ブーケの行方と、あの日の片思い
第三十三章:週末の約束
翌朝。
優花は、目覚まし時計の音が鳴るより先に自然と目を覚ました。
体中にまだ昨日の幸福の余韻が残っている。
深呼吸すると胸の奥がほのかに熱く、そしてくすぐったい。
(……宏樹から、来てるかな。)
枕元のスマートフォンをそっと手に取り、画面を点灯させる。
——通知欄は静まり返っていた。
ほんの少し、胸がしゅんと沈む。でもすぐに首を振る。
(朝から忙しいはず。そんなに早く来るわけないよね。)
無理に気持ちを整えようとしても、心は正直だった。
準備をする間中、スマホの通知音を待つ耳が、ずっと張り詰めている。
出社し、午前中の業務に没頭しようとしても、
ふとした瞬間に、脳裏をよぎるのは彼の笑顔と昨夜の言葉だった。
「また、連絡するよ」
あの約束は、社交辞令ではなく、本気なのだと信じたい——
そう願う気持ちが胸の奥で膨らんでいく。
そして、午前11時を少し過ぎた頃。
デスクの上のスマホが、小さく震えた。
一瞬、心臓が跳ねる。
画面を見る指先が、わずかに震えた。
沢村 宏樹
おはようございます。昨日はゆっくり休めましたか?
夜景撮影の件、本当に実現できたらと思っています。
来週は忙しいので、今週末の夜はどうでしょうか?
もし急でなければ、土曜日の夜、都心から少し離れた、星も見えやすい場所を考えているのですが。
相沢の都合を教えてくれると嬉しいです。
優花は、思わずデスクの陰で小さく拳を握った。
“改めて連絡する”を、本当に翌朝に実行してくれた。
しかも——
◦ 日程の提案
◦ 場所のリサーチ
◦ 優花の都合を気遣う言葉
連絡のどの行間にも、明確な「会いたい」という意思が滲んでいた。
(今週末……予定はない。大丈夫。)
むしろ、この誘いを断れるわけがない。
胸の高鳴りを抑えながら、優花は丁寧に返信を打ち始めた。
相沢 優花
おはようございます!
お気遣いありがとうございます、昨日はぐっすり眠れました。
夜景の件、私もぜひご一緒したいです!
宏樹さんが場所を選んでくださるなんて、嬉しいです。
今週末、土曜日の夜は問題ありません。
詳しい集合時間や場所は、また相談させてください。楽しみにしています!
送信すると、ほんの数秒で“既読”がついた。
——彼もまた待っていてくれた。
すぐに、返信が届く。
沢村 宏樹
ありがとう! 無理させてないか心配だったけど、よかった。
じゃあ、土曜日の夜に決定で。
改めて、集合場所と時間を夜に連絡します。
(場所は、相沢が好きな雨の日の路面も綺麗に見えるところを探してみるよ)
優花は、画面を見つめながら息を飲んだ。
昨日の会話。
「雨の日の路面が好き」という、何気ない一言を——
彼は覚えてくれていた。
ただ覚えているだけじゃない。
それをデートの場所選びに反映してくれるほど、大切に扱ってくれている。
(……宏樹さん、そんなふうに……)
胸の奥がじんわり熱くなる。
これはただの“夜景撮影”なんかじゃない。
写真を撮るという名目で、一緒に夜を過ごす時間を、彼は本気で準備してくれている。
五年間、心のどこかで諦めていた想いが、
静かに、しかし確実に形を取り始めているのを感じた。
優花は午後の仕事をしながら、
画面の隅で静かに光る彼の名前を何度も思い返していた。
土曜日の夜。
星と夜景と、雨上がりの路面が美しく光る場所で——
二人きりの再会が待っている。
その予感だけで、
今日という一日が、いつもより少しだけ輝いて見えた。