新堂さんと恋の糸
 そこから先は――完全に想定外の展開だった。

 終電が迫る時間に「一晩泊まってもいいのか?」と冗談半分に口にした言葉に、櫻井は少し考えてから「……いいですよ?」と返した。
 その一言で、理性の足場が一段抜け落ちた気がした。胸のどこかがざわついたまま、気がつけば「誰にでもそうなのか」と口にしていた。自分でも、言葉が少し尖っているのが分かる。

 それでも抱きしめたとき――拒まれなかった腕の感触に、淡い期待をしてしまったのも事実だ。
 だからこそ、あの言葉はよく効いた。

 『新堂さんのことは尊敬は……してますけど』

 あのときの声も、震えも、今でも耳の奥にこびりついている。

 「……好きとかそういうのじゃないです、絶対」

 はっきりと、境界線を引かれたような気がした。
 なのに、櫻井は唇をきゅっと噛んでいて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 そこまで嫌だったか。
 それとも――そこまで言わなきゃ、俺が引き下がらないと思ったのか。

 つい自分に都合のいい可能性が浮かびかけるが、そこから先を考えれば期待になる。それが分かっていたから、意識的に思考を切った。

 「悪かった。今のは全部忘れていい」

 これ以上ここにいたら、どこかでまた線を踏み越える。そう直感したから、俺は振り返らずに部屋を出た。

 
 それでも、櫻井をモデルにして描いたラフだけは、どうしても捨てられなかった。
 どれだけアイデアを出そうとしても、これ以上に納得のいくものが出てこない。俺は諦めてラフ画を元にデザインの詳細を固めていった。

 スタンドタイプのハンギングチェア。
 形は透明なたまご型で――そこに座るのは、さっきのデザイン画の中の彼女。
 骨格は決まった。だが、もう一つ何かが足りない。

 『無機質な素材に、伝統的な技術が合わさったデザインに目を奪われたんです』

 以前、櫻井がそう言っていたのを思い出す。
 オフィスチェアをくるりと回転させて、本棚の方を向く。櫻井が整理してくれてから、あの本棚は見違えるほど使いやすくなった。どこに何があるか、一目で分かる。
 下の段から、伝統工芸や素材に関する写真集・画集をいくつか引き抜く。パラパラとページをめくると、あるページで目がとまった。

 ―――組み紐か。

 日本伝統の工芸品で、絹糸や綿糸を組み上げた紐のことだ。

 「人と人を結ぶ、縁を結ぶなどの意味も込められている、か。こういうの好きそうだなあいつ」

 半ば無意識に笑いが漏れる。
 スタンドからチェア本体を吊るす“鎖”の部分を、組紐のような意匠にしてみたらどうだろうか。

 問題は素材だ。椅子本体はメタクリレート――アクリル樹脂の一種でいくとして、支える側は軽くて強度の高いものがいい。金属は海のイメージに合わない。

 (炭素繊維か、高分子系の新素材か……)

 そう考えながら、また新しいラフを取り出して、吊り金具のパターンを描き始めた。


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