。
カメラを持った記者たち。
マイクを持ったアナウンサー。
凛を見つけると、何人かが駆け寄ってきた。
「水瀬さん、今日の裁判についてコメントを」
「会社との和解の可能性は」
「不正アクセスについて、どうお考えですか」
質問が、次々と飛んでくる。
凛は、何も答えなかった。
ただ、前を向いて歩いた。
悠真が、凛を守るように並んで歩いた。
「すみません。今はコメントできません」
悠真が、記者たちに言った。
二人は、法廷の前に着いた。
大きな扉。
その向こうが、法廷だ。
凛は、深呼吸をした。
「行きましょう」
悠真が、凛に声をかけた。
凛は、頷いた。
扉を開ける。
法廷に入った。
広い部屋。
高い天井。
前方には、裁判官の席。
その下には、原告席と被告席。
そして、傍聴席。
傍聴席は、すでに満席だった。
報道陣。
患者支援団体の人たち。
一般の傍聴人。
みんなが、こちらを見ている。
凛は、少し怯んだ。
でも、すぐに前を向いた。
被告席に座る。
悠真も、凛の隣に座った。
川島弁護士も、すでに席に着いていた。
「おはようございます」
川島が、凛に声をかけた。
「おはようございます」
凛は、答えた。
「準備は、できていますね」
川島が、確認した。
「はい」
凛は、力強く頷いた。
しばらくすると、原告席にエクセリア製薬の弁護士団が入ってきた。
5人ほどの男性。
全員、黒いスーツ。
厳しい表情。
凛は、その中に見知った顔を見つけた。
田中部長だ。
会社側の証人として、出廷しているのだろう。
田中部長は、凛に気づいた。
視線が、一瞬交わる。
でも、すぐに目を逸らした。
凛は、胸が痛んだ。
でも、今は感傷に浸っている場合ではない。
午前10時になった。
裁判長が、入廷した。
「全員、起立」
書記官の声が、法廷に響いた。
全員が、立ち上がった。
裁判長は、中央の席に座った。
60代くらいの男性。
厳格そうな顔。
「着席」
書記官の声。
全員が、座った。
裁判長は、資料を開いた。
「これより、原告・エクセリア製薬株式会社対被告・水瀬凛の口頭弁論を開廷します」
裁判長の声が、法廷に響いた。
凛の心臓が、激しく鳴り始めた。
始まった。
ついに、始まった。
裁判長は、両方の弁護士に確認した。
「原告側、準備はよろしいですか」
相手方の主任弁護士が、立ち上がった。
「はい。準備できております」
「被告側は」
川島が、立ち上がった。
「準備できております」
裁判長は、頷いた。
「それでは、まず原告側の陳述から始めます」
相手方の弁護士が、立ち上がり、陳述を始めた。
「被告・水瀬凛は、不正アクセスにより当社の機密情報を盗み出し、それを外部に漏洩しました。これは、明らかな犯罪行為です」
その声は、冷たかった。
凛は、唇を噛んだ。
犯罪行為。
その言葉が、胸に突き刺さる。
「さらに、被告が漏洩したデータについても、信憑性に疑問があります。不正に入手されたデータは、改ざんされている可能性があります」
凛は、拳を握りしめた。
改ざんなんて、していない。
でも、声を出すことはできない。
今は、ただ聞いているしかない。
「被告の行為により、当社の株価は暴落し、企業価値は大きく毀損されました。その損害は、計り知れません。当社は、被告に対し、3億円の損害賠償を請求いたします」
3億円。
凛は、息を呑んだ。
そんな金額、払えるはずがない。
原告側の陳述が終わった。
今度は、川島の番だった。
川島が、立ち上がった。
「被告の行為は、確かに不正アクセスに該当します。しかし、それは公益のためのやむを得ない行為でした」
川島の声は、力強かった。
「原告・エクセリア製薬は、新薬メディアジールの重篤な副作用を隠蔽していました。被告は、患者の命を守るために、真実を明らかにしたのです」
凛は、川島の言葉を聞きながら、手を握りしめていた。
「公益通報者保護法の精神に照らせば、被告の行為は保護されるべきものです。原告の請求は、棄却されるべきであると考えます」
川島の陳述が終わった。
裁判長は、資料をめくった。
「それでは、証人尋問に移ります」
凛の心臓が、さらに激しく鳴った。
証人尋問。
凛が、証言台に立つ番だ。
「被告側、証人を」
裁判長が、川島に促した。
川島は、立ち上がった。
「証人、水瀬凛を申請します」
裁判長は、頷いた。
「証人、前へ」
凛は、立ち上がった。
足が、震えている。
でも、前に進んだ。
傍聴席を通り過ぎる。
みんなの視線が、凛に集中している。
凛は、証言台に着いた。
裁判長の前。
一段高いところ。
凛は、そこに立った。
深呼吸をする。
心臓が、激しく鳴っている。
でも、声は震えさせない。
練習した通りに。
落ち着いて。
裁判長が、凛を見た。
「証人、氏名を述べてください」
凛は、裁判長を見つめた。
そして、はっきりと答えた。
「水瀬凛です」
声は、明瞭だった。
震えていない。
法廷に、しっかりと響いた。
裁判長は、頷いた。
「生年月日は」
「1993年4月15日です」
凛は、一つ一つの質問に、落ち着いて答えた。
「住所は」
「東京都渋谷区神山町〇丁目〇番〇号です」
凛の声は、安定していた。
練習の成果が、出ている。
「宣誓をしてください」
書記官が、凛に宣誓書を渡した。
凛は、それを受け取った。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」
凛は、はっきりと読み上げた。
宣誓書にサインをする。
書記官に返す。
裁判長は、川島に促した。
「被告側、尋問を始めてください」
川島が、立ち上がった。
凛を見る。
その目には、励ましの色があった。
「水瀬さん」
川島が、穏やかに尋ねた。
「あなたは、エクセリア製薬で何をしていましたか」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「広報部で、企業広報を担当していました」
声は、落ち着いている。
「そこで、どのような仕事を」
「新薬のプロモーション、記者会見の準備、SNSの管理などです」
凛は、一つ一つ答えていった。
川島は、頷きながら次の質問をした。
「あなたは、メディアジールという新薬について、副作用の報告があることを知りましたか」
凛は、頷いた。
「はい。知りました」
「どのようにして」
「偶然、コピー機の上に置かれていた報告書を見つけました」
凛は、あの日のことを思い出しながら答えた。
「その報告書には、何が書かれていましたか」
「メディアジールの副作用症例が、89件報告されていました。重篤なケースも含まれていました」
傍聴席が、ざわついた。
裁判長が、静粛を求めた。
川島は、続けた。
「しかし、会社の公式発表では」
「軽微なもの数件のみ、と発表していました」
凛は、はっきりと答えた。
「つまり、会社は事実を隠蔽していたと」
「はい。そう認識しました」
凛の声には、力があった。
もう、震えていない。
真実を、語っている。
それが、凛に力を与えていた。
川島の尋問が終わると、今度は原告側の番だった。
エクセリア製薬の主任弁護士が、立ち上がった。
50代くらいの男性。
鋭い目。
厳格な表情。
凛は、その弁護士を見つめた。
心臓が、激しく鳴っている。
でも、表情は崩さない。
「水瀬さん」
弁護士の声は、冷たかった。
「あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、深呼吸をした。
練習した通りに。
「はい」
凛は、はっきりと答えた。
声は、震えていない。
「それは、会社の許可を得ていない行為ですね」
「はい」
凛は、認めた。
事実だから。
「つまり、違法行為です」
弁護士は、凛を見据えた。
凛は、その視線を受け止めた。
「不正アクセス禁止法に違反する、犯罪行為です」
凛は、少し間を置いた。
そして、答えた。
「違法行為であることは、認識していました。でも、伝えるべき真実がありました」
傍聴席が、ざわめいた。
弁護士は、眉をひそめた。
「伝えるべき真実? それで、犯罪が正当化されるとでも?」
凛は、首を振った。
「正当化するつもりはありません。でも、会社は重大な副作用を隠蔽していました。患者さんたちの命が、危険にさらされていました。それを放置することはできませんでした」
凛の声は、力強かった。
もう、震えていない。
練習の成果が、出ている。
弁護士は、資料をめくった。
「あなたが提出したデータですが、これは不正に入手されたものです。信憑性に疑問があります」
凛は、唇を噛んだ。
「改ざんされている可能性も、ありますね」
弁護士の声が、さらに厳しくなった。
凛は、真っ直ぐに弁護士を見つめた。
「改ざんは、していません。あのデータは、会社のデータベースからそのまま取得したものです」
「それを、どう証明できますか」
弁護士は、凛に詰め寄った。
凛は、少し迷った。
でも、すぐに答えた。
「専門家による鑑定で、証明できます」
弁護士は、鼻で笑った。
「鑑定? 不正に入手されたデータを、どう鑑定するというのですか」
凛は、何も答えられなかった。
弁護士は、続けた。
「あなたの行為により、当社の株価は暴落しました。多くの社員が、不安に陥っています。その責任を、どう考えますか」
凛は、深呼吸をした。
この質問も、練習した。
「申し訳なく思っています。でも、副作用を隠蔽し続けることの方が、もっと多くの人を傷つけると思いました」
凛の声は、落ち着いていた。
「患者さんたちの命と、会社の利益。私は、命の方を優先しました」
傍聴席が、また ざわめいた。
裁判長が、静粛を求めた。
弁護士は、不満そうな顔をした。
でも、それ以上は追及しなかった。
「以上です」
弁護士は、席に戻った。
凛は、ほっとした。
でも、まだ気を抜けない。
裁判長が、凛に言った。
「証人、席に戻ってください」
凛は、証言台を降りた。
自分の席に戻る。
足が、少し震えていた。
緊張が、やっと解けてきた。
悠真が、小さく頷いた。
凛も、頷き返した。
川島が、凛に小声で言った。
「よくやりました」
凛は、少し微笑んだ。
裁判長は、資料を確認した。
「次の証人を」
川島が、立ち上がった。
「証人、宮下悠真を申請します」
裁判長は、頷いた。
「証人、前へ」
悠真が、立ち上がった。
凛の横を通り過ぎる時、悠真は凛を見た。
その目には、励ましの色があった。
悠真は、証言台に立った。
白衣ではなく、スーツを着ている。
でも、その姿は、やはり医師だった。
落ち着いた雰囲気。
信頼できる雰囲気。
裁判長が、悠真に尋ねた。
「証人、氏名を述べてください」
「宮下悠真です」
悠真の声は、穏やかだった。
でも、しっかりと響いた。
「職業は」
「医師です」
「専門分野は」
「内科です。特に、薬害患者の治療を専門としています」
裁判長は、頷いた。
悠真も、宣誓をした。
川島が、尋問を始めた。
「宮下先生。あなたは、メディアジールの副作用について、どの程度把握していますか」
悠真は、落ち着いて答えた。
「私の患者の中に、メディアジールを服用後、副作用を訴える方が複数います」
「具体的に、どのような症状ですか」
「めまい、頭痛、倦怠感。重篤なケースでは、呼吸困難、全身発疹、肝機能障害も見られます」
悠真の説明は、明瞭だった。
医学的な専門用語も、わかりやすく説明している。
「これらの症状は、メディアジールの副作用だと言えますか」
川島が、尋ねた。
「医学的見地から見て、メディアジールとの因果関係が強く疑われます」
悠真は、はっきりと答えた。
「服用開始後、数日から数週間で症状が現れ、服用中止後に症状が軽減するケースが多い。これは、薬剤性の副作用の典型的なパターンです」
傍聴席から、メモを取る音が聞こえた。
記者たちが、熱心に記録している。
川島は、続けた。
「水瀬さんが提出したデータについて、医学的観点から見て、信憑性はあると思いますか」
悠真は、頷いた。
「はい。データに記載されている症例は、私が臨床で見ている症状と一致します。医学的に見て、矛盾はありません」
凛は、悠真の証言を聞きながら、胸が熱くなった。
悠真が、自分のために証言してくれている。
真実を、明らかにしてくれている。
川島の尋問が終わると、今度は原告側の番だった。
エクセリア製薬の弁護士が、立ち上がった。
「宮下先生。あなたは、メディアジールの副作用について、どのように確認されましたか」
悠真は、落ち着いて答えた。
「患者さんの症状、服用歴、検査結果を総合的に判断しました」
「しかし、他の要因による症状の可能性も、ありますね」
弁護士は、詰め寄った。
悠真は、頷いた。
「可能性としては、あります。しかし、複数の患者さんに共通して見られる症状であること、服用時期と発症時期が一致すること、これらを考慮すると、メディアジールが原因である可能性が高いと判断しました」
弁護士は、資料をめくった。
「先生の判断は、あくまで推測に過ぎないのでは」
悠真は、首を振った。
「医学的判断は、常に複数の情報を総合して行います。100パーセントの確証はありませんが、因果関係を強く示唆する証拠があります」
弁護士は、それ以上追及できなかった。
悠真の説明は、論理的で、隙がなかった。
「以上です」
弁護士は、不満そうに席に戻った。
悠真も、証言台を降りた。
凛の隣に戻ってくる。
凛は、小声で言った。
「ありがとうございます」
悠真は、微笑んだ。
「当然のことをしただけです」
裁判長は、資料を確認した。
「他に、証人は」
川島が、立ち上がった。
「はい。これより、被告側の追加証拠を提出いたします」
傍聴席が、ざわついた。
追加証拠?
川島は、手元から小さなUSBメモリを取り出した。
「こちらが、被告が入手した社内データの原本です」
裁判長は、興味を示した。
「内容を確認します。書記官、データを表示してください」
書記官が、USBメモリを受け取った。
法廷のスクリーンに、データが表示される準備が始まった。
凛は、悠真と目を合わせた。
悠真は、小さく頷いた。
凛も、頷き返した。
これから、反撃が始まる。
真実が、明らかになる。
凛は、拳を握りしめた。
もう、後には引けない。
前に進むだけだ。
今日は、証言のリハーサルだ。
応接室には、凛と川島、そして悠真が座っていた。
「それでは、始めましょう」
川島は、手元の資料を開いた。
「水瀬さん、法廷での証言は、この裁判の重要な鍵になります」
凛は、緊張で手が冷たくなるのを感じた。
「はい」
凛は、小さく答えた。
川島は、凛を見つめた。
「まず、大前提として、不正アクセスは認めます」
凛は、頷いた。
それは、避けられない事実だ。
「しかし、同時に、公益性を強く主張します」
川島の声は、力強かった。
「水瀬さんが行ったのは、患者の命を守るための、やむを得ない行為だったと」
凛は、唇を噛んだ。
本当に、それで通じるだろうか。
「では、実際に練習してみましょう」
川島は、立ち上がった。
凛も、立ち上がる。
川島は、応接室の一角を指差した。
「あそこが、証言台だと思ってください」
凛は、その場所に移動した。
川島は、反対側に立った。
「私が、相手方の弁護士だと思ってください」
凛は、深呼吸をした。
心臓が、激しく鳴っている。
「では、始めます」
川島の声が、急に厳しくなった。
まるで、別人のように。
「水瀬さん。あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、一瞬、言葉に詰まった。
「は、はい」
声が、震えている。
川島は、首を振った。
「ストップ」
凛は、息を呑んだ。
「水瀬さん。声が震えています」
川島は、凛に近づいた。
「相手の弁護士は、あなたの動揺を見逃しません。少しでも弱みを見せれば、そこを突いてきます」
凛は、拳を握りしめた。
「もう一度、やりましょう」
川島は、また反対側に立った。
「あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「はい。アクセスしました」
今度は、少しマシだった。
でも、まだ声が小さい。
「もっと、はっきりと」
川島が、指摘した。
「裁判官に届くように。傍聴席の後ろまで届くように」
凛は、もう一度深呼吸をした。
「はい。アクセスしました」
今度は、声が大きくなった。
でも、まだ自信がない。
「いいですね。では、次の質問です」
川島は、資料を見た。
「それは、会社の就業規則に違反する行為ですね」
凛は、少し間を置いてから答えた。
「はい。違反します」
「不正アクセス禁止法にも、抵触する可能性がありますね」
「はい」
凛の声は、少しずつ安定してきた。
「では、なぜそのような違法行為をしたのですか」
川島の声が、さらに厳しくなった。
凛は、言葉を選んだ。
「患者さんたちを、救いたかったからです」
川島は、眉をひそめた。
「救いたかった? それで、違法行為が正当化されるとでも?」
凛は、息を呑んだ。
厳しい。
でも、これが本番なんだ。
もっと厳しい質問が来るかもしれない。
「正当化するつもりはありません」
凛は、震える声で答えた。
「でも、他に方法がなかったんです」
川島は、首を振った。
「ストップ」
凛は、また止められた。
「水瀬さん。『他に方法がなかった』では、弱いです」
川島は、凛に近づいた。
「もっと具体的に。なぜ、他に方法がなかったのか。会社に正式に訴えることはできなかったのか。そこを明確に説明しなければいけません」
凛は、頷いた。
「もう一度、やりましょう」
川島は、また反対側に立った。
「なぜ、不正アクセスという手段を取ったのですか」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「会社は、副作用の報告を組織的に隠蔽していました。内部で訴えても、握りつぶされる可能性が高かった。患者さんたちの命が、危険にさらされていました。だから、真実を外部に知らせる必要があったんです」
川島は、少し満足そうに頷いた。
「いいですね。その調子です」
凛は、ほっとした。
でも、まだ緊張は解けない。
「では、次です」
川島は、さらに厳しい表情になった。
「あなたの行為により、会社の株価は暴落しました。多くの社員が、職を失う可能性があります。その責任を、どう考えますか」
凛は、言葉に詰まった。
これは、難しい質問だ。
「私は……」
凛の声が、震えた。
「私は、それを望んでいたわけではありません。でも、副作用を隠蔽し続けることの方が、もっと多くの人を傷つけると思いました」
川島は、首を振った。
「弱いです。もっと強く」
凛は、唇を噛んだ。
もう一度、深呼吸をする。
「私は、患者さんたちの命を優先しました。会社の利益よりも、人の命の方が大切だと思ったからです」
川島は、頷いた。
「いいですね。その答えなら、裁判官の心にも届くでしょう」
凛は、少し自信がついてきた。
でも、まだ不安だ。
「もう一度、最初からやりましょう」
川島は、そう言った。
凛は、頷いた。
そして、再び証言台の位置に立った。
何度も、何度も、練習を繰り返した。
同じ質問に、何度も答えた。
最初は震えていた声も、だんだんと安定してきた。
言葉に詰まることも、少なくなってきた。
2時間ほど経った頃、川島は言った。
「いいですね。だいぶ良くなりました」
凛は、椅子に座り込んだ。
疲れた。
でも、充実感もあった。
「本番では、もっと厳しい質問が来るかもしれません」
川島は、凛に言った。
「でも、今日練習したことを思い出してください。深呼吸をして、落ち着いて答える。それができれば、大丈夫です」
凛は、頷いた。
「ありがとうございます」
悠真が、凛の肩に手を置いた。
「お疲れ様です」
凛は、悠真を見て微笑んだ。
「頑張りました」
「はい。とても良かったですよ」
悠真は、優しく言った。
川島は、資料を片付けながら言った。
「次は、明後日、同じ時間に来てください。また練習しましょう」
「はい。わかりました」
凛は、答えた。
その後も、凛は何度も川島の事務所に通った。
証言の練習を、繰り返した。
質問への答え方。
声の出し方。
立ち方。
視線の配り方。
全てを、何度も練習した。
最初は震えていた声も、だんだんと力強くなっていった。
言葉に詰まることも、ほとんどなくなった。
裁判の前日、最後のリハーサルが行われた。
凛は、証言台の位置に立った。
川島が、厳しい質問を次々と投げかけてくる。
凛は、一つ一つに、落ち着いて答えた。
声は、震えていない。
言葉は、明瞭だ。
リハーサルが終わると、川島は満足そうに頷いた。
「完璧です。明日も、この調子で」
凛は、深く息を吐いた。
「はい。頑張ります」
悠真が、凛の手を握った。
「大丈夫。君なら、できる」
凛は、悠真の手を握り返した。
「ありがとう」
その夜、凛は自宅で貝殻を手に取った。
悠真がくれた、貝殻。
光にかざすと、虹色に光る。
凛は、その貝殻を握りしめた。
明日が、本番だ。
法廷で、真実を語る。
凛は、深呼吸をした。
もう、迷わない。
準備は、できている。
凛は、貝殻を胸に当てた。
悠真。
約束、守るから。
明日、必ず。
凛は、ベッドに横になった。
でも、なかなか眠れなかった。
緊張で、心臓が高鳴っている。
明日のことを、何度もシミュレーションする。
証言台に立つ自分。
裁判官の顔。
質問に答える自分。
何度も、何度も、頭の中で繰り返した。
いつの間にか、凛は眠りに落ちていた。
翌朝、凛は早く目が覚めた。
時計を見ると、午前6時。
裁判は、午前10時から。
まだ、時間がある。
凛は、ベッドから起き上がった。
シャワーを浴びる。
冷たい水が、体に当たる。
目が、覚める。
鏡を見る。
緊張した顔。
でも、以前のような疲れた顔ではない。
目には、強い意志が宿っている。
凛は、スーツに着替えた。
黒のスーツ。
きちんとした服装。
法廷にふさわしい服装。
髪を整える。
化粧をする。
全て、丁寧に。
準備ができると、凛はカバンを手に取った。
その中に、貝殻を入れた。
いつも持っていたい。
お守りとして。
凛は、部屋を出た。
駅へ向かう。
電車に乗る。
車内は、通勤客で混んでいた。
凛は、吊り革に掴まりながら、窓の外を見た。
流れる景色。
いつもの景色。
でも、今日は違う。
今日が、戦いの日だ。
裁判所に着くと、すでに悠真が待っていた。
「おはようございます」
悠真は、凛に微笑みかけた。
「おはようございます」
凛も、笑顔で答えた。
でも、その笑顔は、少し硬かった。
「緊張してますか」
悠真が、尋ねた。
「はい。少し」
凛は、正直に答えた。
悠真は、凛の手を取った。
「大丈夫。僕が、ずっとそばにいます」
凛は、悠真の手を握り返した。
温かい手。
その温かさが、凛の緊張を少しだけ和らげてくれた。
「ありがとうございます」
二人は、裁判所の中に入った。
廊下には、すでに多くの人がいた。
報道陣。
カメラを持った記者たち。
マイクを持ったアナウンサー。
凛を見つけると、何人かが駆け寄ってきた。
「水瀬さん、今日の裁判についてコメントを」
「会社との和解の可能性は」
「不正アクセスについて、どうお考えですか」
質問が、次々と飛んでくる。
凛は、何も答えなかった。
ただ、前を向いて歩いた。
悠真が、凛を守るように並んで歩いた。
「すみません。今はコメントできません」
悠真が、記者たちに言った。
二人は、法廷の前に着いた。
大きな扉。
その向こうが、法廷だ。
凛は、深呼吸をした。
「行きましょう」
悠真が、凛に声をかけた。
凛は、頷いた。
扉を開ける。
法廷に入った。
広い部屋。
高い天井。
前方には、裁判官の席。
その下には、原告席と被告席。
そして、傍聴席。
傍聴席は、すでに満席だった。
報道陣。
患者支援団体の人たち。
一般の傍聴人。
みんなが、こちらを見ている。
凛は、少し怯んだ。
でも、すぐに前を向いた。
被告席に座る。
悠真も、凛の隣に座った。
川島弁護士も、すでに席に着いていた。
「おはようございます」
川島が、凛に声をかけた。
「おはようございます」
凛は、答えた。
「準備は、できていますね」
川島が、確認した。
「はい」
凛は、力強く頷いた。
しばらくすると、原告席にエクセリア製薬の弁護士団が入ってきた。
5人ほどの男性。
全員、黒いスーツ。
厳しい表情。
凛は、その中に見知った顔を見つけた。
田中部長だ。
会社側の証人として、出廷しているのだろう。
田中部長は、凛に気づいた。
視線が、一瞬交わる。
でも、すぐに目を逸らした。
凛は、胸が痛んだ。
でも、今は感傷に浸っている場合ではない。
午前10時になった。
裁判長が、入廷した。
「全員、起立」
書記官の声が、法廷に響いた。
全員が、立ち上がった。
裁判長は、中央の席に座った。
60代くらいの男性。
厳格そうな顔。
「着席」
書記官の声。
全員が、座った。
裁判長は、資料を開いた。
「これより、原告・エクセリア製薬株式会社対被告・水瀬凛の口頭弁論を開廷します」
裁判長の声が、法廷に響いた。
凛の心臓が、激しく鳴り始めた。
始まった。
ついに、始まった。
裁判長は、両方の弁護士に確認した。
「原告側、準備はよろしいですか」
相手方の主任弁護士が、立ち上がった。
「はい。準備できております」
「被告側は」
川島が、立ち上がった。
「準備できております」
裁判長は、頷いた。
「それでは、まず原告側の陳述から始めます」
相手方の弁護士が、立ち上がり、陳述を始めた。
「被告・水瀬凛は、不正アクセスにより当社の機密情報を盗み出し、それを外部に漏洩しました。これは、明らかな犯罪行為です」
その声は、冷たかった。
凛は、唇を噛んだ。
犯罪行為。
その言葉が、胸に突き刺さる。
「さらに、被告が漏洩したデータについても、信憑性に疑問があります。不正に入手されたデータは、改ざんされている可能性があります」
凛は、拳を握りしめた。
改ざんなんて、していない。
でも、声を出すことはできない。
今は、ただ聞いているしかない。
「被告の行為により、当社の株価は暴落し、企業価値は大きく毀損されました。その損害は、計り知れません。当社は、被告に対し、3億円の損害賠償を請求いたします」
3億円。
凛は、息を呑んだ。
そんな金額、払えるはずがない。
原告側の陳述が終わった。
今度は、川島の番だった。
川島が、立ち上がった。
「被告の行為は、確かに不正アクセスに該当します。しかし、それは公益のためのやむを得ない行為でした」
川島の声は、力強かった。
「原告・エクセリア製薬は、新薬メディアジールの重篤な副作用を隠蔽していました。被告は、患者の命を守るために、真実を明らかにしたのです」
凛は、川島の言葉を聞きながら、手を握りしめていた。
「公益通報者保護法の精神に照らせば、被告の行為は保護されるべきものです。原告の請求は、棄却されるべきであると考えます」
川島の陳述が終わった。
裁判長は、資料をめくった。
「それでは、証人尋問に移ります」
凛の心臓が、さらに激しく鳴った。
証人尋問。
凛が、証言台に立つ番だ。
「被告側、証人を」
裁判長が、川島に促した。
川島は、立ち上がった。
「証人、水瀬凛を申請します」
裁判長は、頷いた。
「証人、前へ」
凛は、立ち上がった。
足が、震えている。
でも、前に進んだ。
傍聴席を通り過ぎる。
みんなの視線が、凛に集中している。
凛は、証言台に着いた。
裁判長の前。
一段高いところ。
凛は、そこに立った。
深呼吸をする。
心臓が、激しく鳴っている。
でも、声は震えさせない。
練習した通りに。
落ち着いて。
裁判長が、凛を見た。
「証人、氏名を述べてください」
凛は、裁判長を見つめた。
そして、はっきりと答えた。
「水瀬凛です」
声は、明瞭だった。
震えていない。
法廷に、しっかりと響いた。
裁判長は、頷いた。
「生年月日は」
「1993年4月15日です」
凛は、一つ一つの質問に、落ち着いて答えた。
「住所は」
「東京都渋谷区神山町〇丁目〇番〇号です」
凛の声は、安定していた。
練習の成果が、出ている。
「宣誓をしてください」
書記官が、凛に宣誓書を渡した。
凛は、それを受け取った。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」
凛は、はっきりと読み上げた。
宣誓書にサインをする。
書記官に返す。
裁判長は、川島に促した。
「被告側、尋問を始めてください」
川島が、立ち上がった。
凛を見る。
その目には、励ましの色があった。
「水瀬さん」
川島が、穏やかに尋ねた。
「あなたは、エクセリア製薬で何をしていましたか」
凛は、深呼吸をした。
そして、答えた。
「広報部で、企業広報を担当していました」
声は、落ち着いている。
「そこで、どのような仕事を」
「新薬のプロモーション、記者会見の準備、SNSの管理などです」
凛は、一つ一つ答えていった。
川島は、頷きながら次の質問をした。
「あなたは、メディアジールという新薬について、副作用の報告があることを知りましたか」
凛は、頷いた。
「はい。知りました」
「どのようにして」
「偶然、コピー機の上に置かれていた報告書を見つけました」
凛は、あの日のことを思い出しながら答えた。
「その報告書には、何が書かれていましたか」
「メディアジールの副作用症例が、89件報告されていました。重篤なケースも含まれていました」
傍聴席が、ざわついた。
裁判長が、静粛を求めた。
川島は、続けた。
「しかし、会社の公式発表では」
「軽微なもの数件のみ、と発表していました」
凛は、はっきりと答えた。
「つまり、会社は事実を隠蔽していたと」
「はい。そう認識しました」
凛の声には、力があった。
もう、震えていない。
真実を、語っている。
それが、凛に力を与えていた。
川島の尋問が終わると、今度は原告側の番だった。
エクセリア製薬の主任弁護士が、立ち上がった。
50代くらいの男性。
鋭い目。
厳格な表情。
凛は、その弁護士を見つめた。
心臓が、激しく鳴っている。
でも、表情は崩さない。
「水瀬さん」
弁護士の声は、冷たかった。
「あなたは、社内データベースに不正にアクセスしましたね」
凛は、深呼吸をした。
練習した通りに。
「はい」
凛は、はっきりと答えた。
声は、震えていない。
「それは、会社の許可を得ていない行為ですね」
「はい」
凛は、認めた。
事実だから。
「つまり、違法行為です」
弁護士は、凛を見据えた。
凛は、その視線を受け止めた。
「不正アクセス禁止法に違反する、犯罪行為です」
凛は、少し間を置いた。
そして、答えた。
「違法行為であることは、認識していました。でも、伝えるべき真実がありました」
傍聴席が、ざわめいた。
弁護士は、眉をひそめた。
「伝えるべき真実? それで、犯罪が正当化されるとでも?」
凛は、首を振った。
「正当化するつもりはありません。でも、会社は重大な副作用を隠蔽していました。患者さんたちの命が、危険にさらされていました。それを放置することはできませんでした」
凛の声は、力強かった。
もう、震えていない。
練習の成果が、出ている。
弁護士は、資料をめくった。
「あなたが提出したデータですが、これは不正に入手されたものです。信憑性に疑問があります」
凛は、唇を噛んだ。
「改ざんされている可能性も、ありますね」
弁護士の声が、さらに厳しくなった。
凛は、真っ直ぐに弁護士を見つめた。
「改ざんは、していません。あのデータは、会社のデータベースからそのまま取得したものです」
「それを、どう証明できますか」
弁護士は、凛に詰め寄った。
凛は、少し迷った。
でも、すぐに答えた。
「専門家による鑑定で、証明できます」
弁護士は、鼻で笑った。
「鑑定? 不正に入手されたデータを、どう鑑定するというのですか」
凛は、何も答えられなかった。
弁護士は、続けた。
「あなたの行為により、当社の株価は暴落しました。多くの社員が、不安に陥っています。その責任を、どう考えますか」
凛は、深呼吸をした。
この質問も、練習した。
「申し訳なく思っています。でも、副作用を隠蔽し続けることの方が、もっと多くの人を傷つけると思いました」
凛の声は、落ち着いていた。
「患者さんたちの命と、会社の利益。私は、命の方を優先しました」
傍聴席が、また ざわめいた。
裁判長が、静粛を求めた。
弁護士は、不満そうな顔をした。
でも、それ以上は追及しなかった。
「以上です」
弁護士は、席に戻った。
凛は、ほっとした。
でも、まだ気を抜けない。
裁判長が、凛に言った。
「証人、席に戻ってください」
凛は、証言台を降りた。
自分の席に戻る。
足が、少し震えていた。
緊張が、やっと解けてきた。
悠真が、小さく頷いた。
凛も、頷き返した。
川島が、凛に小声で言った。
「よくやりました」
凛は、少し微笑んだ。
裁判長は、資料を確認した。
「次の証人を」
川島が、立ち上がった。
「証人、宮下悠真を申請します」
裁判長は、頷いた。
「証人、前へ」
悠真が、立ち上がった。
凛の横を通り過ぎる時、悠真は凛を見た。
その目には、励ましの色があった。
悠真は、証言台に立った。
白衣ではなく、スーツを着ている。
でも、その姿は、やはり医師だった。
落ち着いた雰囲気。
信頼できる雰囲気。
裁判長が、悠真に尋ねた。
「証人、氏名を述べてください」
「宮下悠真です」
悠真の声は、穏やかだった。
でも、しっかりと響いた。
「職業は」
「医師です」
「専門分野は」
「内科です。特に、薬害患者の治療を専門としています」
裁判長は、頷いた。
悠真も、宣誓をした。
川島が、尋問を始めた。
「宮下先生。あなたは、メディアジールの副作用について、どの程度把握していますか」
悠真は、落ち着いて答えた。
「私の患者の中に、メディアジールを服用後、副作用を訴える方が複数います」
「具体的に、どのような症状ですか」
「めまい、頭痛、倦怠感。重篤なケースでは、呼吸困難、全身発疹、肝機能障害も見られます」
悠真の説明は、明瞭だった。
医学的な専門用語も、わかりやすく説明している。
「これらの症状は、メディアジールの副作用だと言えますか」
川島が、尋ねた。
「医学的見地から見て、メディアジールとの因果関係が強く疑われます」
悠真は、はっきりと答えた。
「服用開始後、数日から数週間で症状が現れ、服用中止後に症状が軽減するケースが多い。これは、薬剤性の副作用の典型的なパターンです」
傍聴席から、メモを取る音が聞こえた。
記者たちが、熱心に記録している。
川島は、続けた。
「水瀬さんが提出したデータについて、医学的観点から見て、信憑性はあると思いますか」
悠真は、頷いた。
「はい。データに記載されている症例は、私が臨床で見ている症状と一致します。医学的に見て、矛盾はありません」
凛は、悠真の証言を聞きながら、胸が熱くなった。
悠真が、自分のために証言してくれている。
真実を、明らかにしてくれている。
川島の尋問が終わると、今度は原告側の番だった。
エクセリア製薬の弁護士が、立ち上がった。
「宮下先生。あなたは、メディアジールの副作用について、どのように確認されましたか」
悠真は、落ち着いて答えた。
「患者さんの症状、服用歴、検査結果を総合的に判断しました」
「しかし、他の要因による症状の可能性も、ありますね」
弁護士は、詰め寄った。
悠真は、頷いた。
「可能性としては、あります。しかし、複数の患者さんに共通して見られる症状であること、服用時期と発症時期が一致すること、これらを考慮すると、メディアジールが原因である可能性が高いと判断しました」
弁護士は、資料をめくった。
「先生の判断は、あくまで推測に過ぎないのでは」
悠真は、首を振った。
「医学的判断は、常に複数の情報を総合して行います。100パーセントの確証はありませんが、因果関係を強く示唆する証拠があります」
弁護士は、それ以上追及できなかった。
悠真の説明は、論理的で、隙がなかった。
「以上です」
弁護士は、不満そうに席に戻った。
悠真も、証言台を降りた。
凛の隣に戻ってくる。
凛は、小声で言った。
「ありがとうございます」
悠真は、微笑んだ。
「当然のことをしただけです」
裁判長は、資料を確認した。
「他に、証人は」
川島が、立ち上がった。
「はい。これより、被告側の追加証拠を提出いたします」
傍聴席が、ざわついた。
追加証拠?
川島は、手元から小さなUSBメモリを取り出した。
「こちらが、被告が入手した社内データの原本です」
裁判長は、興味を示した。
「内容を確認します。書記官、データを表示してください」
書記官が、USBメモリを受け取った。
法廷のスクリーンに、データが表示される準備が始まった。
凛は、悠真と目を合わせた。
悠真は、小さく頷いた。
凛も、頷き返した。
これから、反撃が始まる。
真実が、明らかになる。
凛は、拳を握りしめた。
もう、後には引けない。
前に進むだけだ。