あなたの知らない、それからのこと

21.認められる

 精神的苦痛から解放されたからか、常に不調であったレベッカの身体は瞬く間に健康体になっていった。レベッカには近くの町の医者だと教えた、公爵家のお抱え医師がやってきて定期的に診察をしていたが、目を覚まして三か月を過ぎるころ、記憶以外はなんの問題もないと太鼓判を押された。あの薬の副作用も見受けられないようで一安心だ。
 元々色白ではあったのだが、青みがかかって人形のような以前とは比べ物ようもないくらい血色がよくなった。溌溂として美味しそうな頬につい唇が吸い寄せられてしまう。レベッカは殆どクライヴとしか顔を合わさないのだから、お淑やかさよりも元気なほうがいいに決まっている。散歩をしたり菜園を手伝ったりと適度に外で過ごすことが増えたことも健康に繋がっているのだろう。少し歩いただけで息切れをしていたレベッカは、今では走り回れるまでになっていた。これには久しぶりに訪れた公爵夫妻も感激し、今後も小さな家で二人きり過ごす許可を得られた。

「クライヴ、お客様?」
 本当は遠くから顔をみるだけにしてこっそりと帰るつもりだった公爵夫妻だったが、クライヴと話しているところをいつの間にか近くにきていたレベッカに気付かれてしまった。ただでさえ来客が殆どない家だ。昔のように好奇心旺盛さを取り戻しつつあるレベッカは気になったのだろう。
「あら、一度お会いしましたね」
「こんにちは、お嬢さん。そうだね。覚えていてくれて嬉しいよ。私はサイモンだ」
 屈託なく笑いかけるレベッカに公爵たちは複雑そうな表情を一瞬だけ浮かべたが、にこやかに笑って頷いた。
「お客様はクライヴのお父様とお母様……ではないのかしら?」
「あー、いや、彼の両親は別にいる。私たちとは、そうだな、遠い親戚にあたるんだ」
 本当の親子なのに分ってもらえないのはサイモンにとってつらいことだろう。それでもレベッカの心を守るために本音は明かさない。クライヴには贖罪だと話していたが、彼らに意見できる立場ではないし、レベッカを守ることに全てを注いでいるのでこの生活が脅かされないのであれば構わなかった。
「だったら私もご挨拶させて頂かないと」
「え……?」
「彼とお付き合いさせて頂いていますから」

「えっ!?」
「まぁ!」
 
 夫妻の視線が揃ってレベッカとクライヴを行ったり来たりする。頃合いを見て報告するつもりではいたのだ。しかし長年のレベッカへの想いを夫妻に知られている身としては、記憶がないのをいいことにクライヴが言い包めたと思われては敵わない。それにまだキスしかしていない。さすがにそれ以上は報告が済まないうちに進むべきではないと心に決めてので。
 恋人として一緒に暮らしていると、レベッカの可愛らしい甘えに何度も理性がグラグラと揺れたりしたけれども、今までを思い返し、これからずっと腕の中にいるのだからと思えば我慢できた。隣でモジモジしているレベッカの姿は初めて見るが、気絶してしまいそうなくらい可愛い。それはさておき、二人の視線が突き刺さっていて、いっそ気絶したほうが楽なのかもしれない。
「そうなのか……」
 色々な感情を飲み込んで一気に吐き出したかのようなサイモンの言葉に、腹を括った。寧ろ手紙で知らせるよりずっといい。言い訳じみた言葉にならないよう、誠実に答えなければ。
「あの、実は私、病気で寝込んでいて、それ以前の記憶がないんですが……あっ、でも今はもうお医者様からも何の問題もないと言われています。それで、目覚めてから何も覚えていないのに、クライヴ……この人のことがずっと好きだったことだけは理解できたのです」
「…………っ」
 まさかのレベッカの言葉に、開きかけた口はそのままに息をのんだ。頭は真っ白だが、ギュッと抱えられるようにしがみ付かれた腕に伝わる温もりが現実だと知らしめる。
「こんな何も持っていない私ですが、これからは彼の力になれたらと思っています。ですから見守ってくださったら嬉しいです」
「そうか……君は今、幸せかな?」
「はい!とても!」
「……ああ」
 夫人は感動したように手を口に当てて、声を詰まらせる。最悪の状況を回避するためとはいえ、血の滲むような努力も自分たちとの思い出も全て忘れてしまったことに、随分と心を痛めているとクライヴは父や侍女長から聞いていた。偶然ではあったけれど、娘の口から今が幸せだと伝えられて良かった。
「そうか、それは私たちも嬉しいよ。どうかこれからも幸せが続くよう祈っている」
 満面の笑みで答えるレベッカに、サイモンも笑顔を浮かべた。無意識だったのかレベッカの頭に手を伸ばし、優しく撫でた。こんな風景は幼い頃以降見たことがない。夫人はクライヴの手を取って、「ありがとう」と小さく告げた。
 
「結婚式には知り合いの神父がいる教会があるから、そちらを紹介しよう。クライヴ、あとで書類を送らせる」
「は、はい!旦那様、一生かけてお守りいたします」
 帰り際のサイモンの言葉に、クライヴの背筋が伸びた。これは結婚の許可が下りたということだ。もちろん望みとしてはあったが、こんなにすぐに認めてもらえるだなんて思いもよらなかった。なんせ恋人になれただけでも夢のようなのに。じわじわと嬉しさが膨れ上がってくる。隣で公爵夫妻を乗せた馬車が遠ざかっていくのを見送っていたレベッカと目があった。自然に寄りかかってくれる華奢な、それでも以前よりは随分健康的になった身体を抱き寄せる。
「あの方たち、なぜか分からないけれどすごく好きだわ。またお会いしたいな」
「そうだね。これからも時々会っていただけるようお願いするよ」
 猫のように擦り寄るのは彼女がここ最近でよくする仕草だ。いつからか隙を感じさせない姿しか見ていなかったから、毎回内心どぎまぎしてしまう。同時に愛おしさで胸がいっぱいになる。頭を傾けてレベッカの髪に鼻を埋めれば、同じ石鹸の香りがする。香水を付けていた令嬢時代とは違い、クライヴと同じ香りを纏っているのも堪らない。
「ところで気になったことがあるんだけど……私たち結婚するの?」
「へぁっ!」
 うっとりとレベッカを摂取していたところで、急所を狙われたかのような質問に思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。そりゃあ恋人同士で一緒に住んでいて、順調にいけば次のステップは結婚だ。クライヴとしては先に公爵夫妻に認められてからプロポーズをするつもりだったわけで。できれば夫人にアドバイスをもらい、指輪や花束も用意したかった。
「結婚って家族になる、ということだと分かっているけど、どうしてだかそれ以外は靄が掛かったかのように分からなくって。何をどうやってすればいいのか考えようとしても心が、思考が止まってしまうの」
「それは……」
 もしかしたら王太子妃教育で学んだ色んなことを、彼女の心が拒否しているのかもしれない。しかし社交などクライヴとの結婚ではなんの役にも立たないことばかりだ。ただ笑って幸せでいてくれたらいいだけなのだから。
「大丈夫。分からないことは僕が教えるから何の心配もいらないよ。大事なことはこれから先、僕の傍でずっと幸せでいてほしいということだけだ」
「はい……」
「先に言わせてしまって情けないけれど、どうか僕と結婚してほしい」
「はいっ……!あれ、どうして涙が……ああ、私、ずっと望んでいたのね」
 ホロホロと零れ落ちる涙を不思議そうに拭いながら、呟いたレベッカの言葉があまりにも嬉しくてクライヴは強く抱きしめた。
< 21 / 27 >

この作品をシェア

pagetop