あなたの知らない、それからのこと
22.結婚式とその後
レベッカとの結婚が公爵夫妻に認められたあと、参列者は信頼できる者たちのみの、こぢんまりとした結婚式を領地にある教会で挙げた。サイモンが事前に婚姻に関するものや、住んでいる家周辺の土地の権利をクライヴに譲渡する書類を送ってくれたおかげで、すんなりと事は運び、レベッカと夫婦になったのだ。用意周到過ぎて、既に準備がなされていたとしか思えない。
沢山のデザイン画からレベッカが選んだのは、春の妖精のような可愛らしくてシンプルなドレスだった。公爵令嬢であり王太子の婚約者という立場で、敢えて華美な装いを選んで着ていた彼女の、本来の好みなのだろう。そしてそれはとても似合っていた。もちろん王都にある一番大きな教会で大勢の参列者に祝福されながら、豪華なドレスに身を包むレベッカも美しいに違いないが、クライヴの目の前で頬を染めて嬉しそうに微笑む彼女のが何倍も美しいと断言できる。この日を一生忘れはしないだろう。もちろんその感動は結婚式だけではなく、終わってからも続くことにその時は気づかなかったが。
「クライヴ、これを」
式を終えるとクライヴはサイモンから呼び出され、真新しい金色の鍵を渡された。
「この鍵は……?」
「君たちがこれから住む家のものだ。私からの結婚祝いだよ」
「え……家、ですか?」
「前の家とそれほど距離は離れていないから、街に行くのも不便ではないだろう。せっかくだから心機一転、新しい場所で生活を始めるといい。今の幸せそうなレベッカを見ていると、以前を思い出しかねない憂いは少しでも取り除いた方がいいだろうと思ってね」
「旦那様……ありがとうございます」
鍵を握りしめて、クライヴは頭を深く下げた。レベッカは贅沢を言わないが、公爵家の援助のおかげで生活は成り立っている。それだけでも感謝してもしきれないというのに、新居まで。クライヴが彼にできることは、レベッカをこれからも幸せにすることだ。
「いや、こちらこそ今まであの子を支えてくれてありがとう。これからもどうかよろしく頼む」
「お嬢様をこの命にかえても幸せにします」
「はは、私は君にも幸せになってほしいんだよ。息子同然に思っているんだ。色々あったが二人が夫婦になれたことは、私や君の両親だけでなく公爵家の皆がとても喜んでいる」
「……ありがとうございます」
そうしてレベッカと二人で帰宅した家は、今までよりも大きいものだったが、これくらいならば使用人を雇わずとも十分に管理できるだろう。レベッカも突然与えられた新しい家に目を丸くしていたが、素直に喜んでいた。二階建てで一階には台所や浴室などの水回りに居間と応接室、客間があり、二階には書斎と明るい壁紙の部屋が三つ。おそらく子供部屋なのだろう。それから真ん中には一番大きな主寝室があった。今までは寝室は分けていたというのに。だからといって夫婦になったというのに、別々で寝るのもおかしな話ではあるけれども……。
手の届かぬ花だと諦めていたときは劣情を抑えることは容易かった。それから一緒に暮らし始めた時はただの主人と護衛に過ぎなかったから当然だし、レベッカの支えになることで精一杯の日々は、二人きりでいられることがただ嬉しかった。恋人同士になってからも公爵夫妻に認められるまでは、と意志も固く別々に寝ていたのだ。しかし結婚が決まってからというもの、城壁のように堅牢だった理性はただの砂と化している。レベッカの囁きの吐息が吹いては飛び散らかり、キスの雨が降っては崩れ落ちる。それをなんとか必死に修繕していた日々。
彼女を怖がらせるわけにはいかない。これからもずっと一緒なのだから焦る必要はない、と構えている自分と、結婚という書類だけではなく早く身体も手に入れなければ不安は拭えないだろう、と囁いてくる自分が脳内で戦っている。しかし、
「今日からはここで一緒に寝るのね。実は一人で眠るのが怖かったから嬉しい」
と、言われてしまえば、クライヴに彼女を抱きしめて眠る以外の選択肢はない。クライヴは理性だ何だと戦っていた己を恥じた。彼女を幸せにすることが大前提なのだから、心地良い睡眠を提供することに徹しよう。そう決意したのだが。
* * *
目の前のレベッカからはいつもと違う香りがしている。香油だろうか? 今日の結婚式でクライヴの知らないうちに誰かから渡されたのかもしれない。今のレベッカが纏うものは全てクライヴが揃えたものであって欲しいのに。小さな嫉妬心も相まって頭が沸騰しそうになっているのは、今いる場所が良くなかった。――どうして二人してベッドの上で腰かけているのか、経緯はもう覚えていない。そうだ、一日の汗を流したあと先に湯浴みを終えたレベッカを探していると、寝室のベッドで深刻そうに座っていたため心配になり、近付いたところまでは覚えている。それから彼女の香りに気付き、花に魅入られた羽虫のようにフラフラと寄っていって隣に座ったはいいものの、どうしたらいいのか分からずに無言のままベッドに腰かけてること暫し。
「えっと!」「あのっ!」
やってしまった。意を決して声を掛けたが、今までの沈黙が嘘のように何故か二人の声が被ってしまう。
「お先にどうぞ!」
「いや、大したことではないからベッキーから先に……」
会話ができたついでに手に滲む汗を素早く寝間着で拭く。ちなみにこれも今までの寝間着と違い、柔らかな肌触りのものに変わっていた。それもまた緊張に拍車をかけているのだが。
「私の身体が貧相だから申し訳ないけれど……きゃっ!」
「そんなことはありません! 僕は貴女ならどんな姿だって愛しています!」
まさかの言葉に、前のめりになりながらレベッカの手を握って捲し立てた。レベッカは全てが素晴らしいのだから、申し訳なく思うことなんて何ひとつない。驚いたのか、綺麗な瞳が至近距離で瞬いている。あまりの美しさに思わずうっとりと見つめていると、彼女の目尻がみるみるうちに赤くなってきて我に返った。この雰囲気はまずい。いや、ちっともまずくはないのだが。
「あ、ビックリさせてごめん……っわ!」
慌てて距離を取ろうとしたが、しかし勢いよくレベッカが抱きついて二人はそのままベッドへ倒れ込んだ。レベッカの身体は軽くて柔らかくて、いい匂いがして。掻き抱きたい衝動に駆られるのをなんとか抑え、転がり落ちてしまわないようにそっと支えるに止めた。
「……あの、何をするかは今日奥様たちに教えて貰ったの」
胸の上でレベッカの小さな声が聞こえて息をのんだ。そういえば公爵からこの家の鍵を渡されたとき、話が終わって戻ってみるとレベッカの姿は見えなかった。暫くして戻ってきた彼女は心なしか頬が赤くて心配したが、部屋が暑かったからと言われたのだ。あの時だったのか。
「あー、うん。でもベッキーが嫌なことはしたくない」
「ううん………大丈夫。クライヴにされて嫌なことはないから。それに私も、もっと触れ合いたいの。だってもう夫婦でしょう?」
レベッカの言葉に心臓が大きな音を立てる。胸の上に乗っている彼女にも絶対聞こえているだろうが、抑える術など知らない。それよりも彼女にここまで言わせてしまったことを恥じた。
「僕も知識でしか知らないから、痛かったり不快だったりしたらすぐに教えてほしい。逆にいいところも教えてほしい。一緒にお互いを知っていこう」
「うん、うん!」
「ベッキー、僕の最愛」
そっと身体を傾けて、レベッカをベッドに横たえる。上から追いかぶさるようにして唇を重ねれば、瞳が潤んで涙がポロリと零れ落ちた。
「ありがとう、クライヴ。私、こうなることをずっと願っていたみたい。すごく嬉しいの」
ああ、彼女は全てを押し殺して、王太子妃になろうとしていたのかと腑に落ちた。記憶は代償になってしまったが、これから先もずっと幸せでいればいい。軽くキスをすれば、レベッカの腕がクライヴを強く引き寄せ、深いものになっていった。
沢山のデザイン画からレベッカが選んだのは、春の妖精のような可愛らしくてシンプルなドレスだった。公爵令嬢であり王太子の婚約者という立場で、敢えて華美な装いを選んで着ていた彼女の、本来の好みなのだろう。そしてそれはとても似合っていた。もちろん王都にある一番大きな教会で大勢の参列者に祝福されながら、豪華なドレスに身を包むレベッカも美しいに違いないが、クライヴの目の前で頬を染めて嬉しそうに微笑む彼女のが何倍も美しいと断言できる。この日を一生忘れはしないだろう。もちろんその感動は結婚式だけではなく、終わってからも続くことにその時は気づかなかったが。
「クライヴ、これを」
式を終えるとクライヴはサイモンから呼び出され、真新しい金色の鍵を渡された。
「この鍵は……?」
「君たちがこれから住む家のものだ。私からの結婚祝いだよ」
「え……家、ですか?」
「前の家とそれほど距離は離れていないから、街に行くのも不便ではないだろう。せっかくだから心機一転、新しい場所で生活を始めるといい。今の幸せそうなレベッカを見ていると、以前を思い出しかねない憂いは少しでも取り除いた方がいいだろうと思ってね」
「旦那様……ありがとうございます」
鍵を握りしめて、クライヴは頭を深く下げた。レベッカは贅沢を言わないが、公爵家の援助のおかげで生活は成り立っている。それだけでも感謝してもしきれないというのに、新居まで。クライヴが彼にできることは、レベッカをこれからも幸せにすることだ。
「いや、こちらこそ今まであの子を支えてくれてありがとう。これからもどうかよろしく頼む」
「お嬢様をこの命にかえても幸せにします」
「はは、私は君にも幸せになってほしいんだよ。息子同然に思っているんだ。色々あったが二人が夫婦になれたことは、私や君の両親だけでなく公爵家の皆がとても喜んでいる」
「……ありがとうございます」
そうしてレベッカと二人で帰宅した家は、今までよりも大きいものだったが、これくらいならば使用人を雇わずとも十分に管理できるだろう。レベッカも突然与えられた新しい家に目を丸くしていたが、素直に喜んでいた。二階建てで一階には台所や浴室などの水回りに居間と応接室、客間があり、二階には書斎と明るい壁紙の部屋が三つ。おそらく子供部屋なのだろう。それから真ん中には一番大きな主寝室があった。今までは寝室は分けていたというのに。だからといって夫婦になったというのに、別々で寝るのもおかしな話ではあるけれども……。
手の届かぬ花だと諦めていたときは劣情を抑えることは容易かった。それから一緒に暮らし始めた時はただの主人と護衛に過ぎなかったから当然だし、レベッカの支えになることで精一杯の日々は、二人きりでいられることがただ嬉しかった。恋人同士になってからも公爵夫妻に認められるまでは、と意志も固く別々に寝ていたのだ。しかし結婚が決まってからというもの、城壁のように堅牢だった理性はただの砂と化している。レベッカの囁きの吐息が吹いては飛び散らかり、キスの雨が降っては崩れ落ちる。それをなんとか必死に修繕していた日々。
彼女を怖がらせるわけにはいかない。これからもずっと一緒なのだから焦る必要はない、と構えている自分と、結婚という書類だけではなく早く身体も手に入れなければ不安は拭えないだろう、と囁いてくる自分が脳内で戦っている。しかし、
「今日からはここで一緒に寝るのね。実は一人で眠るのが怖かったから嬉しい」
と、言われてしまえば、クライヴに彼女を抱きしめて眠る以外の選択肢はない。クライヴは理性だ何だと戦っていた己を恥じた。彼女を幸せにすることが大前提なのだから、心地良い睡眠を提供することに徹しよう。そう決意したのだが。
* * *
目の前のレベッカからはいつもと違う香りがしている。香油だろうか? 今日の結婚式でクライヴの知らないうちに誰かから渡されたのかもしれない。今のレベッカが纏うものは全てクライヴが揃えたものであって欲しいのに。小さな嫉妬心も相まって頭が沸騰しそうになっているのは、今いる場所が良くなかった。――どうして二人してベッドの上で腰かけているのか、経緯はもう覚えていない。そうだ、一日の汗を流したあと先に湯浴みを終えたレベッカを探していると、寝室のベッドで深刻そうに座っていたため心配になり、近付いたところまでは覚えている。それから彼女の香りに気付き、花に魅入られた羽虫のようにフラフラと寄っていって隣に座ったはいいものの、どうしたらいいのか分からずに無言のままベッドに腰かけてること暫し。
「えっと!」「あのっ!」
やってしまった。意を決して声を掛けたが、今までの沈黙が嘘のように何故か二人の声が被ってしまう。
「お先にどうぞ!」
「いや、大したことではないからベッキーから先に……」
会話ができたついでに手に滲む汗を素早く寝間着で拭く。ちなみにこれも今までの寝間着と違い、柔らかな肌触りのものに変わっていた。それもまた緊張に拍車をかけているのだが。
「私の身体が貧相だから申し訳ないけれど……きゃっ!」
「そんなことはありません! 僕は貴女ならどんな姿だって愛しています!」
まさかの言葉に、前のめりになりながらレベッカの手を握って捲し立てた。レベッカは全てが素晴らしいのだから、申し訳なく思うことなんて何ひとつない。驚いたのか、綺麗な瞳が至近距離で瞬いている。あまりの美しさに思わずうっとりと見つめていると、彼女の目尻がみるみるうちに赤くなってきて我に返った。この雰囲気はまずい。いや、ちっともまずくはないのだが。
「あ、ビックリさせてごめん……っわ!」
慌てて距離を取ろうとしたが、しかし勢いよくレベッカが抱きついて二人はそのままベッドへ倒れ込んだ。レベッカの身体は軽くて柔らかくて、いい匂いがして。掻き抱きたい衝動に駆られるのをなんとか抑え、転がり落ちてしまわないようにそっと支えるに止めた。
「……あの、何をするかは今日奥様たちに教えて貰ったの」
胸の上でレベッカの小さな声が聞こえて息をのんだ。そういえば公爵からこの家の鍵を渡されたとき、話が終わって戻ってみるとレベッカの姿は見えなかった。暫くして戻ってきた彼女は心なしか頬が赤くて心配したが、部屋が暑かったからと言われたのだ。あの時だったのか。
「あー、うん。でもベッキーが嫌なことはしたくない」
「ううん………大丈夫。クライヴにされて嫌なことはないから。それに私も、もっと触れ合いたいの。だってもう夫婦でしょう?」
レベッカの言葉に心臓が大きな音を立てる。胸の上に乗っている彼女にも絶対聞こえているだろうが、抑える術など知らない。それよりも彼女にここまで言わせてしまったことを恥じた。
「僕も知識でしか知らないから、痛かったり不快だったりしたらすぐに教えてほしい。逆にいいところも教えてほしい。一緒にお互いを知っていこう」
「うん、うん!」
「ベッキー、僕の最愛」
そっと身体を傾けて、レベッカをベッドに横たえる。上から追いかぶさるようにして唇を重ねれば、瞳が潤んで涙がポロリと零れ落ちた。
「ありがとう、クライヴ。私、こうなることをずっと願っていたみたい。すごく嬉しいの」
ああ、彼女は全てを押し殺して、王太子妃になろうとしていたのかと腑に落ちた。記憶は代償になってしまったが、これから先もずっと幸せでいればいい。軽くキスをすれば、レベッカの腕がクライヴを強く引き寄せ、深いものになっていった。